桓武天皇や嵯峨天皇が貴族勢力を抑える中で、天皇と結びつきを強めて勢力を伸ばしたのは
藤原氏の北家
嵯峨天皇の強い信頼を得て蔵人頭となったのは
藤原冬嗣→天皇家と姻戚関係へ
藤原良房が842年に藤原氏の中で北家を優位に確立したのは
承和の変
853年幼少の清和天皇を即位させた藤原良房が得た官職は
摂政
866年に応天門が炎上→源信が疑われるが良房のはからいで無罪→放火犯として伴、紀が失脚した事件
応天門の変
良房の後を継いだ藤原基経が陽成天皇を譲位、光孝天皇を即位させたことで得た地位
関白→884年
888年に藤原基経が宇多天皇の勅書に抗議して撤回させた事件は
阿衡の紛議→関白の政治的地位確立
宇多天皇が重用したことにより894年に遣唐使が廃止された人物
菅原道真
藤原基経の死後は宇多天皇は藤原氏を外戚としなかったため何を置かなかった
摂政と関白
宇多天皇の息子であり次の天皇は
醍醐天皇
醍醐天皇の政治はなんと呼ばれる
延喜の治
901年誰の策謀により藤原道長は政界から追放される
藤原時平
902年醍醐天皇により出されたのは
延喜の荘園整理令→藤原氏に集まった荘園を公領に戻す
914年に三善清行により醍醐天皇に提出されたのは
意見封事十二箇条→国家財政窮困の要因書かれる
編纂したのは
延喜格式、日本三代実録(六国史の最後)、古今和歌集(紀貫之)
醍醐天皇の息子で次の天皇は
村上天皇
村上天皇の政治はなんと呼ばれる
天暦の治
村上天皇の時代に本朝十二銭の最後として鋳造されたのは
乾元大宝
村上天皇死去後の969年醍醐天皇の子の源高明が左遷された事件
安和の変→摂政・関白常設へ
摂関政治の全盛期は
10世紀後半から11世紀
藤原道長が中宮・皇后にした娘の人数は
4人
摂関政治を何年続けた
30年
関白にはなったか
なっていない
息子の藤原頼通は何代の天皇と結びつきがあった
3天皇
何年間政治をした
50年間→摂政・関白として(特に年中行事に重点をおいた)
摂関政治の決め事はどのようにされた
公卿で審議
重要事項はどこで決定
陣定