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1から日本史 12−3 立憲国家の成立
1から日本史 12−3 立憲国家の成立
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2024年09月18日
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1871年に右大臣岩倉具視を大使とする欧米に派遣され、アメリカとの不平等条約の改正交渉(失敗)や多くの留学生を抱えた使節団
岩倉使節団
岩倉使節団について行った若い女性 2つ
津田梅子、山川捨松
1876年にアメリカと交渉して関税自主権の撤廃に成功したがイギリス、ドイツの反対によって台無し(無効)にされた外務卿
寺島宗則
1871年に清に使節を派遣して相互に開港し領事裁判権を認め合った条約
日清修好条規
1872年に沖縄に設定した藩
琉球藩
「藩王」に就任した琉球国王
尚泰
1871年に台湾に漂着した琉球人が原住民に殺される事件
琉球漂流民殺害事件
1874年に琉球人も日本人だと怒って台湾に日本政府が兵を送ったこと
台湾出兵
1879年に琉球藩を廃止して沖縄県を設置し尚泰を東京に移し事実上琉球王国が滅亡したもの
琉球処分
岩倉使節団で不在の大久保、木戸の代わりにお留守番していた政府の西郷隆盛、板垣退助が唱えたが帰国してきた岩倉組に却下された韓国をしばく論
征韓論
1875年に日本軍艦「雲楊」が朝鮮首都近くの江華島で挑発してたら戦闘にまで発展し後に結ぶ条約に影響を与えた事件
江華島事件
1876年に江華島事件を契機に日本が朝鮮に開国を迫り結ばせた条規
日朝修好条規(江華条約)
日朝修好条規(江華条約)で日本が飲ませた条件
釜山、仁川、元山の開港、関税免除、領事裁判権
1875年に締結した樺太を放棄し、千島列島の全島を所有することになった交換条約
樺太、千島列島交換条約
1876年に内務省の出張所を置いて統治を再開した諸島
小笠原諸島 (小笠原貞宗の子孫が発見した)
1874年に征韓論争に負けた征韓派参議(西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣)たちが一斉に辞職した政治的混乱
明治六年の政変 (1874ねん)
辞めた板垣退助、後藤象二郎が作った政党
愛国公党
官僚だけで完結させる政治
有司専制
板垣、後藤タッグがイギリス帰りの知識人に助けを借り左院に提出し、有司専制を批判し自由民権運動の火種になったもの
民撰議院設立の建白書
民撰議院設立の建白書が新聞に掲載され世論を動かした運動
自由民権運動
1874年に征韓派参議で辞めたはずの江藤新平が佐賀の不平士族に担ぎ上げられ起こした反乱
佐賀の乱
熊本鎮台を襲った熊本不平士族の党
敬神党(神風連)
敬神党に呼応して福岡の不平士族が起こした反乱
秋月の乱
山口で前参議、前原一誠が起こした反乱
萩の乱
1873年に発生した多くの農民が徴兵制度や学制による税金負担の増加を嫌って起こした一揆
血税一揆
1876年に低米価の状態で高米価も含めて平均から出した地租に反対して茨城から三重、愛知、岐阜、堺の4県までに飛び火した一揆
地租改正反対一揆
1877年に西郷隆盛が九州の不平士族に担ぎ込まれて反乱のリーダーにされた日本最後の内戦
西南戦争
1874年に板垣が土佐に帰って片岡健吉らの同志らと設立した自由民権運動の中心になった結社
立志社
板垣退助が立志社設立の翌年に大阪にも作った結社
愛国社
時間をかけて立憲制に移行することを決めた政府が作った立法諮問機関
元老院
時間をかけて立憲制に移行することを決めた政府が設立した最高裁判所のような院
大審院
時間をかけて立憲制に移行することを決めた政府が設置した府知事、県令からなる会議
地方官会議
1875年に元老院、大審院、地方官会議を設立することを決めた詔
漸次立憲政体樹立の詔
1875年に木戸孝允と板垣退助が大阪で話し合い一時的に政府に復帰することになった会議
大阪会議
1880年に元老院の憲法草案を束ねて作ったが岩倉具視に反対されてなくなった憲法草案
日本国憲按(けんあん)
1875年に新聞などを使って政府を批判していた民権活動家やマスコミを規制する条例
讒謗律、新聞紙条例(ざんぼうりつ)
1878年に反乱が収まったタイミングで地方整備を打ち出した三つの法
地方三新法
地方三新法の一つで大区、小区を廃止して郡、町、村を設定した法律
郡区町村編成法
地方三新法の一つで府と県のルールを定めた規則
府県会規則
地方三新法の一つで地方の税制について定めた規則
地方税規則
西南戦争の最中に片岡健吉を総代にして天皇に提出しようとしたが政府に却下された国会設立を求める意見書
立志社建白
愛国社の再興第2回大会に続き第3回大会の呼びかけに基づいて結成された同盟参加政社が国会開設嘆願書を送りつけまくった同盟
国会期正同盟 (後に散開する)
1880年に政府が作った政社の活動や集会を禁止した条例
集会条例
国会期成同盟が散開した後同年中に設立した板垣退助を総理(党首)とする党
自由党
1878年に大久保利通が暗殺された後、イギリス流議院内閣制の早期導入を訴えて岩倉具視や伊藤博文と対立した人物
大隈重信 (早稲田大学作った)
1881年に開拓長官であった黒田清隆(薩摩)が政商の五代友厚の関西貿易社などに北海道の物資を格安に払い下げ政府への批判を招いた事件
開拓使官有物払い下げ事件 (明治14年の政変で中止)
1881年に大隈重信を罷免させ、政府が作ることを決定した君主(天皇)が定めるタイプの憲法
欽定憲法
1890年に国会を設立することを公約した勅諭
国会開設の勅諭
大隈重信が罷免され伊藤博文を中心とした薩長藩閥政治になった政治の変化
明治14年の政変
1881年に福沢諭吉系の交詢社(じゅん)が発表した民間の憲法草案
私擬憲法案
民間の憲法草案を作りまくったり、「民権自由論」
植木枝盛
植木枝盛が作った民間憲法草案
「大日本国国憲按」
立志社が発表した民間憲法草案
「日本憲法見込案」
東京近郊の農村青年の学習グループが作った民間憲法草案
五日市憲法草案
加藤弘之(ひろゆき)が社会進化論の立場から民権派の天賦人権論を批判した著書
「人権新設」
加藤弘之への反論として馬場辰猪が出した著書
天賦人権論
加藤弘之への反論として植木枝盛が出した著書
天賦人権弁
1882年に急進的なフランス流の自由党に対抗して大隈重信を党首に据えてイギリス流の議院内閣制を訴えた党
立憲改進党
1882年に福地源一郎らを中心に政府が作ったが翌年に解散したしくじり政党
立憲帝政党
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