-
ミレトスを中心とする小アジアの植民市が、アケメネス朝に対して起こした出来事は?イオニア植民市の反乱
-
イオニアの反乱をアテネが支援したことが契機となって始まった戦争は?ペルシア戦争
-
前490年、アテネの重装歩兵軍がペルシア軍を破った戦いは?マラトンの戦い
-
ペルシア戦争でアテネ軍を指揮した将軍は?ミルティアデス
-
前480年、テミストクレスの指揮でアテネ海軍が勝利した海戦は?サラミスの海戦
-
サラミスの海戦で、アテネ軍が使用した軍船の種類は?三段櫂船
-
三段櫂船の漕ぎ手として活躍し、発言力を強めた階層は?無産市民
-
前479年、アテネ・スパルタ連合軍がペルシア軍を撃退し、勝利を決定づけた戦いは?プラタイアの戦い
-
ペルシアの再攻に備え、アテネを盟主に結成された同盟は?デロス同盟
-
デロス同盟の金庫が置かれていた島は?デロス島
-
ペルシア戦争後、アテネで民主政を完成させた指導者は?ペリクレス
-
ペリクレス時代、アテネの最高議決機関となったものは?民会
-
アテネ民主政において、全成人男性市民が参加する政治形態を何というか?直接民主政
-
将軍職を除く大部分の官職や裁判官はどのように選ばれたか?抽選
-
官職に就いた市民に支払われた手当を何というか?公職手当
-
アテネ民主政で、市民権が認められなかった人々を3つ挙げよ。女性・在留外人・奴隷
-
ペルシア軍を率いて第3回遠征(前480年)を行った王は?クセルクセス
-
第1回ペルシア遠征が行われたのは前何年か?前492年
-
サラミスの海戦に勝利したアテネ軍の指揮官は?テミストクレス
-
ペルシア戦争後、アテネが再建したドーリア式の代表的寺院は?パルテノン神殿
-
ギリシア側の重装歩兵が密集して戦う陣形を何というか?ファランクス
-
ペルシア軍の侵攻ルート(第3回)は、陸路とどこの海を通ったか?エーゲ海
-
アテネの民主政は、何の労働を前提として成立していたか?奴隷制度
-
ペルシア戦争によって、アテネとスパルタの関係はどうなったか?一時的に協力したが、後に激しく対立した
-
無産市民が漕ぎ手として政治的地位を高めたのはなぜか?海戦での勝利に大きく貢献したため
-
デロス同盟を率いたアテネと、ペロポネソス同盟を率いたスパルタが争った戦争は?ペロポネソス戦争
-
ペロポネソス戦争は何年から始まったか?前431年
-
ペリクレスの死後、アテネで台頭した扇動政治家を何というか?デマゴーゴス
-
大衆の感情に訴え、無責任な政策を行う政治を蔑んで何というか?衆愚政治
-
ペロポネソス戦争に勝利し、一時的にギリシアの覇権を握ったポリスは?スパルタ
-
スパルタの次に覇権を握ったポリスは?テーベ
-
ポリス間の抗争が続く中、没落した市民に代わって軍事の主力となったのは?傭兵
-
ギリシア北部に位置し、ポリスの混乱に乗じて勢力を伸ばした国は?マケドニア
-
マケドニア王で、全ギリシアを制圧した人物は?フィリッポス2世
-
前338年、マケドニアがアテネ・テーベ連合軍を破った戦いは?カイロネイアの戦い
-
フィリッポス2世がスパルタを除く全ポリスを結成させた同盟は?コリントス同盟
-
フィリッポス2世が暗殺された後、王位を継承したのは?アレクサンドロス大王
-
アレクサンドロス大王が東方遠征を開始したのは前何年か?前334年
-
イッソスの戦い(前333年)で大王が破ったペルシアの王は?ダレイオス3世
-
アケメネス朝ペルシアを滅ぼした戦い(前331年)は?アルベラの戦い
-
大王の遠征軍は、東はどこの流域まで到達したか?インダス川
-
アレクサンドロス大王が目指した、東西文明の融合政策を象徴する行動は?各地に王の名にちなんだ都市を建設したこと
-
大王が各地に建設した都市の名前は?アレクサンドリア
-
大王の死後、配下の将軍たちの間で起こった戦争は?ディアドコイ(後継者)戦争
-
ディアドコイ戦争の結果、エジプトに成立した王朝は?プトレマイオス朝
-
ディアドコイ戦争の結果、シリア(アジア)に成立した王朝は?セレウコス朝
-
ディアドコイ戦争の結果、マケドニア(ギリシア)に成立した王朝は?アンティゴノス朝
-
ヘレニズム諸王朝は最終的にどこによって征服されたか?ローマ
-
東方遠征の開始から、プトレマイオス朝の滅亡までの約300年間を何時代というか?ヘレニズム時代
-
ヘレニズム時代の終焉(プトレマイオス朝滅亡)は前何年か?前30年
-
ギリシア語が共通語として広まったが、その共通語を何というか?コイネー
-
アレクサンドロス大王の帝国において、政治の中心となった都市は?バビロン
-
ギリシア文化と東方の文化が融合して生まれた文化を何というか?ヘレニズム文化
-
エジプトのアレクサンドリアに建てられた、世界最大の図書館を併設した研究所は?ムセイオン
-
ディアドコイ戦争後、最も広い領土を保持した王朝は?セレウコス朝
-
アルベラの戦いが行われたのはどこの川の近くか?ティグリス川
-
大王の遠征の北限は、何という海(湖)の近くまで達したか?カスピ海
-
ギリシア本土の諸ポリスは、マケドニアに対してどのような態度をとったか?反乱を試みたが、制圧された
-
ヘレニズム時代、個人主義とともに広まった、自分を世界の市民とみなす考えは?世界市民主義
-
ヘレニズム時代の彫刻で、肉体の躍動感を表現した代表作はラオコーン、ミロのヴィーナスなど
-
アレクサンドロス大王は何歳で亡くなったか?32歳
-
大王が倒したアケメネス朝の都はどこか?ペルセポリス
-
大王の軍隊がインダス川で引き返した理由は?長年の遠征に疲弊した兵士たちが帰還を求めたため
-
ヘレニズム諸王朝の中で、最も長く存続したのは?プトレマイオス朝
-
アテネの民主政は「何制度」を前提としていたか?奴隷制度
-
アテネで市民権が認められたのは、どのような人々か?両親ともアテネ人である成人男性市民
-
ペロポネソス戦争後、市民の多くは没落し、不足した兵力は何で補われたか?傭兵
-
フィリッポス2世が強化した、長槍を用いた重装歩兵密集陣は?マケドニア式ファランクス
-
パルテノン神殿の建築様式は何式か?ドーリア式
-
ペリクレスがパルテノン神殿を再建した際の資金源は何だったか?デロス同盟の拠出金
-
ペルシア戦争の主要な戦場となったのは、どこの海沿いか?エーゲ海東岸およびギリシア本土沿岸
-
セレウコス朝から後に独立した、バクトリアやパルティアは何系か?ギリシア系およびイラン系
-
ヘレニズム彫刻が後のインドに伝わって影響を与えた仏教美術は?ガンダーラ美術
-
「デロス同盟」の盟主は?アテネ
-
「アレクサンドロス大王」の師であった哲学者は?アリストテレス
-
アテネの民主政において、1年任期の軍事指揮官職の名前は?ストラテゴス(将軍)
-
アレクサンドロス大王がエジプトで訪れ、神の子と認められた場所は?アモン神殿
ログイン