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inの意味否定の意味
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media媒体
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メディアは、人間の知を時間的、空間的に伝達するう えで最も重要な力をもつ。その力をある文化的な背景 の中で理解するには、メディアの特性や傾向を吟味 し、研究する必要がある。(『メディアの文明史』より)ハロルド・イニス
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メディアは「対象との媒介」というよりはむしろ身体 の一部であり、その個々のメディアの発明によってわ れわれの肉体器官が延長もしくは拡張される。(『人間 拡張の原理』より)マーシャル・マクルーハン
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書くことの知識をまったくもたなかった「声の文化」 から「文字の文化」への移行は、人類史における最も 重要な出来事である。また、「電子文化」とはその存 立を書くことと印刷に負う文化である。ヴォルター・オング
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1982年『ブレードランナー』 1990年『トータル・リコール』 1996年『スクリーマーズ』 2002年『マイノリティ・リポート』 2006年『スキャナー・ダークリー』 2007年『ネクストフィリップ・K・ディック
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「かつては時間の深淵や距離の深淵に隔てられていた 多くの人々に、ラジオという機械がもたらす感覚の同 時性は、発信から受信までに何ヶ月も数年もかかって いたつい先頃までとは全く異なる結果をもたらしてい る」エリー・フォール
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アメリカの映画監督・脚本家・俳優。主な監督作品に 『市民ケーン』(1941)、『マクベス』(1948年) など。出演作品に『パリは燃えているか』(1966 年)、『007 カジノロワイヤル』(1967年)など。オーソン・ウェルズ
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B.C.2500年頃:メソポタミア地方で楔形文字が生まれる。シュメール人
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エジプトで神聖文字(ヒエログリフ) が生まれる。この神聖文字はパピルス製の紙などに書 かれたB.C.2000年頃:
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上から神聖文字、民衆文字、ギリシャ語の3種類の言 語で同じ内容を記した碑文。1799年に発見ロゼッタストーン
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中国(殷の時代)で、卜占に甲骨文字 が使われる(漢字の起源)B.C.1400年頃:
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フェニキア人が22文字の子音からなる フェニキア文字を作る(アルファベットの起源)。B.C.800年頃:
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活字印刷(1445年頃) は、アルファベットの文字数の少なさも幸いしていた が、彼の金細工師としての経歴が金属活字の発明を可 能にしたヨハネス・グーテンベルク
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1445年頃:、グーテンベルクが 金属活字による活版印刷術を発明。印刷機を使うこと により、大量印刷を初めて可能にした。「42行聖書」
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都市群衆の出現と新たな生産形態に敏感に反応したの は、ヨーロッパで最初に産業革命(1760年代)を達成 したイギリスだった。この時代の中心人物はウイリア ム・モリス
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1923年、ドイツの ヴァイマール市のバウハウスで開催された展覧会を訪れ てから、モダンデザイン主義者に転向した。著書『新し いタイポグラフィ』によって、モダンデザイン主義の第 一人者となった。アシンメトリーな構図やサンセリフ フォントを好んで使用したヤン・チヒョルト(1902-1974)
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モダン近代
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古代イタリアでの石刻文字が紀元とされている。職人 たちは彫刻の際に、砂利やちりが文字の角に詰まって しまうのを防ぐために、文字の長いストロークの末端に、 少しだけ付加的な部分を彫り込んだといわれている。セリフ体
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本には3種類があ る「巻く」「折る」「綴じる」
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1839年、写真術はーーーによって発明された。この機械装置は、交 通網の拡大と情報網の発達によりあっという間に世界中 へと伝わった。写真とは「自然に自己を複製する力を与 える化学的、物理的な方法」とみなされた。ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール
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パノラマは、1787年に画家のーーーに よって獄中で発明された。大きな円弧となった壁の内側 に、精密な遠近法による市街地や自然風景の絵を写実的 に描き、円の中心から見る仕掛けであったロバート・パーカー
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1904年、によりオートクローム法が発 明され、カラー写真技法が確立した。RGB三色に染色さ れたでんぷんをガラス乾版に塗り、3原色のフィルター の役目をさせたルミエール兄弟
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F =焦点距離 レンズ口径
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。20世紀前後のパリの建築物、室内家具な どの写真を8,000点以上残した。写真家としてではな く、画家のための資料としてパリを撮影し続けた。ジャン=ウジェーヌ・アッジェ
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写真芸術とは社会の構造を露にする表現だと考え、戦前 のドイツ・ワイマール共和国時代の社会階級と時代の雰 囲気を明らかにする写真作品を制作。後にあらゆる階 層、民族、職業のポートレートを記録した『20世紀の 人々』を刊行アウグスト・ザンダー
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20世紀を代表するフランスの写真家。1947年にはロ バート・キャパらと共に国際写真家集団「マグナム・フォ ト」を結成した。1952年、写真集「決定的瞬間」発表。アンリ・カルティエ=ブレッソン
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さまざまな種類の過去の歴史的工業建築物(給水塔、風 車、石炭庫、溶鉱炉など)をタイポロジー(類型学)的 に組み合わせた写真を制作ベッヒャー夫妻
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『海景』のシリーズは「海を最初にみた人間はどのよう に感じたか」という問題提起を最初に立て、世界各地の 海を撮影した。また『劇場』シリーズは、映画そのもの を撮影した。上映中フィルムを露光し、真っ白になった スクリーンとスクリーンに照らされた劇場内部が写る杉本博司
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パリうまれ。世界各地を放浪し、この頃から見知らぬ人 のあとをつけて写真を撮るスタイルを確立。帰国後、 ヴェネチアのホテルでメイドとして働き、宿泊客の部屋 の様子や荷物等を撮影し続けた『ヴェニスのスイート ルーム』で注目された。他に、盲人に「美とは何か」を 問うたインタビュー『盲目の人々』などソフィ・カル
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1980年代後半には、広大な風景に人間が点在してい る焦点のない均一な作品を制作する。 プールに点在す るスイマー、山登りのハイカーなど。90年代には事前 に計算し尽くして撮影し、オフィスビル、巨大ホテ ル、ハイテク工場、港湾施設などを世界中で幅広く撮 影するようになるアンドレアス・グルースキー
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ドイツうまれ。写真の情報としての面に興味を持ち、 デジタルイメージを画像処理した抽象作品や、新聞、 古い広告、インターネットなど他者が撮影した写真を 素材にしてイメージを再構築したアナログとデジタル の要素を併せ持つ作品を制作トーマス・ルフ
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チェコうまれ。手製のカメラで女性を密かに撮影しつ づけた。亡くなる7年前にキュレーターに発見される まで、隠匿しつづけたミロスラフ・ティッシー
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1851年、第一回万国博覧会で立体視のできる視覚装置が展示された。ステレオスコープ
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高速度撮影を成功させ、1878年にはこの装置を等間 隔に12台並べ、疾走する馬の連続撮影を成功させた。 イギリス出身の写真家。エドワード・マイブリッジ(
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映画撮影機の原型となる、ライフル銃の形をした連続 写真撮影機である写真銃を発明した。鳥の飛翔や人物 の動きの連続写真を撮り、その動きを解析することで 自らの研究に役立てた。フランスの生理学者。エティエンヌ=ジュール・マレ
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少しずつ異なる複数の絵を連続的にパラパラめくると、 絵は動いて見える。この「仮現運動」による現象は、ア ニメーションの仕組みを理解する上で重要である。フェナキスティスコープ(
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円筒の内側に少しずつ異なる絵が描かれており、絵と絵 の間にスリットを開けて、円筒を回転させながら円筒の 外側からスリットを覗くと、円筒の内側の絵が動いて見 えるゾートロープ(
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金属製の箱の中に光源をいれ、この光をレンズで集光し て箱に組込まれたガラス板に描かれた絵をスクリーンに 投影するもの幻燈(
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ゾートロープの円筒の中央に12枚の鏡で構成された多 面鏡が配置され、円筒を回転させるとその内側に描かれ た絵が鏡に次々と映し出されるプラクシノスコープ(
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細長い柔軟なフィルムを使用し、かつそのフィルムに パーフォレーションが付けられていたという点で、今日 の映画フィルムの形式に限りなく近い。テアトル・オプティーク(
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箱の中に収まれたフィルムを一人ずつ覗きながらフィル ムを動かして「動く映像」を楽しめる。キネトスコープ(
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撮影されたフィルムを幕の前面に映写し、多くの観客が 同時に動く映像を楽しむことができる映画術を公開し、 今日の映画のスタイルと同様の技術が確立されたシネマトグラフ
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キネトスコープを改 良して、兄オーギュストとともにシネマトグラフを完 成させる、ルイ・リュミエール
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パリのキャプシーヌ街グラン・カフェの地 下、サロン・インディアンで映画の最初の公開が行わ れた。上映されたーーーーを 観ていた観客は、迫り来る列車を避けようと逃げよう としたといわれているラ・シオタ駅に到着する汽車
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1902年映画に「演出」という手法を初 めて意識的にもちこみ、『月世界旅行』と題する映画 を撮影する。また、最初の映画スタジオの設立者とし て実景や現実ではない映画の可能性をいちはやく模索 したメリエス
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1903年、『大列車強盗』でクロスカッティングの手 法を初めて用い、画面に緊迫感を生み出すことに成功 した。またラストシーンでは、クローズアップされた 強盗が観客へ向けてピストルを発射させ、映画は編集 作業を通じて舞台演劇とは異なる表現方法であること を示した。エドウィン・ポーター
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西アフリカ地域ではーーーーと呼ぶ 太鼓のような楽器が、舞踏や宗教儀式の際の楽器とし てのみならず、遠距離通信のための道具として用いら れ、大陸に訪れた宣教師たちを驚かせた「トーキング・ドラム」
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モール ス式の実用電信機を完成させた。ここで興味深いの は、モースが科学者ではなく画家で、ニューヨーク市 立大学で美術の教鞭をとっていたことだ1844年、サミュエル・モース(モーリス)
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エーテル 波」の存在を、1888年ーーーが証明した。H.R.ヘルツ
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、言語の違いや人種文化の違いに よって、さらにはレコード、電話、映画など当時の ニューメディアと人間の意識の関係を『変身』で示唆 しているカ フランツ・カフカ
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954年、アメリカはレーダー網とコンピュータと人 間を組み合わせたSAGE(本土防空システム)を開発 する。しかし1957年、対抗するソ連は世界初の人工 衛星ーーーの打ち上げに成功する。スプートニク
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音を記録し再生する 装置(フォノグラム)を発明した。空気の振動をなん らかの形で視覚化しようとする試みは数多く行われた がフォノグラムが音の単なる記録装置 ではなく、再生が可能な装置として作り上げた1877年、トーマス・エジソン
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1884年、ドイツのパウル・ニプコーが 金属円盤に渦巻き状の小さな穴をあ け、被写体の像を光センサーで電気信 号に変え、動画のイメージを走査(ス キャン)するーーーーを考案して いるニプコー円盤
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ブラウン管に画像を写し 出すことに世界で初めて成功した。ニプコー円盤を用 いて「イ」の字を読み取り、映像信号を走査した。高柳健次郎博士
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テレビや映画では、被写体の運動を時間軸方向で標本化 して、動きを得ている。ただし、映像枚数/秒が少ない と画面がちらつくフリッカの感知)
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映像信号は、そのままでは電波として遠くへ飛ばすこ とができないので、各放送局に割り当てられた(キャリア)と呼ばれる高い周波数の電波に乗せて送 信する。搬送波
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NLS(oN Line System)と名付けた システムには、マウス、マルチ・ウィンドウ、ビット・ マップ・スクリーン、電子メールシステム、ファイル の階層化など、現在のPCの原型となる要素がほとんど 含まれていたエンゲルバート
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