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()世紀()ごろから大陸との交流がさかんになると、とくに()から多くの人々が渡来した。4、後半、朝鮮半島
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これら()は、()・()()・()・()・()などの新しい技術や、()、()などを伝えた。渡来人、機織、金属工芸、製陶、建築、土木工事、馬の飼育、乗馬の法
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()の知識も渡来人によってもたらされた。()は、彼らを()・()・()・()()などの部に組織して積極的に活用した。文字、ヤマト政権、錦織部、韓鍛治部、鞍作部、陶部、馬飼部
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また、文筆に長じた者を()として用いて、()・()に必要な()・()の作成や、()上の事務を担当させた。史部、政治、外交、記録、文書、財政
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渡来人によって新しい技術や知識が伝えられると、()も変化した。民衆の多くは、なお()に住んでいたが、内部には()にかわって()がつくられるようになった。生活様式、竪穴住居、炉、かまど
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()式の()を築いて焼成した()の()が広く普及するとともに、()にも物を蒸す()のような()系の新しい器種が登場した。半地下、窯、硬質、須恵器、土師器、甑、大陸
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性能の良い()の刃先をつけた()や()が普及し、()が困難なためにそれまで未開拓だった()の開発がすすむなどして、()は向上した。鉄、農具、土木具、灌漑、台地、農業生産力
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このような開発を指導した有力()は、民衆の村とは別の場所に()(())を営み、()式や()式の()を築いて居住した。首長、居館、豪族居館、平地、高床、堀立柱居館
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()、()、()など、各種の生産物は居館にともなう()に保管されたと考えられる。その最大規模のものとして、ヤマト政権の
ものとみられる()がある。
米、織物、武器、高床倉庫群、大阪府法円坂遺跡 -
土師器は()の系統をひく()色の()土器弥生土器、淡橙、軟質
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須恵器は()色でかたい()の土器灰、陶質
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朝鮮から渡来した有力な氏は「」「」に書かれている
古事記、日本書紀 -
有力な氏は()、「」、「」からきている東漢、西文、秦
やまとのあや、かわちのふみ、はた -
先祖は
東漢は「」
西文は「」
秦は「」阿知使主 あちのおみ
王仁 わに
弓月君 ゆづきのきみ -
時の人々は、「」・「」・「」・「」・「」などを、神または神の宿る場所として恐れあがめ、のちには「」をつくって神をまつるようになった。太陽、山、川、巨岩、巨木、社
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村々では、春は殺物の豊作を神に祈る「」、秋は収穫した新穀を神にささげる「」がおこなわれた。祈年の祭り としごい
新嘗の祭り にいなめ -
また「」・「」・「」や「」などの呪術的な風習もあった。
禊、祓、太占の法、盟神探湯 -
氏の祖先神や守護神も「」として仰され、氏の神にかかわる神話がうまれた。国家の統一のすすんだ6~7世紀には、これらの神話と氏に伝わる伝説は、大王家の神話・伝説および大王家の「」とともに「」「」にまとめられた。
氏神、系譜、帝紀、旧辞 -
6世紀には朝鮮半島との活発な交流を通じて、中国の宗教や学問がさかんに受容された。「」から「」や「」・「」・「」の諸博士が渡来して、「」やその他の知識を伝えた。百済、五経博士、易、暦、医、儒教
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インドで誕生した「」は、「」(「」)系統のものが、「」・「」を経て「」に入ったあと、後との相互関係の強化をはかろうとしていた「」から、「」世紀なかばまでに伝えられた
仏教、北方仏教、大乗仏教、中央アジア、中国、朝鮮半島、百済、6 -
仏教は「」氏や「」系の氏にまず受け入れられ、やがて「」家や他の「」族の間にも広がった。蘇我、渡来、大王、豪
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しかし、豪族たちは仏教の教理を深く理解したわけではなく、氏の「」をもたらす異国の神として崇したと思われる。「」でおこった「」も、朝鮮からの渡来人によって伝えられ、日本
人の信仰に影響を与えた。
繁栄、中国、道教 -
四世紀中頃、宝器を巨岩に奉納する行為を始めたのはどこ?福岡県沖ノ島
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「」を焼いて吉凶を占う方法を「」、「」に手を入れて手がただれるかどうかで正邪を定める方法
を「」という。獣骨、太占、熱湯、盟神探湯 -
道教は何と何に影響を与えた?修験道、陰陽道
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3つの社伊勢神宮、出雲大社、住吉大社
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伊勢神宮、出雲大社、住吉大社はそれぞれ神殿建築はなんと呼ばれる?神明造、大社造、住吉造
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