-
アテネにおける、民主政を維持するための市民も参加する制度として有名なもの(言い方2つ)陶片追放
オストラキスモス -
陶片追放において、どういった危険がある人物が扱われていたか僭主(せんしゅ)
-
陶片追放における「僭主」とはなにか非合法的な手段で支配者になった独裁者
-
陶片追放において、6000票を集めた最多票の人物はどういう刑になったか。10年間国外追放される。
-
陶片追放を受けた人物として板書に出てきた人物テミストクレス
-
テミストクレスはある戦いでの勝利を誇ったため陶片追放を受けたが、その戦いはなにか(「〇〇の中の〇〇」というかたち)ペルシア戦争の中のサラミスの海戦
-
「陶片追放は嫉妬心の慰撫・軽減である」という言葉を「英雄伝」に残した人物プルタルコス
-
アテネにおいて行われていた公職者を裁く裁判の種類弾劾裁判
-
弾劾裁判の全130件の裁判のうち、34件はどういった役職の人が裁かれていたか将軍
-
アテネで弾劾裁判にかけられた将軍の中で、板書に出てきた人物2人ミルティアデス
ペリクレス -
ミルティアデスはある戦いで活躍した将軍だが、その戦いはなにか(「〇〇の中の〇〇」というかたち)ペルシア戦争の中のマラトンの戦い
-
将軍ペリクレスの板書に出てきた大きな功績はなにかアテネの民主政を完成させた
-
プリントに出てきたペルシア戦争について『歴史』で言及した人物ヘロドトス
-
ペルシア戦争はどことどこの戦いかアケメネス朝ペルシア vs ギリシアのポリス連合
-
主に取り上げられていたペルシア戦争の中の戦いを古い順に3つマラトンの戦い→テルモピュレーの戦い→サラミスの海戦
-
マラトンの戦いにおいてペルシア撃破に貢献した部隊アテネの重装歩兵
-
テルモピュレーの戦いで全滅するまでペルシア軍と戦った軍、またそれを率いていた人物スパルタ軍
レオニダス王 -
サラミスの海戦で活躍し勝利に貢献したギリシアの下層市民の通称無産市民
-
無産市民はサラミスの海戦でどのような役割として活躍したか三段櫂船の漕ぎ手(として。)
-
無産市民は漕ぎ手として活躍したことで何を獲得したか参政権
-
ペルシアが再び攻めてくることに備えて150のポリスが参加した、アテネを盟主とした同盟デロス同盟
-
デロス同盟はやがてどういう形になってしまったことで不満が生じるようになってしまったかアテネが他ポリスを間接支配する「アテネ帝国」化していった
-
ギリシア世界がアテネとスパルタの2大勢力に分かれた大規模な戦争ペロポネソス戦争
-
ペロポネソス戦争でアテネを主とするデロス同盟と敵対した組織ペロポネソス同盟
-
ペロポネソス戦争のさなか、アテネは民主政治が腐敗してしまったがそれはなぜか疫病で指導者ペリクレスを始めとする人口の多くを失ったから
-
腐敗していたアテネの政治をさらに混乱に陥れた人たち(言い方2つ)デマゴーゴス
扇動政治家 -
デマゴーゴスが行った政治の通称衆愚政治
-
アテネはペロポネソス戦争に敗北し、ある出来事で市民皆兵の原理が崩れていくが、それは何か傭兵が用いられ始めたこと
-
ペロポネソス戦争で争われた覇権は最終的にどこの支配下に入ることで落ち着いたかマケドニア王国
-
ギリシアのポリスは元々マケドニアを何と考えていたかバルバロイ
-
金鉱の掌握、軍制改革に成功してマケドニアを強国化した人物フィリッポス2世
-
マケドニアがテーベ・アテネ連合軍を破りギリシア諸ポリスを制圧することになった戦いカイロネイアの戦い
-
スパルタを除く全ギリシアがマケドニアのもとに結成した同盟コリントス
-
フィリッポス2世の子で、王として遠征や帝国の形成を行った人物アレクサンドロス大王
-
紀元前334年から約10年間行った大規模な遠征東方遠征
-
東方遠征でまず敵対した王朝、それを当時率いていた人物アケメネス朝
ダレイオス3世 -
アレクサンドロス大王がアケメネス朝を超えてアジアの方まで侵入し形成した帝国アレクサンドロス帝国
-
アレクサンドロス大王が採用した政策(2つ)集団結婚 ペルシアの習慣
-
アレクサンドロス大王が各地に建設し、ギリシア人を移住させた都市のことアレクサンドリア
-
アレクサンドロス大王のギリシアの諸ポリスに対して行った政策で生まれた文化、またその意味ヘレニズム文化
(ギリシア風の文化) -
ヘレニズム文化はどのような性格を持つかギリシア文化とオリエント文化の融合
-
ヘレニズム文化が影響を及ぼしたアジアの文化(インドと日本1つずつ)ガンダーラ美術(インド)※仏教と融合
天平文化(日本) -
アレクサンドロス大王の死後、有力な部下たちの後継者争いで分裂した戦争(言い方2つ)ディアドコイ戦争
後継者戦争 -
ディアドコイ戦争でアレクサンドロス帝国は主に3つに分裂したが、そのうちの1つであるセレコウス朝シリアの中でイランと中央アジアにそれぞれ自立した国家イラン→パルティア
中央アジア→バクトリア -
ディアドコイ戦争でアレクサンドロス帝国は主に3つに分裂したが、そのうちアレクサンドリアを都とする国家プトレマイオス朝エジプト
-
ディアドコイ戦争でアレクサンドロス帝国は主に3つに分裂したが、セレコウス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトともう一つどこかアンティゴノス朝マケドニア
-
アテネとアレクサンドロス帝国について、政治形態を簡単に比較せよアテネ
→直接民主制
アレクサンドロス帝国
→王政、中央集権 -
アテネとアレクサンドロス帝国について、異民族への対応を簡単に比較せよアテネ
→異民族にバルバロイと蔑称をつけた
アレクサンドロス帝国
→文化の融合、集団結婚を行う -
アテネとアレクサンドロス帝国について、ギリシア諸ポリスとの関係を簡単に比較せよアテネ
→同盟→対立→主従関係
アレクサンドロス帝国
→ポリスの枠を超え、コイネー(共通語)でつながりを持った -
アレクサンドロス大王が導入した礼作法で、民族間の自由というところで議論を生んだもの跪拝礼(きはいれい)
-
1991年にギリシアとスラブ系のある国家の間で国名に関して論争になったが、この国名はなにかマケドニア
-
20世紀後半にアフガニスタン北部で偶然紀元前4世紀の遺跡が見つかったが、このとき遺跡が見つかった古代都市の名前、またその意味アイ・ハヌム
意味→月の貴婦人 -
この「アイ・ハヌム」のような遺跡を「ヘレニズム」という造語として名付けたドイツの歴史家ドロイゼン
-
アレクサンドリアにあった、ヘレニズム文化の中心となった施設のような場所(言い方2つ)ムセイオン
王立研究所 -
ヘレニズム文化のひとつと考えられる、共通のギリシア語コイネー
-
コイネーで書かれた著名な書物新約聖書
-
ヘレニズム文化はこれまでのポリスの枠にとらわれない新しい考え方によるものだがこれをなんというか(言い方2つ)コスモポリタニズム
世界市民主義 -
コスモポリタニズムと同じくしてヘレニズム文化の中にあった、キリスト教受容の精神的基盤となった考え方個人主義
-
ヘレニズム文化はどこを通って中国や日本に伝わったかシルクロード
-
紀元前8世紀にティベル河畔に建設された国家都市国家ローマ
-
都市国家ローマに定住した人々ラテン人
-
紀元前6世紀に樹立された政治体制共和制
-
共和制になり王政が終わるにあたって追放された王は何人だったかエルトリア人
-
共和制が樹立された当初は実権を握り公職を独占していた身分(言い方2つ)貴族
パトリキ -
都市国家ローマがイタリア半島を征服しようとしている時期に南イタリアに存在したギリシア人の植民市「マグナ・グレキア」
-
都市国家ローマのイタリア半島の征服にあたって最後に征服することになった、ギリシア人都市タレントゥム
-
都市国家ローマにおける、枠が2名の執政官の役職をなんというかコンスル
-
都市国家ローマにおける、非常時にコンスルから1名設置される臨時職で独裁官としての役職をなんというかディクタトル
-
都市国家ローマにおける、貴族(パトリキ)の300人で構成される最高立法・諮問機関のこと元老院
-
都市国家ローマにおける、全ての男性市民が参加する議会民会
-
都市国家ローマにおける、紀元前5世紀前半に平民保護のために設置された役職護民官
-
護民官は主にどのような性格をもつか執政官や元老院に対し拒否権を持つ
-
護民官とともに紀元前5世紀前半に設置された平民だけの会平民会
-
平民は別の言い方でなんといわれていたかプレブス
-
紀元前5世紀に半ばに規定された、慣習法が明文化され、のちのローマ法発展の礎となったもの十二表法
-
紀元前367年に都市国家ローマで制定された、執政官の1人を平民とする法リキニウス=セクスティウス法
-
紀元前267年に都市国家ローマで制定された、法的平等のために平民会の決議が元老院の承認なく国法となることを示した法ホルテンシウス法
-
リキニウス=セクスティウス法、ホルテンシウス法によってどのようなことがおきたか平民の政治的発言力の拡大
-
都市国家ローマは周辺の都市国家をどう統治していたか、またその統治方法の特徴分割統治
ローマ市民権の有無、権利や義務に格差をつける -
都市国家ローマが分割統治を行っていた理由都市どうしに格差をつけて対立・抗争を利用し、連帯させないため
-
都市国家ローマの国政について分析した古代ギリシア3大歴史家のひとりポリュピオス
-
ポリュピオスの分析からわかるローマの国政の3大要素貴族政→元老院、皇帝
民主制→大衆
君主制→コンスル -
イタリア人から大きな恨みを買っていた植民市から発展し西地中海で覇権を握った国家カルタゴ
-
カルタゴのことをローマ人はなんと呼んだか、またそれは何を指す言葉だったかポエニ
フェニキア人 -
「ローマ最大の敵」と言われたカルタゴの名将ハンニバル
-
ハンニバルのエピソードとして、「守りが固かったイタリア半島南部ではなく37頭の( )を連れて( )を越えてイタリア半島に入り、( )でローマに勝利した」というものがある象
アルプス山脈
カンネーの戦い -
ローマとカルタゴが戦い、ローマが勝利した戦争の名前、またその戦いの回数ポエニ戦争
3回 -
第1回ポエニ戦争でローマが獲得した初の海外領土、またその地は後に何と呼ばれたかシチリア
「ローマの穀物倉庫」 -
第2回ポエニ戦争ではローマはどこの支配権を獲得したか東地中海
-
第2回ポエニ戦争で、カルタゴに協力したとしてローマに破られた国家マケドニア
-
第3回ポエニ戦争ではローマはどこの支配権を獲得したか西地中海
-
ポエニ戦争の結果、カルタゴはどうなったか滅亡した
-
ポエニ戦争の結果、ローマは何を成し遂げたことになったか地中海の制覇
-
ローマは海外領土をどのようなていで支配したか(2つ)属州、直轄領
-
ポエニ戦争後のローマは戦争によってどのような国の状況になったか(3つ)・大量の奴隷が流入
・農地が荒廃
・安価な穀物が流入 -
戦後のローマの中に市民の中に無産市民が増えたことを踏まえ、軍隊としての体制はどうなっていったか特定の人物と庇護関係を結び、私兵化が進んだ
-
戦後のローマの市民の様子を揶揄した表現として使われていたもの「パンとサーカス」
-
戦後のローマで発達した、大量の奴隷を用いた大土地所有制による農園ラティフンディア
-
戦後のローマが抱えていた問題を解決しようと改革に臨んだが最終的に死んでしまった兄弟グラックス兄弟
-
最終的に鎮圧されてしまった10万人に及ぶ最大の奴隷反乱を率いた剣奴、またその反乱の名前スパルタクス
スパルタクスの反乱 -
ローマで終身ディクタトルに就任し、独裁を行った天才的軍人と言われた人物カエサル
-
カエサルによる政治第1回三頭政治
-
カエサルは実質王と同じ立場だったが、それを公称しなかったのはなぜか当時、王に対する拒否感がローマ社会の伝統的美徳とされていたから。
-
第2回三頭政治を行った、カエサルの養子オクタウィアヌス
-
オクタウィアヌスが戦った紀元前31年に起きた戦いアクティウムの海戦
-
アクティウムの海戦でオクタウィアヌスと戦った夫婦アントニウス+クレオパトラ
-
アントニウスとクレオパトラはどこの王朝の人物だったかプトレマイオス朝
-
プトレマイオス朝が滅亡したことで何が起こったかヘレニズム時代が終わりを迎えた
-
オクタウィアヌスはなんのためにどのような政治を行ったか市民や元老院の支持を得てカエサルのように死なないようにするため、あくまで自分も市民のひとりとして振る舞った
-
ウクライナの西の黒海に面した国で、「ローマ人の地」という意味を持った国ルーマニア
-
ルーマニアの地はかつて何と呼ばれていたかダキア
-
ダキア時代にこの地を征服し属州とした帝トラヤヌス帝
-
ルーマニアは、( )系が多い東ヨーロッパに位置しながら唯一の( )系民族による国家であるスラブ
ラテン -
ルーマニアの国民の約80%が信仰している宗教ルーマニア正教
-
200年間のローマ黄金時代を表す、「ローマの平和」の意を持つ言葉パクス=ロマーナ
-
王として市民から反感を買うことを避けようとしたオクタウィアヌスが行った政治(言い方2つ)元首政
プリンキパトゥス -
ローマのトップは自らの役職をなんと自称したか(言い方2つ)(市民の中の)第一人者
プリンケプス -
オクタウィアヌスが元老院からもらった称号(言い方2つ)アウグストゥス
尊厳者 -
ローマ帝国の最盛期とされる時代はなんの時代か「五賢帝」の時代
-
五賢帝の中でプリントに取り上げられていた皇帝(3人)トラヤヌス帝
ハドリアヌス
マルクス=アウレリウス -
ローマ帝国にあった都市は現在のヨーロッパの主要都市になっているものがいくつかあるがプリントで取り上げられていた(ローマ帝国での都市)と(現在のヨーロッパでの都市)の組み合わせ(3つ)ルテティア→パリ
ロンディニウム→ロンドン
ウィンドボナ→ウィーン -
ローマの帝国を結ぶ街道網の名前アッピア街道
-
アッピア街道に関連するフレーズで有名なもの「すべての道はローマに通ず」
-
ローマ帝国が周辺国との戦いが激化し、約50年間で属州26人の皇帝が乱立した時代軍人皇帝時代
-
ローマ帝国の再建の中でラティフンディアから移行した農場経営のしくみコロナートゥス
-
コロナートゥスにおいて使われていた解放奴隷や没落した中小農民のこと(言い方2つ)コロヌス
小作人 -
コロナートゥスは中世の農奴制につながっているが、主にどのようなところがつながっているか課税のために土地が縛られ、コロヌスは移動の自由を失った
-
ローマ帝国の、ペルシア風の宮廷儀礼と皇帝崇拝を強要して中央集権化を行った政治体制(言い方2つ)専制君主制
ドミナトゥス -
専制君主制を行った皇帝ディオクレティアヌス帝
-
専制君主制の中の、東西にそれぞれ正帝・副帝を置いて分割統治を行う体制(言い方2つ)帝国四分統治
テトラルキア -
帝国を再統一し、都を遷都した皇帝コンスタンティヌス帝
-
コンスタンティヌス帝が都を遷都させた先、またその都市の現在の名前コンスタンティノープル
現→イスタンブル -
コンスタンティヌス帝が出した、キリスト教を公認する令ミラノ勅令
-
コンスタンティヌス帝とともに、キリスト教に大きな影響を与えた皇帝テオドシウス帝
-
テオドシウス帝が392年に実施したことキリスト教の国教化
-
テオドシウス帝の死後、ローマ帝国は東西に分裂するが、すぐに滅んでしまったのはどちらか西ローマ帝国
-
西ローマ帝国を滅亡させた人物ゲルマン人傭兵隊長オドアケル
-
東ローマ帝国は西ローマ帝国が滅亡した約何年後に滅亡するか、また東ローマ帝国を滅亡させた国家はどこか約1000年後
オスマン帝国 -
帝国の都だったローマに存在する、2000年以上前のアウグストゥス時代に造られた万神殿パンテオン
-
ローマは宗教的にどのような伝統があるか多神教の世界である
-
イエスはローマで磔刑にされ死んだが、イエスの処刑に際する民衆、議員、ピラトの考えを示せ民衆→メシアとしての希望からの幻滅
議員→自分たちの権力を守るため
ピラト→反乱や反発をおそれた -
ローマ帝政期に書かれたとされる、ロバの頭をした人間が十字架にかけられている絵は、どこに書かれていたかパラティーノの丘(の近くの壁)
-
パラティーノの丘近くに書かれた落書きの中の、十字架の下に立っている人間はなんという名前かアレクサメノス
ログイン