1742 2024年11月05日 カード209 いいね2

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単語カード

  • 源頼朝は打倒の挙兵後まもなく、東国を中心に自己の権力基盤の確立を図ったが、頼朝が本拠地としたのはどこか(国名、地名)
    相模、鎌倉
  • 1063年、前九年合戦の後、源頼義が石清水八幡宮を勧請し、のちに鎌倉幕府の守護神として尊崇された神社を何というか。
    鶴岡八幡宮
  • 後白河法皇が源頼朝に、東海・東山の両道の支配権を認めた宣旨を何というか
    寿永二年十月宣旨
  • 1185年、源頼朝が源義経追捕を理由として国ごとに設置したものは何か。
    守護
  • 鎌倉時代における守護の権限を3つ
    ・京都大番役の催促
    ・謀叛人の逮捕
    ・殺害人の逮捕
  • 当時の守護に認められていた権限をまとめてなんというか
    大犯三カ条
  • 1185年、源頼朝が諸国の公領・荘園に設置することを朝廷に認めさせた、土地管理・年貢徴収・治安維持の任務を持つ役職を何というか
    地頭
  • 鎌倉幕府の機構のなかで、1180年におかれた御家人の統率、軍事・察の任にあたった機関は何か。
    侍所
  • 侍所の初代長官(=別当)
    和田義盛
  • 1184年におかれた、幕府の一般政務や財政をつかさどる機関は何か。
    公文所
  • 公文所の初代長官(=別当)
    大江広元
  • 1184年におかれた、幕府の訴訟・裁判処理機関は何
    か。
    問注所
  • 問注所の初代長官(=執事)
    三善康信
  • 1190年と1192年に源頼朝が就任した官職を順にあげよ。
    1190年→右近衛大将(うこのえたいしょう)
    1192年→征夷大将軍
  • 鎌倉時代に将軍と主従関係を結んだ武士を何というか。
    御家人
  • 御家人以外の武士
    非御家人
  • 将軍と御家人の主従関係は、将軍の与える恩恵と御家人側の奉仕義務とによって結ばれたが、この恩恵と奉仕義務をそれぞれ何というか。
    御恩と奉公
  • 御恩のうち、父祖伝来の領地の保持を認めるものを何というか。
    本領安堵
  • 御恩のうち、功績によって新たな領地を与えることを何というか。
    新恩給与
  • 一般に土地の給与を通じて結ばれている主従関係を何とよぶか。
    封建制度
  • 御家人の奉仕義務のうち、御家人が交代で担当し、内裏や院御所の警護にあたった番役
    京都大番役
  • 御家人の奉仕義務のうち,御家人が交代で担当し、鎌倉の将軍御所の警備にあたった番役
    鎌倉番役
  • 御家人の奉仕義務のうち、惣領が一族を率いて戦時
    に出陣・参戦すること
    軍役
  • 鎌倉幕府の経済的基盤のうち、鎌倉殿(将軍)が本所(荘園領主)として支配した荘園
    関東御領
  • 鎌倉幕府の将軍の知行国
    関東知行国(関東御分国)
  • 源頼朝の死後、政所・侍所の別当を兼ねた北条氏が鎌倉幕府の実権を握ることになった。この政治形態を何というか。
    執権政治
  • 源頼朝の死後に将軍職を継いだ人物
    源頼家
  • 執権に最初に就任した人物
    北条時政
  • 石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから侍所の所司として重用されたが、頼朝の死後、御家人たちに弾劾されて失脚した有力御家人
    梶原景時
  • 2代将軍の外戚として権勢を得たが、北条氏追討に失敗し、1203年に北条時政に殺された人物
    比企能員
  • 源頼家は北条氏と対立し、1204年に暗殺されたが、その場所はどこか。
    伊豆の修禅寺
  • 鎌倉幕府の3代将軍
    源実朝
  • 父である北条時政を引退させて2代目執権となった人物
    北条義時
  • 1213年に北条義時は、侍所別当であった有力御家人を滅ぼして政所・侍所別当を兼ね、執権の地位を確立した。この時に滅ぼされた御家人はだれか。
    和田義盛
  • 和田義盛が敗死した戦い
    和田合戦
  • 鎌倉幕府成立後、院政を開始して幕府に対する朝廷の勢力を回復させようとする動きの中心になった人物
    後鳥羽上皇
  • 後鳥羽上皇によって、院の新たな武力として設置されたもの
    西面の武士
  • 1219年に、鎌倉幕府の3代将軍を暗殺した、2代将軍の遺児
    公暁
  • 鎌倉幕府の4代将軍として京都の摂関家から迎えられた人物
    藤原(九条)頼経
  • 鎌倉幕府の4代・5代将軍のことを、その出身から何とよんでいるか。
    藤原将軍 / 摂家将軍
  • 源頼朝の妻で、京都から迎えられた幼少の将軍を後見して幕政を裁断し、尼将軍とよばれた人物
    北条政子
  • 後鳥羽上皇による、鎌倉幕府打倒の戦い
    承久の乱
  • 承久の乱の際、諸国に追討の宣旨が発せられたが、その対象となった幕府の執権
    北条義時
  • 承久の乱で東海道を京都に攻め上がった幕府軍の人物(2人)
    北条泰時、北条時房
  • 承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が流された場所
    隠岐
  • 承久の乱に敗れ、佐渡に流された上皇
    順徳天皇
  • 承久の乱に敗れ、土佐、後に阿波に流された上皇
    土御門上皇
  • 承久の乱ののち、幕府により廃された天皇
    仲恭天皇
  • 承久の乱後に廃された仲恭天皇にかわって幕府の意向で即位した天皇
    後堀河天皇
  • 承久の乱ののち、従来の京都守護にかわって、新たに設置された幕府の機関
    六波羅探題
  • 六波羅探題の初代長官(2人)
    北条泰時、北条時房
  • 承久の乱後、朝廷側についた貴族・武士の所領3000余力所が没収され、新たに多数の地頭が任命されたが、この地頭を何とよんでいるか。
    新補地頭
  • 新補地頭に対して、従来の地頭を何とよんだか
    本補地頭
  • 承久の乱後に3代執権となり、執権政治を確立した人物
    北条泰時
  • 北条泰時の時期に新設された、執権の補佐役
    連署
  • 初代の連署
    北条時房
  • 1225年、幕府最高の政務の決定や裁判の裁決にあたる会議が設置されたが、これを構成する役職を何というか。
    評定衆
  • 北条泰時によって制定された、武家の最初の体系的法典
    御成敗式目 / 貞永式目
  • 御成敗式目は何条からなっているか
    51か条
  • 御成敗式目が基準、根拠としたものは、源頼朝以来の先例と、武家社会の何か
    道理
  • 鎌倉幕府の5代執権
    北条時頼
  • 北条時頼が裁判の公正と迅速化をはかるために設置した機関
    引付
  • 引付の役人のこと
    引付衆
  • 執権北条氏の独裁体制が確立したのは、1247年に北条時頼が有力御家人であった三浦一族を滅ほして以降であるが、この戦いを何というか
    宝治合戦
  • 宝治合戦で滅ぼされた三浦家の当主
    三浦泰村
  • 北条時頼は、それまでの将軍にかえて天皇の皇子を6代将軍に迎えたが、このような将軍を何というか。(言い方3つ)
    皇族将軍、親王将軍、宮将軍
  • 北条時頼が6代将軍に迎えた、後嵯峨天皇の皇子
    宗尊親王
  • 鎌倉時代の武士の居館
  • 鎌倉時代の武士が家族や下人などに耕作させた,館近くの年や公事のかからない直営地
    佃(門田・正作・用作)
  • 鎌倉幕府の武士の相続形態は原則どのようなかたちか
    分割相続
  • 鎌倉時代の武士は一門・一家とよばれる同族的な集団をつくっていたが、その首長である景家の長を何といったか。また、その他の人々を何といったか。
    長→惣領・家督
    その他→庶子
  • 惣領は、一門全体の所領の統制権を持ち、戦時にも統率権を持つなど、幕府への軍事勤務やその他の奉公を一門を率いてつとめた。こうした体制を何というか。
    惣領制
  • 鎌倉時代の武士の間で盛んに行われた弓技(3種類)
    笠懸、犬追物、流鏑馬
  • 年や土地をめぐる荘園領主と地頭との紛争の解決策として、地頭に荘園管理のいっさいをまかせ、定額の年貢納入を請け負わせる契約
    地頭請所(地頭請)
  • 荘園領主が現地の土地の相当部分を地頭に分け与え、相互に干渉せず土地・農民を支配すること
    下地中分
  • 13世紀半ば、地頭と領家との間で荘園が分けられた絵図で有名な、京都の松尾神社が伯耆国に有していた荘園の名
    東郷荘
  • 13世紀の初め、大陸北部のモンゴル高原に住むモンゴル諸部族を統合した人物
    チンギス=ハン
  • チンギス=ハンの孫が中国に建てた国(王朝)
  • 元を樹立したモンゴルの皇帝
    フビライ=ハン
  • フビライ=ハンが征服した朝鮮半島の国
    高麗
  • 元の侵入に対して頑強に抵抗した、高麗の王に直属した3編成の精鋭部隊
    三別抄
  • 元軍が日本に襲来した時の鎌倉幕府の8代執権
    北条時宗
  • 最初の元軍の襲来の名前
    文永の役
  • 文永の役の際に元軍が使用した、鋳鉄製の球に火薬を詰めて破裂させた武器
    てつはう
  • 元軍の再来襲に備え、幕府は九州に所領を持つ御家人に課していた北九州沿岸備役を強化したが、この役を何というか。
    異国警護番役
  • 元軍の再来襲に備えた防衛施設として、黄多湾沿岸に築かれた、上陸を防ぐための施設
    防塁(石築地、石塁)
  • 2度目の元軍の襲来の名前
    弘安の役
  • 弘安の役に際し、朝鮮半島南部の合浦から進発した元軍と高麗軍の混成軍
    東路軍
  • 弘安の役に際し、長江の南の慶元から進発した、南宋の降兵が主力の軍
    江南軍
  • 2度に渡る元軍の襲来のこと(言い方2つ)
    蒙古襲来 元寇
  • 蒙古襲来の際に奮戦した肥後国の家人が、武功を子孫に伝えるために描かせた絵巻物
    蒙古襲来絵巻
  • 蒙古襲来絵巻を書かせた御家人
    竹崎季長
  • 鎌倉幕府が蒙古襲来後、西国防備の必要から、北条氏一族を九州に派遣して軍事・行政・裁判の処理にあたらせた職を何というか。
    鎮西探題
  • 鎌倉幕府内部で専制的地位を確立していった北条氏
    の家督を継ぐ嫡流の当主のこと
    得宗
  • 得宗の家の家臣団
    御内人
  • 御内人の中心として幕政の実権を握った者のこと
    内管領
  • 蒙古製来後、御内人と旧来の御家人との対立が激しくなり、有力御家人の一族が滅亡した。1285年におこったこの事件
    霜月事件
  • 霜月事件で滅ぼされた有力御家人
    安達泰盛
  • 霜月事件で安達泰盛家を滅ぼした内管領
    平頼綱
  • 平頼綱が滅ぼされた(平番前の乱)のち、北条氏の専制的な地位ができあがったが、このような政治を何というか。
    得宗専制政治
  • 平頼綱を滅ぼした、9代執権
    北条貞時
  • 鎌倉時代における農業技術の進歩を顕著に示す事例として、同じ土地を年2回耕作することが畿内周辺や西日本各地で行われたが、それは何か。
    二毛作
  • 鎌倉時代には中国から多収穫米が輸入されたが、それは何か。
    大唐米
  • 鎌倉時代には肥料の使用も盛んとなったが、どのようなものが主に使われたか。2つあげよ。
    刈敷、草木灰
  • 鎌倉時代の農耕技術の進歩として普及したこと
    鉄製の農具や牛馬の利用
  • 寺社の門前、荘園や交通の要地で月に数回、一定の日に開かれた市を何というか。
    定期市
  • 鎌倉時代には、定期市は月に3度がふつうになってきたが、これを何というか。
    三斎市
  • 鎌倉時代に河川や港など交通の要地に誕生した、商品の中継ぎと委託販売・運送を行う業者
    問(問丸)
  • 鎌倉時代には、交換経済の発展にともない、それまでの米・布などにかわり、中国との貿易で輸入された貨幣が広く流通し始めた。この貨幣を総称して何というか。
    宋銭
  • 遠隔地間の金銭の輸送、貸借の決済を手形で行う体制ができたが、これを何というか。
    為替
  • 高野山文書には、1275年に、ある荘園で百姓などが地頭の湯浅氏の非法を荘園領主に訴えた有名な訴状があるが、この荘園名をあげよ。
    紀伊国阿抵河荘
  • 鎌倉幕府は、蒙古襲来後の窮乏する家人を救うため、家人の所領の質入れや売買を禁じ、過去に売買したものは無償でとりもどすことができるという法令を出したがこれをなんというか。
    永仁の徳政令
  • 永仁の徳政令が出された時の鎌倉幕府執権
    北条貞時
  • 鎌倉時代中後期に,武力で年貢納入を拒否したり、荘園領主に抵抗する地頭や非御家人の新興武士の動きが幕府をなやますようになる。これらの武士を何とよんだか。
    悪党
  • 平安時代末期から鎌倉時代中期におこった、武士・庶民を対象とした新しい仏教の総称
    鎌倉仏教
  • 美作国の押領使の家に生まれ、初め比叡山で諸学
    を学んだが、1175年に京都でひたすら念仏をとなえることで救われると説き、新しい宗派を開いた人物
    法然(源空)
  • 法然が開いた新しい宗派
    浄土宗
  • ひたすら念仏をとなえることによって極楽浄土に往生できるという、浄土宗の教えを示す語
    専修念仏
  • 浄土宗や浄土真宗などでとなえられる念仏の名号
    南無阿弥陀仏
  • 法然が九条兼実の求めにより、浄土宗の教義を説いた著書
    選択本願念仏集
  • 法然の往生の地である京都東山に建立された、浄土宗の総本山の寺院名
    知恩院
  • 法然の弟子で、越後に流されている間に信仰を深め、絶対他力をとなえ、人々はすべて阿弥陀仏の救いを言じてすがれば、極楽往生が約束されると説き、北陸から東国の武士・農民に布教した人物
    親鸞
  • 親鸞を開祖とする宗派
    浄土真宗(一向宗)
  • 親鸞の代表的な著書
    教行信証
  • 「善人なをもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」といい自力で修行を積んで善人だと満足している人よりは、悩みに気付いて悪人であるとの自覚を持っている人こそ救われるという、親鸞の思想
    悪人正機
  • のちに浄土真宗の中心となった京都の寺院
    本願寺
  • 鎌倉時代中期、伊予国の武士の子に生まれ、天台宗・浄土宗を学んだのちに新しい宗派を開き、熊野・伊勢などの神社信仰を利用しながら各地を遊行し、念仏によりすべての人が救われると説いた僧侶
    一遍(智真、遊行上人)
  • 一遍に従って遊行した人々
    時衆
  • 一遍を開祖とする宗派
    時宗
  • 念仏をとなえながら鉦や大鼓に合わせて踊り、極楽往生の喜びを表現したもの
    踊念仏
  • 神奈川県藤沢市にある、時宗の総本山の寺院
    清浄光寺(遊行寺)
  • 鎌倉時代中期に、安房国の漁夫の子に生まれ、比叡山などで修行ののち新しい宗派を開き、法華経を釈迦の正しい教えとして選び、題目をとなえることによってすべての人々が救われると説いた僧侶
    日蓮
  • 日蓮が開いた宗派
    日蓮宗
  • 日蓮の題目。漢字で
    南無妙法蓮華経
  • 日蓮が教筆して執権北条時頼るに献じ、そのなかで他
    宗を邪教として非難し、国難到来を予言して伊豆流罪の原因となった書
    立正安国論
  • 日蓮宗の総本山は何という寺院か。また,その所在地
    久遠寺、山梨県身延山
  • 中国から伝来した坐禅により、悟りを開く自力中心の仏教宗派
    禅宗
  • はじめ比叡山に学び、2度入宋して、鎌倉時代初期に新しい宗派を日本に伝え、京都に建仁寺を創建した人物
    栄西
  • 栄西が宋から伝えた禅宗の宗派
    臨済宗
  • 栄西の主要著書で、旧仏教側の非難に対し禅宗の本質を説いたもの
    興禅護国論
  • 栄西は茶の種を宋から伝えたとされるが、彼が著した茶に関する書物をあげよ。
    喫茶養生記
  • 栄西が源頼家から土地を寄進されて創建した、京都における臨済宗の中心寺院
    建仁寺
  • 公家の家に生まれ、天台・臨済宗を学び、入宋して曹洞禅を伝え、のちに越前で弟子を養成した僧侶
    道元
  • 道元が説いた、「ひたすら坐禅にうちこむこと」を何というか。
    只管打坐
  • 道元が宋から伝えた禅宗の宗派
    曹洞宗
  • 道元の代表的著書
    正法眼蔵
  • 道元が地頭波多野義重の援助で、越前に創建した寺院名
    永平寺
  • 法相宗の僧侶で、戒律の復興につとめ、念仏を排撃して旧仏教の復興につとめた人物
    貞慶(解脱)
  • 律宗の僧侶で、西大寺を中心に戒律の復興と民衆化につとめて、天皇家・幕府の尊信を得た人物
    叡尊(思円)
  • 叡尊の弟子で、貧民救済・施療などの社会事業に尽し、鎌倉極楽寺に招かれ開山となった僧侶
    忍性(良観)
  • 忍性により奈良に創建されたハンセン病救済施設
    北山十八間戸
  • 慈円が独自の史観にもとづいて著した歴史書
    愚管抄
  • 平安時代以来、勅撰和歌集の編集はひきつづいて行われたが、後鳥羽上皇の命によって撰集された和歌集をあげよ。
    新古今和歌集
  • 新古今和歌集の撰者の1人で、多くの歌学書を残し、父俊成のあとを継いで象徴的な歌風を大成した人物
    藤原定家
  • 鎌倉幕府3代将軍源実朝の歌集名
    金槐和歌集
  • 源平争乱の際、平重衡によって焼かれた東大寺は、鎌倉時代初期に再建されたが、大勧進職として募金から建築までいっさいを指揮した僧侶
    重源(俊乗房)
  • 重源に従って、東大寺大仏を修復した宋の工人
    陳和卿
  • 東大寺再建にあたって採用された、南宋の寺院建築を範とした雄大・豪放で力強い建築様式
    大仏様(天竺様)
  • 大仏様であることや分主像で有名な、東大寺の建造物
    南大門
  • 鎌倉時代初期に活躍した奈良仏師で、写実的・剛健な手法の鎌倉様式を樹立した代表的人物
    運慶
  • 運慶とその弟子らの合作になる、東大寺南大門にある仁王像
    金剛力士像
  • 金剛力士像の制作にも携わった運慶の弟子
    快慶
  • 時宗の開祖の生涯を描いたもので、写実的手法で自然や庶民生活が描かれている絵巻物
    一遍上人絵伝(一遍聖絵)
  • 武蔵の武士の生活を描いた、鎌倉時代後期の絵巻物
    男衾三郎絵巻
  • 鎌倉時代中期にある上皇が亡くなると、以後皇室は
    2つにわかれて皇位や皇室領荘園をめぐる争いをくり広げた。ある上皇とはだれか。
    後嵯峨上皇
  • 鎌倉時代中期以後,皇室は2つの流れにわかれて対立したが、この2統を何というか。
    大覚寺統、持明院統
  • 大覚寺統の祖となった天皇名
    亀山天皇
  • 持明院統の祖となった天皇名
    後深草天皇
  • 14世紀の初めに、2統が交代で皇位につく方式が成
    立したが、これを何というか。
    両統迭立
  • 鎌倉時代後期、花園天皇の後に、朱子学の大義名分論を学んで朝廷政治の刷新をめざす天皇が即位したが、この天皇はだれか。
    後醍醐天皇
  • 後醍醐天皇の皇統名
    大覚寺統
  • 亀山天皇の子で、後二条・後醍醐天皇の時に院政を
    行っていた上皇
    後宇多上皇
  • 鎌倉時代末期の執権で、最後の得宗
    北条高時
  • 後醍醐天皇は2度にわたって討幕計画を企て失敗したが、1324年に発生した最初の事件を何というか。
    正中の変
  • 1331年に後醍醐天皇が挙兵したが失敗し、幕府に捕えられ、翌年隠岐に流された。この事件を何というか。
    元弘の変
  • 後醍醐天皇が元弘の変ののち、隠岐に流されていた期間に、京都で即位した天皇の名と、その皇統名
    光厳天皇、持明院統
  • 河内の豪族で、元弘の変に呼応して挙兵し幕府軍と戦った人物
    楠木正成
  • 楠木正成が本拠とした城(2つ)
    赤坂城、千早城
  • 鎌倉幕府の有力御家人で、六波羅探題を攻略した人物
    足利尊氏
  • 鎌倉を攻め、幕府を滅ぼした人物
    新田義貞
  • 鎌倉幕府が滅亡した年
    1333年
  • 鎌倉幕府減亡後に開始された、後醍醐天皇による政治
    建武の新政(兼務の中興)
  • 後醍醐天皇が親政を行うにあたって再興した一般政務を担当する機関
    記録所
  • 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇によってつくられた新しい政治機関で、幕府の引付を受け継いで所領問題などの訴訟を扱った機関
    雑訴決断所
  • 建武政府の職制で、鎌倉幕府減亡の際の論功行賞を取り扱った機関
    恩賞方
  • 武者所の頭人
    新田義貞
  • 後醍醐天皇の皇子成良親王と足利直義が、命を受けて関東10ヶ国の支配にあたった機関
    鎌倉将軍府
  • 1335年に、北条高時の子が鎌倉幕府の再興をはかっておこした反乱
    中先代の乱
  • 中先代の乱を起こした人物
    北条時行
  • 雑誌の新政権に反族をひるがえした足利尊氏は、一
    時、後醍醐天皇の軍に敗れて九州に敗走したが、再挙して1336年に京都を奪回した。この時、尊氏によって擁立された接続の天皇はだれか。
    光明天皇
  • 1336年に、足利尊氏によって示された幕政の方針17カ条
    建武式目
  • 1336年に、足利尊氏に幽閉されていた後醍醐天皇が、京都を脱出して新たな朝廷を開いたのはどこか。
    吉野
  • 後醍醐天皇が吉野で開いた朝廷
    南朝
  • 南朝の中心として活躍し、「神皇正統記」を書いてその正統性を主張した人物
    北畠親房
  • 北畠親房の子で、南朝の武将として活躍した人物
    北畠顕家
  • 14世紀にら2つの朝廷が同時に存在し、全国で争乱がつづいたが、これを何というか。
    南北朝の動乱
  • 足利尊氏が京都に開いた幕府を、のちの所在地からなんというか
    室町幕府
  • 室町幕府では、鎌倉幕府的体制の再建をめざす漸進派と新たな体制をつくろうとする急進派との対立が表面化し、1350年には争乱に突入した。この争乱を何というか。
    観応の擾乱
  • 漸進派の中心人物である足利尊氏の弟
    足利直義
  • 足利尊氏の側近で、幕政を握っていた急進派の中心人物
    高師直
  • 高師直の職名
    執事
  • 南北朝の動乱が長期化し全国化した背景には、大きな社会的変化があった。動乱期に定着した武士社会の相続法を何というか。
    (嫡子)単独相続
  • 守護の権限拡大の例として、田地をめぐる紛争で立稲を一方的に刈り取る実力行使を、取り締まる権限が加えられた。この実力行使を何というか。
    刈田狼藉
  • 守護の権限拡大の例として、幕府の裁判の判決を強
    制執行する権限を何というか。
    使節遵行
  • 1352年、近江・美濃・尾嶺の3国において、動乱による軍費調達のため、荘園や公領の年貢の半分を徴収する権限を守護に与える法令が出されたが、これを何というか。
    半済令(半済)
  • 国人・土豪の非法や農民の年貢未納に悩まされた荘園領主が、年貢の徴収を守護に請け負わせた制度
    守護請
  • 室町時代に守護は、幕府支配の下で任国内の荘園や公領を把握し、国内の武士を家臣化して、荘園・公領を問わず一国全体を統轄した。このような守護を従来の守護と区別してなんというか。
    守護大名
  • 荘官・地頭が在地に土着し、経営基盤を確立して領主層に成長した武士
    国人(国衆)
  • 地方土着の武士は、みずからの領主権を守るために地域的な一味同心の地縁的集団をつくり、自主的な地域権力を持った。この集団を何というか。
    国人一揆
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