14章2つの世界大戦 2節ヴェルサイユ体制下の欧米諸国

cyuhara 2025年05月30日 カード136 いいね0

世界史

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  • 第一次世界大戦の結果と影響
    パリ講和会議が開催され、講和条約としてヴェルサイユ条約が締結して正式に第一次世か大戦は終結した。の第一次世界大戦の結果とそのもたらした影響の要点をあげると次のようになる。
  • パリ講和会議
    1919年~20年、パリで開催された第一次世界大戦の講和国際会議。戦勝国のアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本の五ヵ国など32ヵ国が参加したが、実質的にはアメリカのウィルソン、イギリスのロイド=ジョージ、フランスのクレマンソーが主導した。敗戦国ドイツと社会主義革命がおこったロシアのソヴィエト政権は参加できなかった。ウィルソンの提唱した十四ヵ条に沿って民族自決・国際連盟の設立などの大戦後の国際秩序のありかたも議論されたが、戦勝国の領土と賠償金の確保が優先され、ドイツなど敗戦国に対しては厳しい報復が行われた。1919年6月、ヴェルサイユ宮殿において対ドイツ講和条約が締結され、正式に世界大戦は終結した。
  • ウィルソン
    アメリカ合衆国第28代大統領、民主党。1913~21年、第一次世界大戦期に大統領を務め、参戦語の1918年1月、14箇条の講和原則を発表し、無賠償・無併合、秘密外交の禁止、民族自決などを提唱した。そのかかから国際連盟が世界最初の国際的調整機関として発足することとなった。アメリカ外交を国際協調主義で主導し、後に大きな影響を与えた。
  • アメリカの外交政策
    18世紀末に独立してから、初代大統領ワシントン以来、伝統的に孤立主義を採り、19世紀前半にモンロー主義として外交の基本姿勢とした。しかし19世紀後半、大国化するとともに帝国主義的な海外介入を展開、第一次世界大戦に参戦した。戦間期を通じて孤立主義か国際協調主義か揺れが続いたが、ファシズムの台頭はアメリカを第二次世界大戦に巻き込み、連合国の勝利をその力で実現したことから、戦後は世界的覇権を握った。20世紀末の冷戦終結からその力は大きく揺らいだとはいえ、現在もなお強大な影響力を有しながら、孤立主義的伝統の傾向もときおり表面化している。
  • 十四カ条
    第一次世界大戦の講和に向けてアメリカ合衆国大統領ウィルソンが1918年1月に発表し、戦後の国際政治の原則とされた。14カ条の原則
  • 民族自決
    それぞれの民族は自らの運命を自ら決するべきである、とする考え。第一次世界大戦期の民族主義の高まりの中で提唱され、レーニンの「平和についての布告」とウィルソンの「十四カ条」に盛り込まれた。
  • ロイド=ジョージ
    20世紀初頭、イギリス自由党の政治家。蔵相として社会保険法、人民予算の実現、議会法制定などで国政で実績を上げ、第一次世界大戦期には挙国一致内閣の首相として戦争を指導し、パリ講和会議では対ドイツ強硬論を主張した。アイルランド問題の解決にあたり、北アイルランドの分離に踏み切った。
  • クレマンソー
    19世紀末~20世紀初め、フランス第三共和政時代の政治家。第一次世界大戦で首相を務め、パリ講和会議を主導し、ドイツに対する厳しい賠償などを課すヴェルサイユ体制をつくりあげた。
  • ヴェルサイユ条約
    1919年6月、パリ講和会議の結果として、連合国とドイツの間で締結された第一次世界大戦の講和条約。ドイツに対する報復的な厳しい内容となり、海外領土放棄・軍備制限・賠償金などが課せられた。同時にアメリカ大統領ウィルソンの提案が入れられ、民族自決の原則、国際連盟の創設なども盛り込まれた。これによって第一次世界大戦後の国際秩序としてヴェルサイユ体制が生まれたが、敗戦国ドイツの不満は残り、ソヴィエト=ロシアが参加していないなど、次の危機の出発点ともなった。1935年3月のナチス=ドイツの再軍備、36年3月のロカルノ条約破棄で崩壊した。
  • アルザス・ロレーヌ
    現フランス領のライン中流の西岸。中世では神聖ローマ帝国の領邦があったので住民はドイツ系が多かったが、次第にフランス側のナショナリズムが強まり、17世紀以降、長く領有権を争った。18世紀半ばまでにフランス領となり、普仏戦争でドイツ領となったが、第一次世界大戦によってフランス領に編入され、現在に続いている。
  • ザール
    独仏国境にある炭鉱地帯で帰属を巡り近代に両国間での対立が続いた。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で国際連盟管理となる。ナチスドイツはドイツ編入を要求、1935年、住民投票でドイツに編入を実現された。
  • ポーランド回廊
    ヴェルサイユ条約でポーランド領とされ、ドイツ本土と東プロイセンを分断する形となった地域。1939年、ヒトラーのドイツがその通行を要求、ポーランドが拒否したことを口実に侵攻し、第二次世界大戦の勃発となった。
  • ドイツの軍備制限
    ヴェルサイユ条約によってドイツの軍備は陸軍が上限10万とされたほか、詳細な制限が設けられた。ドイツでは国家主権の侵害であるとの不満が強く、その後のナチスの台頭の口実とされた。
  • ラインラント
    ドイツ領ライン川中流域は商工業の盛んな地域であるが、多くの領邦、都市にわかれていた。17世紀前半の三十年戦争では戦場となり、17世紀末にはルイ14世の侵略をうけた。1806年、ナポレオンがライン同盟を結成して保護下に収めたが、その没落後ウィーン会議でプロイセン領となった。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で非武装地帯とされたが、1936年にヒトラーがドイツ軍を進駐させ、第二次世界大戦への導線となった。
  • サン=ジェルマン条約
    1919年、第一次世界大戦後のオーストリアと連合国との講和条約。オーストリアは大幅に領土を縮小した。
  • オーストリア
    オーストリア=ハンガリー帝国は第一次世界大戦でドイツとともに敗戦国となり帝国は解体される。戦後、オーストリア共和国となる。
  • ヌイイ条約
    第一次世界大戦で敗戦国となったブルガリアが連合国と結んだ講和条約。領土割譲、賠償金支払いを受け入れた。 第一次世界大戦で敗戦国となったブルガリアが、連合国との間で、1919年11月に締結した講和条約。ヌイイ(ニュイーイとも)はパリ郊外の締結地。
  • ブルガリア
    ブルガリア王国は第一次世界大戦ではセルビア・ロシアに対する敵対心からドイツなどの同盟国側で参戦し、敗北した。
  • トリアノン条約
    1920年、第一次世界大戦後に、ハンガリー王国が連合国と結んだ講和条約。ハンガリーは領土の3分の2を失った。
  • ハンガリー
    第一次世界大戦終結に伴い1918年に共和国として独立。1919年、ソヴィエト尾政権を目指してハンガリー革命が起こったが、軍によって鎮圧され、ホルティの独裁政治のもとで形式的に王国となる。
  • セーヴル条約
    1920年、第一次世界大戦後のオスマン帝国と連合国の講和条約。オスマン帝国の領土の大半が分割される内容に反発が強まり、トルコ革命の後、トルコ共和国によって破棄されて、新たに1923年にローザンヌ条約を締結する。
  • オスマン帝国
    20世紀に入ってもなお命脈を保っていたが、1908年に青年トルコ革命が起こり、立憲君主制となる。しかし青年トルコ政権は軍事独裁に陥り、第一次世界大戦への参戦に踏み切る
  • 委任統治
    第一次世界大戦後、国際連盟のもとで一定の地域の統治権を有力国に委任すること。実質的に植民地支配と同じだった。第二次世界大戦後の信託統治との違いに注意。
  • オスマン帝国領の分割案
    イギリス、フランス、イタリアはサンレモ会議の合意を経て、パリ郊外のセーヴルで連合国とオスマン帝国の講和会議を開催し、1920年8月に講和内容をセーヴル条約として押しつけた。それはオスマン帝国に対する、事実上の解体、主権の喪失を含む苛酷な講和条件を含んだ
  • 国際連盟
    第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和条約の規定によって1920年に設立された、世界最初の国際平和維持機構。集団安全保障の理念による国際協調の推進、地域紛争の解決などで大きな役割をはたしたが、大国アメリカの不参加、ドイツとソ連の不参加(両国は途中で参加)などのため、充分な機能を発揮することができず、特に世界恐慌後のファシズムの台頭の結果、日本・ドイツ・イタリアが脱退、第二次世界大戦を阻止することはできなかった。しかしその理念は国際連合に引き継がれた。
  • アメリカの国際連盟不参加
    ウィルソン大統領がヴェルサイユ条約に盛り込んだ国際連盟の提案に対し、議会が孤立主義の外交原則の維持を主張して反対したため、参加できなかった。
  • 国際労働機関
    国際労働機関/ILO/フィラデルフィア宣言ヴェルサイユ条約で設立された国際連盟の外部機関として発足し、国際連合に継承され、その最初の専門機関となった。1969年にノーベル平和賞を受賞した。
  • 常設国際司法裁判所
    常設国際司法裁判所(PCIJ)国際連盟の外部機関として1920年に設けられた国際紛争の解決のための機関。第二次世界大戦で、国際連合のもとでの国際司法裁判所に継承された。
  • ヴェルサイユ体制
    第一次世界大戦後、パリ講和会議で1919年に成立したヴェルサイユ条約のもとでの国際体制。ドイツ軍国主義の再興を防止するとともに、社会主義の台頭に対する資本主義諸国の結束を意図した。しかし敗戦国ドイツでは領土縮小、軍備制限など苛酷な処置に対する不満が強く、1930年代にヴェルサイユ体制打倒を掲げるナチスが台頭した。またアメリカ・ソ連が国際連盟に加盟しなかった(ソ連は1934年に加盟)ことにより、軍縮などの課題に取り組むことが不十分であったため、1936年には実質的に崩壊し、1939年には第二次世界大戦が勃発した
  • ダンツィヒ
    バルト海に面した海港都市で中世ではドイツ人が支配するハンザ同盟都市として繁栄した。15世紀にポーランド領に復し、貿易港として繁栄が続いた。第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約では国際連盟管理下の自由市とされた。実際にはポーランドが管理していたが、1939年ヒトラーのドイツがその割譲を要求、第二次世界大戦の勃発に至った。戦後、ポーランド領に復してからはグダンスク(グダニスク)という。
  • ワシントン会議
    1921~22年の海軍軍縮と太平洋・中国問題に関する国際会議。アメリカの主導のもと、海軍軍縮、中国に関する九ヵ国条約、太平洋に関する四国条約などが成立して国際協調の成果とされ、ヴェルサイユ体制とともに戦間期の国際秩序となった。日本は海軍軍拡が制限され、山東半島の権益を放棄するなど中国進出を抑制された。
  • ハーディング
    アメリカ合衆国、1920年代初頭の第29代大統領。ワシントン会議の提唱した。
  • ワシントン海軍軍備制限条約
    1922年、ワシントン会議の結果成立した海軍軍縮条約。主力艦の総トン数比率を、米・英・日・仏・伊の間で、5:5:3:1.67:1.67と定めた。日本では軍部の反対が根強く、戦時体制が強まる中、1934年12月に破棄した。
  • 九カ国条約
    1922年、ワシントン会議で成立した中国に関する国際条約。中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等の原則を定め、ワシントン体制を構成した。調印した日本は二十一カ条要求で得た山東権益を返還した。その後も日本の中国侵出を抑える働きをもったが、日本は事実上、条約を無視するに至る。
  • 四カ国条約
    1921年、ワシントン会議で成立した太平洋地域に関する日本・アメリカ・イギリス・フランス4国間の条約。太平洋地域の現状維持と、日英同盟の破棄を決めた。アメリカ主導の国際協調の成果とされたが、日本の進出は抑えられることとなった。
  • 日英同盟の破棄
    1902年、イギリスと日本が締結した二国間同盟。中国・韓国における権益を相互に認め、アジアにおけるロシアの膨張に備えることを共同の目的としした。イギリスにとっては「光栄ある孤立」の外交姿勢を破棄したことを意味し、日本にとっては初の軍事同盟を締結してアジアでの優位を獲得することが狙いであった。その後、3次にわたって改訂され日露戦争、第一次世界大戦で重要な役割を担ったが、国際協調外交の高まる中で開催されたワシントン会議の結果、1921年末に四ヵ国条約で破棄された。
  • ワシントン体制
    ヴェルサイユ体制を補完するワシントン会議で成立したアジア・太平洋地域の枠組み。1931年、日本の満州事変で崩壊した。
  • オスマン帝国(7)
    14~20世紀初頭まで存在したイスラム教スンナ派の大帝国。小アジアからバルカン半島、地中海にも進出、君主であるスルタンが教主カリフの地位を兼ねる体制をとり、イスラーム教世界の盟主として16世紀に全盛期を迎え、ヨーロッパ=キリスト教世界に大きな脅威を与えた。17世紀末からヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立などによって領土を縮小させ、次第に衰退してた。19世紀、近代化をめざす改革に失敗、第一次世界大戦でドイツと結んだが敗れ、1922年に滅亡した。
  • ギリシア
    ギリシア王国は第一次世界大戦に連合国側で参戦。戦後、トルコの領土を侵犯し、ギリシア=トルコ戦争となる。
  • イズミル/スミルナ
    小アジア西岸、イオニア地方のギリシア人が居住した商業都市。ギリシア名ではスミルナと言った。オスマン帝国以来、その支配を受ける。トルコ共和国独立に際し、1919年にギリシア軍が侵攻したが、22年にトルコが奪回、現在はトルコ領である。
  • ギリシア=トルコ戦争
    第一次世界大戦後の1919年5月~22年、ギリシアがトルコのイズミル(スミルナ)に侵攻した戦争。トルコが撃退に成功してイズミルを奪回。戦争を指導したムスタファ=ケマルの主導権が確立し、トルコ革命を完成させる。
  • ローザンヌ条約
    第一次世界大戦後の連合軍とトルコ共和国との間で、1923年に調印された条約。セーヴル条約を破棄し、トルコは国土保持に成功した。
  • フィウメ
    アドリア海に面した港町。イタリア人住民が多かったが1919年、第一次世界大戦後のパリ講和会議でセルブ=クロアート=スロヴェーン王国領とされたことに対し、イタリア人の作家ダヌンツィオが義勇兵を率いて占領するという事件がおこった。1924年にイタリアのムッソリーニが併合を強行した。第二次世界大戦後にクロアチア領とされたた。現在のリエカ。
  • ドイツ賠償問題
    第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約でドイツに課せられた1320億マルクにのぼる賠償金の支払い問題。イギリス・フランスはドイツからの賠償金をアメリカへの戦債返還に充てた。ドイツの賠償金は高額に上り支払いが困難で滞ったため、フランスは代償として1923年にルール占領を行うなど再び戦争の危機となったが、1924年にドーズ案などアメリカ資金の提供と賠償額の減額がなされ解決に向かった。しかし世界恐慌によって資金が循環できなくなり、また賠償金支払いを拒否するナチスが台頭したため、1930年代に未解決のまま事実上消滅した。
  • ジェノヴァ会議
    1922年4月、第一次世界大戦後の最初のヨーロッパ経済復興国際会議。ドイツなど敗戦国も出席、またソヴィエト政権も初めて国際会議に出席した。ここで接触したドイツとソヴィエト政権は別個にラパロ条約を締結、国交を開いた。
  • ルール占領
    ドイツ西北部のライン河畔、大炭鉱地帯。1923年、フランスとベルギーがドイツの賠償金不払いを理由に出兵して占領した。翌1924年、ドーズ案が受け入れれたことによって撤退した。
  • ロカルノ条約/ロカルノ体制
    1925年、イギリス・フランス・ドイツなどヨーロッパ7ヵ国が締結した地域的集団安全保障条約。第一次世界大戦後の懸案であったフランス・ベルギーとドイツの間の国境地帯(ラインラント)の不可侵などを定め、翌年、条約発効条件としたドイツの国際連盟加盟が実現した。この国際協調によって実現した集団安全保障体制をロカルノ体制という。しかし体制に加えられなかったソ連は反発した。1929年の世界恐慌以降、ドイツに反ロカルノ体制を掲げるナチスの勢力が台頭、1936年2月、ヒトラー政権はロカルノ条約を破棄、ラインラントに進駐、ロカルノ体制は崩壊した。
  • ドイツの国際連盟加盟
    ドイツはロカルノ条約を締結したことにより、1926年に国際連盟加盟が実現した。
  • ジュネーヴ海軍軍縮会議
    1927年に米英日三国で開催された海軍軍縮に関する会議。ワシントン会議での主力艦に続き、海軍の補助艦艇の制限を目的としたが、米英が対立、決裂し、成果はなかった。
  • 不戦条約/パリ不戦条約/ブリアン=ケロッグ協定
    1928年、フランスのブリアンとアメリカのケロッグが提唱して実現した戦争を否定する初の国際条約。ソ連、ドイツ、日本も含む15カ国が調印。戦争放棄の理念は日本国憲法の源流となった。
  • ロンドン会議/ロンドン軍縮会議
    1930年、ワシントン会議に続く海軍軍縮のための国際会議。米英日三国間の補助艦の比率をほぼ10:10:7と定めた。1936年に日本は会議を脱退し、会議は期限切れとなって消滅した。
  • ロイド=ジョージ挙国一致内閣
    20世紀初頭、イギリス自由党の政治家。蔵相として社会保険法、人民予算の実現、議会法制定などで国政で実績を上げ、第一次世界大戦期には挙国一致内閣の首相として戦争を指導し、パリ講和会議では対ドイツ強硬論を主張した。アイルランド問題の解決にあたり、北アイルランドの分離に踏み切った。
  • 選挙法改正(第4回)
    イギリスで1918年に行われた、女性選挙権(条件付きだが)、男性普通選挙を実現した改正。有権者が一挙に2000万人となり、労働党が議会に進出した。
  • 女性参政権/男女平等参政権
    19世紀末のニュージーランドを始め、20世紀初頭に西欧に広がった。イギリスでは第一次世界大戦末期の1918年に女性参政権(30歳以上)が認められ、28年に男女平等(21歳以上)となった。アメリカでは1920年に憲法修正19条として女性参政権が認められた。日本では大正デモクラシーの時期に運動が始まったが、実現したのは第二次世界大戦後の1945年の改正選挙法によってであり、1946年に初めて実施され女性代議士が生まれた。
  • イギリスの女性参政権
    1860年代のJ=S=ミルの提唱から女性参政権を要求する運動が始まり、穏健派と過激派の2グループで運動が展開された。第一次世界大戦末期の1918年に30歳以上の戸主の女性に参政権が与えられ、28年に男女平等(21歳以上)の普通選挙権となった。
  • 選挙法改正(第5回)
    イギリスで1928年に、21歳以上の女性に選挙権が認められ、選挙権の男女平等が実現した。翌年の総選挙で労働党が第一党となった。
  • マクドナルド
    イギリス労働党の指導者。1924年、イギリス初の労働党内閣を組織。30年代まで何度か組閣した。
  • マクドナルド労働党内閣
    1906年に正式に政党となったイギリスの社会民主主義政党。1924年に自由党と連立で政権獲得。その後、自由党に代わって保守党に対抗する政党となり、第二次世界大戦後はたびたび政権を担当した。
  • アイルランド自由国
    第一次世界大戦中の1916年、アイルランド独立を掲げたイースター蜂起が起こるも弾圧された。その後に急速に支持を集めたシン=フェイン党が選挙で勝利し、アイルランド共和国の独立を宣言したが、それを認めないイギリスとの間で1919年からのイギリス=アイルランド戦争となった。1920年にイギリスのロイド=ジョージ内閣はアイルランド統治法(分断法)を制定、北アイルランド6州をイギリス領として一定の自治を与え、それ以外の26州にはイギリス帝国を構成する自治国として実質的独立を認めるとした。翌1921年、イギリス=アイルランド条約で講和し、26州はアイルランド自由国ととして独立したが、運動の中心であったシン=フェイン党は分裂し、こんどは内戦となった。
  • 北アイルランド/アルスター地方
    アイルランド島北部でプロテスタント住民の多い地域。1920年に北部アイルランドのアルスター地方の一部6州が南部26州から分離、イギリスの一部として連合王国を構成することとなった。多数派であるプロテスタントによる少数派であるカトリック教徒への差別が続き、1970~60年代には激しい両派のテロが繰り返された。1998年、ようやく和平が合意され、その後も紛糾しながら、武力対立は解消されている。
  • デ=ヴァレラ
    アイルランドの独立運動家、政治家。1916年のイースター蜂起、1919年からのイギリスとの戦争、1922年からの内戦のいずれにおいても、アイルランドの完全独立を掲げて戦った。1921年のイギリスとの妥協によるアイルランド自由国には反対し、ながく抵抗運動を続け、1932年に政権に就き、1937年に憲法を改正してイギリス国王との関係を廃止して実質独立を実現、国号をエールに変更した。
  • イギリス帝国会議
    1907年、それまでのイギリス植民地代表を集めた植民地会議を改称、自治領となった植民地のなかの白人統治地域を実質的な独立国家として扱いながら、イギリス本国との関係を強化するために開催された。1911年から不定期に開催、1926年にウェストミンスター憲章によってイギリス連邦会議に改称した。
  • ウェストミンスター憲章
    イギリス帝国会議において1926年に規定された、イギリス本国と各自治領が対等な主権を認めたうえで、イギリス連邦を構成することを定めた憲章。1931年に法律化され、発足した。これによってイギリス帝国体制は白人入植植民地であったドミニオンによって構成されるコモンウェルスとそれ以外の植民地からなる二重構造となった。
  • イギリス連邦/英領コモンウェルス
    1931年のウェストミンスター憲章で成立した、イギリス本国と旧植民地である自治領を結ぶ緩やかな連合体。当初は本国と白人自治領から構成されていた(第一連邦)が、第二次世界大戦後は、多人種国家共同体となり(第二連邦)、本国との関係も希薄となった。
  • ポワンカレ
    フランス第三共和政、第一次世界大戦の前後に首相を務め、対独強硬論を主張し、ルール占領を強行した。
  • ドイツ共和国/ヴァイマル共和国
    1918年11月、ドイツ革命で共和政国家が成立。翌1919年、ヴァイマル議会で憲法が制定され、ヴァイマル共和国と言われ、1933年のナチス政権成立まで続く。
  • ドイツ社会民主党
    ドイツ社会主義労働者党が1890年に合法化されて改称した。社会主義政党として勢力を増大させ第2インターナショナルの中心となった。1912年には第一党となったが、第一次世界大戦に反対せず、戦争末期に分裂した。大戦後、ヴァイマル憲法下で政権を担当したが、30年代に入りナチスが台頭、ナチス政権が成立すると非合法に追い込まれた。
  • キール軍港の水兵反乱
    1918年11月、第一次世界大戦末期のドイツで起こった水兵の反乱。戦争の即時休戦を要求し、ドイツ革命の口火を切った。
  • ドイツ革命
    大戦末期の1918年11月、キール軍港の水兵反乱を機に兵士・労働者が蜂起し、皇帝が退位しドイツ共和国臨時政府が成立した。社会民主党左派のスパルタクス団はドイツ共産党と改称し、一気に社会主義革命への転換を図って蜂起したが、19年1月、社会民主党の握る臨時政府によって弾圧され失敗に終わり、同年2月に穏健な議会制と資本主義経済をかかげるヴァイマル共和国が成立した。
  • 労兵評議会/レーテ
    1918年11月、キール軍港の水兵反乱から全国に波及した労働者と兵士の協議会。革命運動の挫折によって消滅した。
  • スパルタクス団
    ドイツ社会民主党の左派が結成した革命集団。第一次世界大戦末期にドイツ革命に際し、ドイツ共産党に改称し、社会主義革命を目指したが失敗した。
  • ドイツ共産党
    1918年12月にスパルタクス団が改称。1919年1月の武装蜂起に失敗した後、1920年代にはコミンテルンに属し革命をめざしたがいずれも失敗した。
  • ローザ=ルクセンブルク
    ドイツ社会民主党左派の理論家でスパルタクス団を結成。1919年、ドイツ革命の渦中に殺害された。
  • リープクネヒト
    カール=リープクネヒトはドイツ社会民主党左派の理論家で第一次世界大戦に反対し、1916年、スパルタクス団を結成。1919年、ドイツ革命に失敗し、殺害された。
  • ドイツ共和国
    1918年11月、ドイツ革命で共和政国家が成立。翌1919年、ヴァイマル議会で憲法が制定され、ヴァイマル共和国と言われ、1933年のナチス政権成立まで続く。
  • ヴァイマル憲法/ワイマール憲法
    1919年ドイツ共和国(ヴァイマル共和国)で制定された民主的な憲法。当時もっとも先進的な人権規定をもっていたが、ナチズムの台頭によって1930年代初頭に効力を失った。
  • ヴァイマル共和国/ワイマール共和国
    1919~33年までのドイツ共和国の通称。ヴァイマル憲法下の国家を言う。第一次世界大戦の敗戦国としてヴェルサイユ体制を受容するという苦境を克服、国際社会への復帰を果たしたが、世界恐慌でさらに苦境に立つ中で反ヴェルサイユ体制を主張するヒトラーに指導されたナチスが台頭、1933年に成立したナチス政権によって憲法、議会制度、言論の自由などが奪われ、崩壊した。
  • エーベルト
    ドイツ社会民主党の指導者でドイツ共和国(ヴァイマル共和国)初代大統領。
  • インフレーション
    通貨量の増加から起こる物価騰貴のことであるが、世界史上は第一次世界大戦後の1923年にドイツで起こったインフレが重要。
  • シュトレーゼマン
    第一次世界大戦後のドイツ・ヴァイマル共和国の国民自由党出身の政治家。1923年、首相となり、インフレを克服して賠償問題での履行政策をとり、さらに20年代の国際協調外交を推進した。
  • レンテンマルク
    1923年、ドイツのシュトレーゼマン内閣がインフレ解消のために発行した新通貨。
  • 賠償問題
    第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約でドイツに課せられた1320億マルクにのぼる賠償金の支払い問題。イギリス・フランスはドイツからの賠償金をアメリカへの戦債返還に充てた。ドイツの賠償金は高額に上り支払いが困難で滞ったため、フランスは代償として1923年にルール占領を行うなど再び戦争の危機となったが、1924年にドーズ案などアメリカ資金の提供と賠償額の減額がなされ解決に向かった。しかし世界恐慌によって資金が循環できなくなり、また賠償金支払いを拒否するナチスが台頭したため、1930年代に未解決のまま事実上消滅した。
  • ドーズ案
    1924年に出された、アメリカ人のドーズの提案によるドイツの賠償の支払金額減額による解決案。
  • ヤング案
    1929年に出された、ドーズ案に続くドイツ賠償問題解決のための返済期間延長案。
  • ローザンヌ会議
    1932年、世界大戦のドイツの賠償問題と英仏の対米戦債問題について開催された国際会議。ドイツの賠償金総額を30億金マルクに減額し、事実上賠償問題は打ち切られた。
  • ヒンデンブルク
    第一次世界大戦で活躍したドイツの将軍。大戦後の1925~34年、ドイツ共和国大統領。ヴァイマル憲法下で大統領権限を行使し、1933年、ヒトラーを首相に任命した。
  • ヒトラー
    アドルフ=ヒトラー(1889~1945) 第一次世界大戦後のドイツでヴェルサイユ体制打破、ユダヤ人排斥、反共産主義主義を掲げてナチス党を指導、国民的支持を受けて1933年に政権を獲得。以後、独裁政権を樹立してファシズム態勢を固め、生存圏の拡張を掲げて近隣への侵略を開始し、1939年の第二次世界大戦の要因を作った。イタリア・日本との枢軸国を結成してアメリカ・イギリス・ソ連などの連合国と戦ったが全面的な敗北となり、1945年5月に自殺し、ドイツも敗戦国となった。
  • ソヴィエト=ポーランド戦争
    1920年4月からのソヴィエト=ロシアとポーランド間に起こった戦争。第一次世界大戦後に独立を回復したポーランドで独裁的な権力をにぎったピウスツキが、かつてのポーランド領の回復を目指し、ソ連領のウクライナ・ベラルーシに侵攻、一時は赤軍を圧倒したが、反撃されワルシャワ目前まで迫られた。1920年8月、ヴィスワ川の戦いで反撃し、ソ連を休戦に追いこみ、東部に広大な領土を獲得した。
  • ピウスツキ
    ポーランドで独立運動を指導し、第一次世界大戦後に独立を実現し大統領となる。1920年、ソヴィエト=ポーランド戦争をしかけ、一時は危機に陥ったがヴィスワの戦いで反撃に転じ、ソヴィエト軍を講和に追いこみ、東方で国土を拡張し、その後長期にわたり独裁的権力をふるった。
  • ハンガリー
    第一次世界大戦終結に伴い1918年に共和国として独立。1919年、ソヴィエト尾政権を目指してハンガリー革命が起こったが、軍によって鎮圧され、ホルティの独裁政治のもとで形式的に王国となる。
  • ハンガリー革命
    1919年のコミンテルンの指導の下、クン=ベラら共産党が社会主義を目指したが、ホルティ将軍の国民軍によって倒され、失敗した。
  • クン=ベラ
    1919年のハンガリー共産主義革命の指導者。ロシア亡命後、処刑。
  • ホルティ
    1919年、国民軍を組織しハンガリー革命を弾圧、権威主義体制といわれる独裁政治を行った。
  • セルブ=クロアート=スロヴェーン王国
    第一次世界大戦後の1918年、南スラヴ三民族(セルビア人、クロアティア人、スロヴェニア人)によって作られた国家。1929年にユーゴスラヴィア王国となる。民族間の対立が続いた。
  • ユーゴスラヴィア王国
    第一次世界大戦末の1918年、セルビアを中心に、南スラブ系の諸民族を統合して成立したセルブ=クロアート=スロヴェーン王国が1929年にユーゴスラヴィア王国に改称。第二次世界大戦では1941年、ドイツ軍の侵攻により消滅。第二次大戦後の1945年にユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国を建国したが、1991年から分離独立が始まり、2006年に消滅した。
  • 小協商
    戦間期の1920~21年、ユーゴ、チェコスロヴァキア、ルーマニア三国が結んだ安全保障体制。
  • チェコスロヴァキア共和国
    チェック人の居住するボヘミアとその東のスロヴァキアは、長くハプスブルク家領としてオーストリア=ハンガリー帝国に支配されていた。
  • マサリク
    チェコスロヴァキア共和国の初代大統領。チェコ人のプラハ大学の哲学教授で、チェコスロヴァキア共和国の初代大統領(1920~35年)
  • ルーマニア
    1916年に連合国側として第一次世界大戦に参戦し、戦後に領土を拡大した。ファシストのアントネスクが独裁権力を握りドイツに接近、第二次世界大戦に枢軸側として参戦した。
  • ブルガリア
    ブルガリア王国は第一次世界大戦ではセルビア・ロシアに対する敵対心からドイツなどの同盟国側で参戦し、敗北した。
  • イタリア(7)
    領土拡張が認められなかったことからヴェルサイユ体制への不満が強まり、また戦後の不況の中で社会的不満が高まる中、ムッソリーニの率いるファシスト党が勢いを増し1922年に権力を獲得、ファシズム体制が成立する。
  • ファシスト党
    第一次世界大戦後の1920年、北イタリアで社会主義者らによるストライキが起こると、それに反発してファシストと言われる反社会主義武装集団が組織された。それ以前に「戦闘ファッシ」を指導していたムッソリーニが次第に運動の主導権を握り、1921年10月、ムッソリーニを最高指導者とする全国ファシスト党が結成された。1922年のローマ進軍を契機に成立したムッソリーニ内閣のもと、1923年には第1党となり、1925年には唯一の合法政党として独裁権をにぎってファシズム国家を形成した。ファシスト党は、資本家・地主層に支持され、共産主義撲滅を捧げ、ナチス=ドイツと枢軸国家を形成したが、第二次世界大戦の敗北によって消滅した。
  • ムッソリーニ
    イタリアのファシズム指導者。第一次世界大戦後ファシスト党を組織し、1922年に政権を獲得。1935年ヒトラーと提携し、枢軸国を形成、第二次世界大戦に参戦したが、形勢不利のうちに1945年4月、ミラノで民衆に惨殺された。
  • イタリア社会党
    イタリアの社会主義政党。第一次世界大戦後の1919~20年の北イタリアのストライキを組織したが、分裂し、ファシズムの進出を阻止できなかった。
  • 北イタリアのストライキ
    第一次世界大戦後の経済危機が深刻になる中、1919~20年にかけて、イタリア社会党が指導した工場占拠などを含む激しい運動。
  • ローマ進軍
    1922年10月、ファシスト党員が武装してローマに進軍し中枢部を占領、国王は内閣を罷免してムッソリーニに組閣を命じ、ファシスト政権が成立した。
  • ファシズム
    イタリアなど帝国主義の後進地域に生まれた全体主義国家。ドイツのナチス、日本の軍国主義なども該当する。1930年代に侵略行為を展開し、第二次世界大戦の要因をつくった。1945年、敗戦とともに主要なファシズム国家は消滅した。
  • アルバニア併合
    第一次世界大戦後、イタリアの委任統治を経て再独立。政治的混乱から独裁政権が生まれ、1926年からは事実上ムッソリーニのイタリアの保護国となる。1939年にイタリアに併合された。
  • ラテラノ条約
    1929年、イタリアのムッソリーニ政権とローマ教皇庁の間の条約。ヴァチカン市国の独立を認めた。
  • ヴァチカン市国
    1929年、ムッソリーニ政権とのラテラン条約でイタリアから分離して国家となったローマ教皇居住区。一個の独立した主権国家として諸外国と外交関係をもつ。
  • スペイン
    スペインは第一次世界大戦では中立の立場を取り参戦しなかった。国内の工業化は進んだが、植民地モロッコの反乱、労働問題が深刻となり、その反動として1923年~1930年には王政のもとでのプリモ=デ=リベラの独裁的傾向の政治も登場した。一方、王政や独裁政治に反対し共和政を求める声が強まり、1931年にスペイン革命によってスペイン共和国(第二共和政)が誕生する。しかし、資本家・軍部と結んだ保守派と、労働者の支持する共和派の対立はなおも激しくなっていく。
  • プリモ=デ=リベラ
    モロッコの危機の打破を国内に軍事政権を樹立することで打開しようとした軍人のプリモ=デ=リベラは1923年9月12日夜、カタルーニャに戒厳令を布き、臨時軍政府の樹立を宣言した。立憲君主政下の政府がテロリストと分離主義者を放置し、社会的混乱を招いたとして議会と政党、政府を非難し、憲法を停止して議会を解散するという強硬手段に出たのだったが、国王アルフォンソ13世はそれを容認し政府を守らなかった。こうして実質的な軍事独裁政権が成立した。
  • レーニンの死
    1924年に死去。その死後、共産党の主導権はトロツキーとスターリンが争い、スターリンが継承した。
  • スターリン
    ジョージア(グルジア)出身の古参ボリシェヴィキ。レーニンから権力を継承し、1922年、ソ連共産党書記長となる。1924~1953年、ソ連の独裁的権力を握る。一国社会主義の立場を取り、五カ年計画を推進して工業・農業の集団化を進め、トロツキーなど反対派を次々と排除、粛清し個人崇拝を強める。1938年には宥和政策をとる英仏に反発してナチス=ドイツと不可侵条約を締結、第二次大戦勃発とともにポーランド、フィンランドに侵攻。しかし、1941年6月、独ソ戦に突入、大祖国戦争といわれる多大の戦死者を出すも、スターリングラードの戦いを守り抜いてから反攻に転じた。イギリスのチャーチル・アメリカのF=ローズヴェルトとも会談を重ね連合国の一翼として戦い、45年5月、ドイツ降伏に追いこむ。大戦中も権力集中を強め、戦後はアメリカとの東西冷戦を主導し、東側諸国を統制した。アジアでは国共内戦での中国共産党、朝鮮戦争での朝鮮労働党の支援を通じ、社会主義の浸透に勤めた。1953年に死去、1956年にはフルシチョフ第一書記によるスターリン批判が行われた。
  • 一国社会主義論
    1925年以降、スターリンが提唱した、ソ連一国での社会主義国家建設を可能とする革命路線。
  • トロツキー
    第2次ロシア革命の指導者。外務人民委員としてドイツとの講和条約であるブレスト=リトフスク条約の交渉に当たった。また外国の革命干渉、国内の反革命軍から革命を防衛する赤軍の創設に関わり、軍事指導者として活躍した。レーニン死後は主導権をスターリンと争い、世界革命を主張して一国社会主義を批判、ソヴィエト政権を追放され亡命生活に入り、1940年にメキシコで暗殺された。
  • 世界革命論/永続革命論
    共産主義革命路線としてロシアの枠を越えた世界革命をめざし、永続的な革命を想定した当初のレーニンの主張で、トロツキーに継承された。スターリンの一国社会主義路線の台頭によって否定された。
  • 五カ年計画(第1次・ソ連)
    1928年から、ソ連のスターリンが指導した社会主義国家建設計画。工業の重工業化と農村の集団化が強行された。
  • コルホーズ
    ソ連の第1次五カ年計画から推進された、集団農場のこと。土地・農具を共同所有し共同作業によって生産した。農民は一定の私有地を持つことは出来た。一切の私有地のないソフホーズ(国営農場)とは異なる。
  • ソフホーズ
    ソ連の社会主義農業の経営形態の一つで、国営農場のこと。
  • アメリカ合衆国(6)戦間期
    第一次世界大戦後、国際連盟には加盟しなかったが、特に1920年代に世界一位の経済大国として発展。しかし、その反動から1929年に世界恐慌となる。
  • アメリカの女性参政権
    1860年代から女性参政権実現の運動が始まったが、ようやく1911年から州ごとに実施され始め、第一次世界大戦後の1920年、合衆国憲法修正19条が発効してアメリカ全土で実現した。
  • ジャネット=ランキン
    アメリカ最初の女性議員 ジャネット=ランキン
    Jeannett Rankin 1880-1978
    モンタナ州のジャネット=ランキンはワシントン州での女性参政権運動に参加して経験を積み、1911年にモンタナ州で州議会に訴え、1914年11月にそれを実現させた。
  • 共和党
    共和党が革新主義の台頭によって分裂したため、民主党のウィルソンが大統領となり、共和党は下野した。しかし議会では多数を占め、伝統的な孤立主義に立って国際連盟加入などの提案を拒否した。大戦後は「平常への回帰」を主張して政権に復帰、1920年代の繁栄の時代を迎えた。しかし1929年の大恐慌に対して無策であったことから1933年に下野し、それ以後は第二次世界大戦後のアイゼンハウアーまで長い野党時代を経ることとなった。
  • ハーディング
    アメリカ合衆国、1920年代初頭の第29代大統領。ワシントン会議の提唱した。
  • クーリッジ
    アメリカ合衆国第30代大統領。共和党。1920年代の経済繁栄の時期にあたっていた。
  • フーヴァー
    アメリカ合衆国第31代大統領。共和党。世界恐慌の発生に直面したが、当初は自由放任の原則から対策を立てなかった。1931年にフーヴァ=モラトリアムを発したが時機を失していた。
  • 自動車
    ドイツ人のダイムラーがガソリン・エンジンを4輪車を搭載して1886年に実用化した。1909年、アメリカでフォードが大量生産を開始。1913年にベルトコンベア=システムを導入して低価格化に成功して自動車の大衆化を実現した。
  • フォード
    アメリカの「自動車王」。1909年、T型フォードの大量生産を開始。1913年にベルトコンベア=システムを導入して低価格化に成功して、自動車の大衆化を実現した。
  • 大量生産・大量消費
    20世紀前半、アメリカ資本主義は工業化が急速に増大した。アメリカ合衆国の1920年代の経済成長の中で、大量生産・大量消費が行われ、アメリカ人は物質的な豊かさを経験した。
  • 現代大衆文化
    1920年代にアメリカの大量消費時代の民衆文化の展開。現代大衆文化の成立した時期とすることもできる。
  • ラジオ
    1920年代アメリカに始まった新しい大衆伝達手段。
  • ワスプ/WASP
    イギリス系白人でプロテスタントと言う、アメリカ社会の中枢を為す社会層。この層がアメリカ社会で優位に立つべきであるという思想が、黒人やインディアン、さらに南欧・東欧系、アジア系移民を低く見る人種主義がアメリカで根強い。
  • 禁酒法
    1920年代のアメリカで実施された、酒類の製造・販売・流通を禁止制限する法律。1933年まで存続した。
  • サッコ=ヴァンゼッティ事件
    1920年アメリカで、アナーキストであるイタリア系移民の二人が、強盗殺人の罪で処刑された事件。
  • 移民法
    アメリカ合衆国で移民制限を図るためにたびたび制定された法。1882年には中国人移民を禁止し、1924年の移民法では南・東欧系移民の数を制限するとともに、日本人移民は禁止し、排日移民法とも言われた。第二次世界大戦後の1965年に移民制限は廃止されたが、アメリカでの移民問題は現在も政治課題として続いている。
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