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三世紀前半に後漢が滅亡すると、華北の( )、四川の( )、長江中下流域の( )が抗争を繰り返した。この時代を( )という。魏、呉、蜀、三国時代
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魏の将軍( )は、帝位を奪って( )を建国し中国を統一するが、皇族の一族の抗争( )によって混乱に陥った。司馬炎、晋、八王の乱
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四世紀初め、華北への移住を進めていた( )が蜂起し、長安、洛陽を攻略された( )はほろんだ。五胡、晋
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晋が五胡によって滅亡した後、( )に逃れた( )は、( )で即位し晋を復興した。この国を( )という。江南、司馬睿、建康、東晋
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華北では多くの国々が存亡し( )、五世紀前半、( )の( )が建てた( )が華北を統一した。五胡十六国、鮮卑、拓跋氏、北魏
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鮮卑が北魏を建てたのと同じころ、モンゴル高原では遊牧国家の( )が強大となり、北魏は北と対抗し、また南の( )民社会の安定に努めるようになった。柔然、農耕
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北魏の王( )は、都を平城から( )に移し、鮮卑の制度や習俗を中国的なものに改めた。孝文帝
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孝文帝の政策に反感した人々は( )を起こし、北魏は分裂して滅亡した。六鎮の乱
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六世紀半ば、モンゴル高原では柔然に変わり( )が勢力を伸ばし、これと結んだ( )が華北を再統一した。突厥、北周
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北魏から北周に至るまでの華北の諸王朝を( )という。北朝
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東晋では、軍事的緊張を背景に( )が力をつけ、何度も皇帝の帝位を奪った。これ以降、長江流域で( )、( )、( )、( )の王朝ができた。これを( )という。武将、宋、斉、梁、陳、南朝
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後漢末から、( )が中心となって、戦乱で土地を失った人に( )を経営、冠位を九つの品(等級)に分ける官吏登用制度である( )をし、豪族の高級官職の独占を招いた。武将、荘園、九品中世
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全国的な家柄の序列が固定化したことで形成された名門を( )と呼んだ。影響力の高まりに対し国家が農民に土地を分け与えて小家族を基本とする社会を回復する( )の動きもあったが、効果はなかった。貴族、均田制
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伝統的な権威が弱まった魏、晋の時代では、( )や( )の影響を受けながら、世俗を超越した自由な議論を行う( )が流行した。道家思想、仏教、清談
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四世紀以降には西方からの人や文化の影響で( )が盛んになり、華北を訪れた( )や、仏典の翻訳に活躍した( )のほか、中国からも( )のようにインドに赴くものが現れ、多くの( )が造営された。仏教、武図澄、鳩摩羅什、法顕、石窟寺院
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北魏の時代には、民間信仰と( )(仙人や不老不死を信じる思想)に道家の説を取り入れた( )も成立し、( )は教団を作って仏教に対抗した。神仙思想、道教、寇謙之
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南朝でも、仏教、道教が儒学と並んでじゅうような教養となり、南方の自然や田園に美を見出した( )などが現れた。陶淵明
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陶淵明の詩は、対句を多用して技巧を凝らした( )が主流となり、古今の名文を集めた「 」が編纂された。四六駢儷体
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中国東北地方の南部に起こった( )は、四世紀初めに朝鮮半島北部に進出し、同じころ、南部でも東に( )、西に( )が成立し、南端は( )となった。高句麗、新羅、百済、加耶諸国
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朝鮮半島や中国から日本に移り住んだ人々を( )といい、先進的な技術、文化を伝えた。渡来人
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日本では、三世紀に( )の女王卑弥呼が魏に使節を送ったのち、四世紀以降
( )による統一が進んだ。邪馬台国、ヤマト政権 -
朝鮮半島諸国は、中国王朝の権威を借りて( )を行い、五世紀には( )の王もたびたび南朝に使節を送った。( )朝貢、倭国、倭の五王
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中国王朝は南北朝や遊牧諸民族の間で優位に立つため、積極的に近隣の勢力に冠位や称号を与え、( )と呼ばれる秩序を形成した。冊封体制
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