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日本史小テストの巻
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Mr.anonymous
2023年02月20日
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郡内騒動
1836年、甲斐国の天領で発生した世直し一揆。物価引き下げを求め、豪農らを襲撃した。
加茂一揆
1836年、三河国の天領・大名領など広範囲で起こった世直し一揆。
大塩平八郎の乱
1837年、元大阪町奉行所与力が門弟らと共に挙兵し、町奉行と戦い市中に放火した事件をなんというか。
洗心洞
陽明学者の大塩平八郎の私塾をなんというか。
生田万の乱
1837年、国学者の生田万が大塩の乱に影響されて数名で挙兵し新潟の柏崎にあった藩の施設を襲撃した事件をなんというか。
モリソン号事件
1837年、アメリカの商船が日本人漂流民7人を乗せて浦賀に来航したがそれを幕府側が異国船打払令に基づいて砲撃して撃退した事件をなんというか。
尚歯会
渡辺崋山・高野長英の他、幕府役人の江川英龍や川路聖謨も所属し、蛮社の獄で弾圧された蘭学の研究者団体をなんと言うか。
渡辺崋山
三河国田原藩の家老でモリソン号事件に関し、「慎機論」を書いて批判していたことが発覚して処罰されたのは誰か。
高野長英
江戸の町医者でモリソン号事件に関して「戊戌夢物語」を書いて回覧していたことが発覚し、終身刑となり火事を起こさせて脱獄し逃げ回ったが最後見つかって自殺したのは誰か。
蛮社の獄
1837年のモリソン号事件を批判した件で1839年に渡辺崋山・高野長英らが弾圧された事件をなんというか。
水野忠邦
浜松藩主。大御所家斉が死去すると1841年から天保の改革を実施したが2年後に失脚した。
天保の改革
1841年から1843年までに老中水野忠邦を中心に行われた改革をなんというか。
人返しの法
江戸の下層民衆の削減と農村人口の回復のために江戸に流入した農民を強制的に農村に帰した。
株仲間解散令
1841年、物価高騰の原因を株仲間による独占とみなし、株仲間の解散を命じたのはなんという法令か。
棄捐令
旗本・御家人が札差から借りていた借金を減免した法律をなんというか。
三方領地替え
天保の改革が始まる前、1840年に行われ失敗した政策で川越藩を庄内藩へ、庄内藩を長岡藩へ、長岡藩を川越藩へ、3藩同時に一斉転封を実施しようとしたものをなんというか。
日光社参
家康を祀る日光東照宮へ将軍が諸大名を動員して戦時体制でお参りすることをなんというか。
上知令
1843年、江戸は10里四方、大阪5里四方にある大名や旗本の領地を天領に編入し大名や旗本には別の場所にある天領を与えようとした。これをなんというか。
農村の荒廃
18世紀後半、北関東から東北の農村は人口が減少し耕作の放棄が増えていった。これをなんというか。
在郷商人
西日本の農村を中心に、貨幣経済が浸透したために多数発生した、商業を行う農民のことをなんというか。
国訴
畿内周辺で、18世紀後半以降多発した、広範囲の村落が団結して起こした集団訴訟をなんというか。
二宮尊徳
19世紀前半の農政家。相模国の地主の子。父が没落した後、勤勉・努力で地主として復活しそのやり方を人々に伝えようと報徳社を作り各地で復興の手助けをしたのは誰か。
大原幽学
19世紀前半の農政家。武士の出身だが千葉県の農村に流れ着き、荒廃した農村を復興する手助けをしたのは誰か。
工場制手工業
労働者を作業場に集め、そこで分業を行って効率よく生産する手工業のことをなんというか。
雄藩
19世紀前半の天保期の藩政改革で台頭し経済力・軍事力を高めた強力な藩のことをなんというか。西日本の外様大名・親藩大名に多い。
調所広郷
薩摩藩の下級家臣で前藩主島津重豪の命により天保期の薩摩藩の藩政改革を担当したのは誰か。
黒砂糖
薩摩藩は奄美半島などでサトウキビを生産させてこれを製造し藩の船で輸送して日本の各地で販売し膨大な利益を上げた。
清との朝貢貿易
薩摩藩の財源の一つで支配下の琉球を通じて利益をあげたがその方法はなにか。
島津斉彬
ペリー来航前後の薩摩藩主。蘭学が大好きで藩内に西洋の技術を導入して反射炉など工場を設立したのは誰か。
村田清風
長州藩の下級藩士。藩主毛利敬親の命で天保期の藩政改革を担当したのは誰か。
越荷方
長州藩は下関で他国船を相手に金融・貸倉庫などを営む事務所を設置して利益をあげたがこれをなんというか。
鍋島直正
天保期の佐賀藩主。天保期の藩政改革を実施し、長崎に貿易の商社を置いたり石炭の増産を行った。また、日本初の反射炉の建築に成功し、大砲を鋳造した。この人物は誰か。
均田制
天保期の佐賀藩の藩政改革で行われた政策。地主の土地を水呑に分け与えて本百姓を増やした。この政策をなんというか。
土佐藩
藩主山内豊照や豊成によって中下級武士が登用されおこぜ組という組織で改革が行われたのはどの藩か。
徳川斉昭
水戸藩藩主。側近の会沢正志斎や藤田東湖らを用いて改革を進めたが保守派との対立が続き水戸藩の改革は挫折した。
高島秋帆
長崎の町人で独学で西洋の砲術や軍事技術を学びそれを採用するよう幕府などに働きかけ幕臣に登用されたのは誰か。
江川太郎左衛門
幕府の代官でありながら蘭学を学び高島秋帆にも弟子入りした。地元の伊豆韮山に反射炉を作った。これは誰か。
文化文政期
19世紀の初め、天保より前の時期。
経世思想
現実の社会問題を解決するための政治経済論。江戸時代後期に幕府や大名が財政難に陥る中、蘭学の知識も使って商業や貿易の奨励を唱えた。
海保青陵
18世紀後半の京都の人。武士社会の主従関係も商取引と同じだと主張し商業を肯定した。藩単位の重商主義によって利益を上げることが大事だとした。著書「稽古談」
本多利明
18世紀後半の人。越後出身。天明の飢饉を経験する中、蝦夷地開発を積極的にすすめ、国営の海運業で貿易を進めることで豊かになるように主張した。著者は「経世秘策」「西域物語」
佐藤信淵
19世紀はじめの人。出羽出身。身分制度を廃止して中央集権国家を作ることや土地や産業の国有化、あるいは農業論など様々な主張をしている。著書は「経済要録」「農政本論」
藤田幽谷
水戸藩士。尊王攘夷思想を唱え水戸学の形成に貢献。彰考館総裁として「大日本史」編纂に携わる。
藤田東湖
水戸藩士。藤田幽谷の子。尊王攘夷思想を唱える。水戸斉昭の側近として改革を助けた。
会沢安
水戸藩士。彰考館総裁。徳川斉昭の側近。著書「新論」
高橋至時
蘭学者。幕府天文方役人。「寛政暦」の作成作業を成功させた。
伊藤忠敬
50才で家業の酒造業を引退し高橋至時にい蘭学を学ぶ。日本全国を自分で歩いて測量し、「大日本沿海興地全図」を作成した。
蛮書和解御用
1811年、天文方役人の高橋景保の提案で天文方内に置かれた翻訳局。
高橋景保
高橋至時の子。20歳で至時の後を継いで天文方に入る。伊能忠敬の地図作成を監督。シーボルト事件で地図を渡した主犯とされ入獄し獄中で死亡。
志筑忠雄
長崎通詞であったが途中で辞職。本木良永に蘭学を学び英の天文書を翻訳して「暦象新書」を出版した。
宇田川榕菴
津山藩医。蘭学者。翻訳を行い、植物学の「菩多尼詩経」と化学の「舎密開宗」を出版。
シーボルト事件
シーボルトの帰国にあたり、高橋景保が禁制品の「大日本沿海興地全図」をシーボルトに手渡していたことが発覚し高橋景保らが弾圧された事件。
佐久間象山
信州の松代藩士。蘭学や軍事技術を学び尊王攘夷が盛んな時代にあえて積極的な開国を唱えた。
東洋道徳・西洋芸術
佐久間象山の言葉。思想についてはアジアの「道徳」=朱子学でいい、「芸術」=技術は西洋のものを導入使用という意味。
広瀬淡窓
豊後日田の商人の出身。折衷学派の儒学者で豊後に咸宜園という塾を開き、3000人と言われる門弟を育てた。その中に高野長英・大村益次郎らがいる。
緒方洪庵
大阪に適塾[適ケ斎塾]を開いた蘭学者。門弟に福沢諭吉、橋本左内、華岡青洲らがいる。
吉田松陰
長州藩士。尊王攘夷論。ペリー来航時に米船に乗船して密航を企てたが失敗し入獄。その後、松下村塾を開き高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山県有朋らを育てる。
鳴滝塾
ドイツ人医師のシーボルトが長崎に設けた診療所兼学校。シーボルトは出島からここに通って診察と教育をした。高野長英もここで学んだ。
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