1557年、ポルトガルは( )に居留を認められた。
マカオ
1571年、スペインはフィリピンの( )を占領した。
マニラ
スペインはアメリカ大陸の( )をマニラへ運び中国で貿易した。
銀
オランダ・イギリス・フランスは( )を設立し、インド洋交易を行った。
東インド会社
イギリスが16世紀から行った、アフリカ・アメリカ大陸・イギリスを巡る貿易
大西洋三角貿易
大西洋三角貿易では( )がアメリカ大陸へ、( )や( )がイギリスへ運ばれた。
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西アジアには強国( )の存在があったため、欧州諸国は陸路ではなく海路でインドを目指した。
オスマン帝国
オスマン帝国は( )教国であり、専制君主( )が統治を行っていた。
イスラーム スルタン
スルタンは日本でいう征夷大将軍に当たる
オスマン帝国の国土は、東地中海一円から( )半島南部まで及んでいた。
バルカン
オスマン帝国では、人頭税( )の支払いにより、イスラーム教以外の信仰が許された。
ジズヤ
フランスやイギリスには、スルタンから( )が与えられ、通商や居留の自由・領事裁判権などが認められた。
恩恵的特権
カピチュレーション
18世紀以降はオスマン帝国が弱体化し、( )の独立へと繋がった。
エジプト
1798年、ナポレオンのエジプト遠征に対し、オスマン帝国は( )を派遣して交戦させた。
ムハンマド・アリー
ナポレオンの遠征は英印交易路の遮断が目的
ムハンマド・アリーは( )を活かした灌漑農業を行わせたり、輸出用( )栽培の奨励したりして農業を活発にした。
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その利益を元に近代化を進めた(自国の利益を元にした富国強兵・殖産興業)
オスマン帝国全土でのイギリス人の領事裁判権を認め、更に関税自主権を否定した条約
日米修好通商条約のモデル
イギリス・トルコ通商条約
エジプトの独立要求に対し、イギリスはオスマン帝国を支援する見返りに条約を結んだ
1859年、( )運河の建設が開始された。
スエズ
スエズ運河建設な、フランス人外交官の( )がエジプトに提案したことで開始された。
レセップス
1881年、軍人の( )がクーデターを起こすも、イギリス政府が鎮圧した。
外国勢力の干渉に対抗した
ウラービー・パシャ
エジプトは事実上イギリスの保護国となった
オスマン帝国は近代化政策( )を実施したが、イギリス製品の輸入を防げなかった。
タンジマート
更に対ロシア戦争などで外国への借金が膨らみ、半植民地化した
( )は、国を超えたムスリムの一体化を目指す「パン・イスラーム主義」を説いた。
アフガーニー