第二次伊藤内閣では( )党との連携を組んだ
自由
第二次松方内閣では( )党の大隈重信との連携を結んだ
進歩
第三次伊藤内閣において、自由党と進歩党が合同し、( )を形成した
憲政党
1898年からの( )内閣は憲政党を基盤とし日本初の政党内閣となった
隈板
隈板内閣にて( )が( )事件を起こし、文相を辞任した
尾崎行雄 共和演説
憲政党は憲政党と旧進歩党系の( )とに分裂した
憲政本党
1899年、勅任間を文官口頭試験合格のものにかぎるよう( )が改正された
文官任用令
1900年、政治・労働運動を弾圧する( )法が定められた
治安警察法
1900年、陸海相は現役の将からに限定する( )が定められた
軍部大臣現役武官制
1900年、憲政党が伊藤博文に接近し( )を結成した
立憲政友会
桂園時代以後山県有朋や伊藤博文は( )として内閣の背後から影響力を行使した
元老
ドイツは中国から( )を租借した
膠州湾
イギリスは中国から( )半島・( )を租借した
九龍 威海衛
フランスは中国から( )を租借した
広州湾
アメリカの( )は門戸開放宣言を行い門戸開放・( )・領土保全を主張した
ジョン=ヘイ 機会均等
義和団事件をきっかけとして( )事変がおこった
北清
1901年、中国は治外法権などを認める( )を結んだ
北京議定書
三国干渉後、朝鮮では( )の親日政権が( )らの親露政権に倒された
大院君 閔妃
1895年、( )が指揮して( )殺害事件が起こる
三浦梧楼 閔妃
ロシアの南下に対し、伊藤博文らは外交で解決しようとする( )論を主張した
日露協商
開戦論の高揚に対し、キリスト教徒の( )や社会主義者の( )・( )、与謝野晶子らは反戦論を唱えた
内村鑑三 幸徳秋水 堺利彦
『( )』の黒岩涙香や『国民新聞』の( )などにより開戦論が主張された
万朝報 徳富蘇峰