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歴史総合 世界史10
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Mr.FS
2025年12月03日
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1557年、ポルトガルは( )に居留を認められた。
マカオ
1571年、スペインはフィリピンの( )を占領した。
マニラ
スペインはアメリカ大陸の( )をマニラへ運び中国で貿易した。
銀
オランダ・イギリス・フランスは( )を設立し、インド洋交易を行った。
東インド会社
イギリスが16世紀から行った、アフリカ・アメリカ大陸・イギリスを巡る貿易
大西洋三角貿易
大西洋三角貿易では( )がアメリカ大陸へ、( )や( )がイギリスへ運ばれた。
アフリカ人奴隷 砂糖 コーヒー
西アジアには強国( )の存在があったため、欧州諸国は陸路ではなく海路でインドを目指した。
オスマン帝国
オスマン帝国は( )教国であり、専制君主( )が統治を行っていた。
イスラーム スルタン
スルタンは日本でいう征夷大将軍に当たる
オスマン帝国の国土は、東地中海一円から( )半島南部まで及んでいた。
バルカン
オスマン帝国では、人頭税( )の支払いにより、イスラーム教以外の信仰が許された。
ジズヤ
フランスやイギリスには、スルタンから( )が与えられ、通商や居留の自由・領事裁判権などが認められた。
恩恵的特権
カピチュレーション
18世紀以降はオスマン帝国が弱体化し、( )の独立へと繋がった。
エジプト
1798年、ナポレオンのエジプト遠征に対し、オスマン帝国は( )を派遣して交戦させた。
ムハンマド・アリー
ナポレオンの遠征は英印交易路の遮断が目的
ムハンマド・アリーは( )を活かした灌漑農業を行わせたり、輸出用( )栽培の奨励したりして農業を活発にした。
ナイル川 綿花
その利益を元に近代化を進めた(自国の利益を元にした富国強兵・殖産興業)
オスマン帝国全土でのイギリス人の領事裁判権を認め、更に関税自主権を否定した条約
日米修好通商条約のモデル
イギリス・トルコ通商条約
エジプトの独立要求に対し、イギリスはオスマン帝国を支援する見返りに条約を結んだ
1859年、( )運河の建設が開始された。
スエズ
スエズ運河建設な、フランス人外交官の( )がエジプトに提案したことで開始された。
レセップス
1881年、軍人の( )がクーデターを起こすも、イギリス政府が鎮圧した。
外国勢力の干渉に対抗した
ウラービー・パシャ
エジプトは事実上イギリスの保護国となった
オスマン帝国は近代化政策( )を実施したが、イギリス製品の輸入を防げなかった。
タンジマート
更に対ロシア戦争などで外国への借金が膨らみ、半植民地化した
( )は、国を超えたムスリムの一体化を目指す「パン・イスラーム主義」を説いた。
アフガーニー
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