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20世紀初めに「 」が世界中を結び、技術革新が世界の一体化を加速させた「電信」
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20世紀ごろ大西洋と太平洋をつなぐ「 」が開通し、馬力を増た大型の「 」が荷を安価・大量・高速に運送するようになった「パナマ運河」
「蒸気船」 -
技術革新によって電気・石油の利用が始まり、「 ・ ・ 」が成長した「 」が起こった「鉄鋼・機械・科学産業」
「第2次産業革命」 -
「 」や「 」などの後発国は国家主導で重工業を促進し、軽工業中心であった「 」の優位に挑戦していった「アメリカ」「ドイツ」「イギリス」
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1870年代からの不況下で欧米諸国では大企業が経営負担に苦しんでいた中小企業を吸収したことによって起こった企業の集中・独占で「 」が形成された「独占資本」
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同種企業の連合のこと。特にドイツで発達した
例:同じ製品を同じ価格で売るカルテル -
同種企業の合併。特にアメリカで発達
例:セブンとファミマがくっつくトラスト -
多業種の企業の統合。特に日本とドイツで発達
例:財閥みたいなやつコンツェルン -
物や情報の往来が容易になるとヨーロッパ諸国は国外に資源と市場を求め、列強が競い合って植民地獲得を進める「 」の時代が到来した「帝国主義」
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アフリカはかつて「 」と呼ばれていたが、「 」や「 」らの探検によって内陸部にも資源や農地に富むことがわかった「暗黒大陸」
「リヴィングストン」
「スタンリー」 -
ベルギー王のコンゴ領有を受けて1884〜85年の「 」が開かれ、アフリカはアフリカ分割に合意し、アフリカ諸国とその人々を無視した「 」(その土地を最初に占領した国がそこを領有する)を互いに認めた「ベルリン会議」
「アフリカの土地先占権」 -
イギリスはウィーン会議で領有した「 」から北進し、金やダイアモンドを巡る「 」に勝利し、「 」を成立させる「ケープ植民地」
「南アフリカ(ブール)戦争」
「南アフリカ連邦」 -
フランスは「 」から東進して「 」まで進み、エジプトから南下していた「 」と衝突したことをなんというか「アルジェリア」
「東スーダン」
「イギリス」
ファショダ事件 -
ファショダ事件後「 」の率いるドイツが進出すると英仏は協調に転じて1904年に「 」を締結「ヴィルヘルム2世」
「英仏協商」 -
イギリスに抵抗したスーダンでの「 」など各地で激しい抵抗が起こったものの1880年代から1910年ごろまでに「 」,「 」を除いてアフリカ大陸は列強によって分割された「マフディーの反乱」
「エチオピア」
「リベリア」 -
列強はアフリカ大陸だけにとどまらず太平洋側にも進出しており、19世紀にはイギリスがオーストラリアの先住民である「 」を圧迫し、ニュージーランドでは「 」の抵抗を抑えて開拓を進めた「アボリジナル(アボリジニ)」
「マオリ」 -
西武開拓を進めたアメリカは国外での植民地獲得競争にも参入し、1898年には「 」を併合した「ハワイ」
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1898年に「 」に勝利したアメリカは「 」を事実上の保護領土にし、「 ・ ・ 」を支配下に置いた「アメリカ=スペイン戦争」
「キューバ」
「フィリピン・グアム・プエルトリコ」 -
日本は太平洋の国際政治に「 」、「 」を経て参入していくこととなった「日清戦争」
「日露戦争」 -
日本が幕末に締結した、「 」や「 」は欧米に有利であったため外交関係を求め条約改正が目指された「和親条約」
「修好通商条約」 -
「 」は条約改正の予備交渉を行なったものの失敗に終わり、政府は日本を「 」と捉えさせることが条約改正の近道と捉えるようになる。「岩倉使節団」
「文明国」 -
日本は文明国と認められるために極端な「 」を行い、1883年に完成した「 」はその象徴となった「欧化政策」
「鹿鳴館」 -
「 」外相時代には日本の裁判に対する欧米諸国の不信感を取り除くために裁判所に外国人裁判官を任用することが条約改正の条件に加わった。「井上馨」
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外国人裁判官を任用したのはいいが、イギリス船が紀伊半島沖で沈没し、日本人乗客のみが水死した事件を巡る領事裁判でイギリス人の船長船員は無罪となったことノルマントン号事件
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1885年福沢諭吉が『 』の社説として「 」を発表した。『時事新報』
「脱亜論」 -
脱亜論はヨーロッパを「 」、「 」とみなし日本はアジア諸国の連帯よりもむしろ、欧米列強と同様の方向、対等な関係を目指すべきだというものだった( )「文明」
「未開野蛮」
(脱亜入欧) -
日本はアジア(朝鮮)に対して「 」を突きつけるなど不平等条約を突きつける側になっており欧米と並び立とうとすることはアジアを蔑視することにもつながっていた「日朝修好条規」
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脱亜入欧のような考え方は、「 」に参加した「 」や「 」を唱えた知識人にも見られた「大阪事件」
「自由民権運動家」
「アジア主義」 -
アジアは文化的・政治的に一つであるという思想アジア主義
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19世紀ごろ国会では政府を批判する姿勢の中に、対外政策における政府の弱腰を批判し、より強固な対外政策を展開するべきという「 」が現れる「対外硬派」
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激しい政府批判を続けていた「 」は「 」が始まった途端に予算案を承認した「民党」
「日清戦争」 -
1894年、外国人居留地の廃止と、外国人の国内居住の承認とともに、領事裁判権を撤廃する「 」が成立。他国とも同様に結ばれ1899年発効「日英通商航海条約」
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イギリスが日英通商航海条約を結んだのは日本への「 」に対する役割を期待したためだった「ロシア」
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関税自主権の回復は1911年の「 」締結によって果たされた「改正日米通商航海条約」
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大審院に外国人判事を任用を容認して問題化した外相大隈重信
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ロシア皇太子を日本人巡査が襲った事件大津事件
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条約改正のいいところまで行ったが大津事件で辞職した外相青木周蔵
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日英通商航海条約に調印をし、領事裁判権の撤廃と関税自主権の一部回復を果たした外相陸奥宗光
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改正日米通商航海条約に調印し、関税自主権を完全回復させた外相小村寿太郎
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条約改正が19世紀末から20世紀初めに相次いで実現したのは「 」や「 」によって「 」としての体裁が整ったという事情もあった「憲法発布」
「国会開設」
「立憲国家」 -
朝鮮の開国・開港を巡る日清間の主導権争いは朝鮮の「 」や「 」への干渉を含むものとなった「内政」
「外交」 -
1894年、民衆宗教の「 」を信仰する農民が朝鮮政府に反発し、日本による侵略の阻止を掲げて武装蜂起した( )「東学」
(東学党の乱) -
甲午農民戦争の指導者全琫準
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展開
①日清双方が朝鮮にそれぞれの目的で派兵
②農民軍は朝鮮政府と和解
③日本軍は撤兵せず朝鮮王宮を襲撃し「 」による新
政府を樹立
④清や朝鮮の旧政関係者は反発「開化派」 -
8月1日、日清双方が宣戦布告し「 」が開戦「日清戦争」
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日清戦争の主戦場は朝鮮であったが次第に清の領内におよび、「 」や「 」などを占領した日本が優勢な中で清は講和を申し出る「旅順」
「威海衛」 -
日清戦争の講和条約下関条約
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下関条約
・「 」の独立承認
・「 ・ ・ 」を日本へ割譲
・賠償金「 」「朝鮮」
「遼東半島・台湾・澎湖諸島」
「2億両」 -
日本の領土になった台湾では清の役人や地元の有力者が「 」を樹立して日本の支配に激しく抵抗し、双方に甚大な被害を被った「台湾征服戦争」
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台湾征服戦争の死者のほとんどは「 」によるものだった「伝染病」
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日本の中国東北部進出を警戒した「 」は「 」、「 」とともに「 」の返還を日本に求めた( )「ロシア」
「ロシア」
「フランス」
「遼東半島」
(三国干渉) -
三国干渉を日本は呑み、代わりに賠償金「 」を得た「3000万両」
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清は賠償金の調達に苦しみ、列強から金を借りる代わりに「 」や「 」などを提供した「租借地」
「鉄道敷設権」 -
東アジアの国際政治の基本であった「 」は日清戦争・下関条約によって崩壊し、列強による「 」が進んだ「冊封体制」
「中国分割」 -
日清戦争後日本の藩閥政府は賠償金を元に軍備拡張を進めたが、それに対抗すべく結成された「 」は1898年に「 」を首相、「 」を内務大臣とする日本初の政党内閣( )を成立させる「憲政党」
「大隈重信」
「板垣退助」
「隈板内閣」 -
隈板内閣に続く「 」は「 」によって運動の取り締まりを強化し、「 」によって軍部の権益を強化「山縣有朋内閣」
「治安警察法」
「軍部大臣現役武官制」 -
伊藤博文は「 」や「 」とともに「 」を結成「憲政党」
「官僚」
「立憲政友会」 -
憲政党は「 」を中心に「 」と「 」が合同した政党である「立憲改進党」
「進歩党」
「自由党」 -
日清戦争後の中国では「 」らが列強による租借地や勢力拡大の設定に対して、中国分割の危機を感じていた「康有為」
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清は日本にならって近代化を推進することを主張し、「 」を動かして1898年中央政府の改革に着手( )「光緒帝」
(戊戌の変法) -
戊戌の政変は「 」ら保守派の反対にあい、クーデターによって「 」は幽閉され改革は百日で終わった( )「西太后」
「西太后」
(戊戌の政変) -
勢力拡大をする列強への怒りの矛先は外国を象徴する「 」や「 」へ向く。山東省の農民自警団組織から発展し、華北に広まった宗教的武装組織「 」は「 」を唱えて排外運動を起こす「キリスト教会」
「鉄道」
「義和団」
「扶清滅洋」 -
義和団は1900年、北京に入り、外国公使館を包囲。清の保守派はこれを利用して列強に対抗しようと各国に宣戦布告。各国は在留外国人の保護を名目に共同出兵し日本とロシアを主力とする「 」が北京を占領した( )「8カ国連合軍」
(義和団戦争) -
義和団戦争の講和条約北京議定書(辛丑和約)
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北京議定書
・巨額の「 」
・外国人軍隊の「 」を認める「賠償金」
「北京駐留」 -
北京議定書を結んだことにより清の「 」はさらに強まった「対外従属」
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三国干渉後、朝鮮の宮廷と政府内部では「 」が台頭し、ロシアの影響下で「 」は1897年に皇帝を称して「 ( )」を成立「親露派勢力」
「高宗」
「大韓帝国(韓国)」 -
日本はロシアと対立していたイギリスと「 」を締結し、中国と韓国における相互の利権を認め合った。「日英同盟」
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日露間でロシアの中国東北部( )での優越権と、日本の韓国での優越権を相互に認め合うように交渉したが拒否され、1904年に「 」開戦(満州)
「日露戦争」 -
日露戦争は日本の優勢で推移したが、日本の国力は消耗し、ロシアでも革命運動が頻発したため日露両国は1905年にはアメリカ大統領「 」の調停で「 」を結んだ「セオドア=ローズヴェルト」
「ポーツマス条約」 -
ポーツマス条約
・ロシアは日本の韓国に対する「 」を認
める
・「 ・ 」の租借権
・「 」の「 ・ 」の利権受け継ぎ
・「 」を日本へ割譲「優越権」
「旅順・大連」
「東清鉄道」「長春・旅順ロ間」
「南樺太」 -
ポーツマス条約には「 」がなかったためそれに不満を持った民衆が「 」を起こした「賠償金」
「日比谷焼き討ち事件」 -
「 」はアメリカとの間で結ばれ、フィリピン支配と韓国権益を相互に承認した条約「桂・タフト協定」
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日本の勝利は「 」や「 」で東洋の立憲国家による西洋帝国主義への勝利と捉えられた「イラン」
「オスマン帝国」 -
高宗は1907年に「 」に密使を送り、日本による保護国化などの不当性を訴えようとした( )「ハーグ万国平和会議」
(ハーグ密使事件) -
日本は日露戦争後、1905年に「 」を締結し、韓国の外交権を奪い( )翌年に「 」を設置「第2次日韓協約」
(保護国化)
「統監府」 -
ハーグ密使事件後、日本は高宗強制退位させ、以降、韓国のない政権も奪った。この間韓国では反日武装対抗( )が起こったほか、教育や言論中心の民族運動も展開され「 」が高まった(義兵運動)
「ナショナリズム」 -
1909年に独立運動家の「 」により初代統監であった「 」がハンビン駅で暗殺され、翌年に日本は韓国を植民地化し( )、行政機関として「 」を設置「安重根」
「伊藤博文」
(韓国併合)
「朝鮮総督府」 -
韓国併合後日本は日本語教育を中心とした「 」を行った「同化教育」
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日本の産業革命はイギリスから1世紀ほど遅れて明治維新後の政治や社会のしくみの変革に続き、「 ・ 」に並行して進んだ「資本主義化・帝国主義化」
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開港直後から日本の主要輸出品だった「 」は機械製糸の普及によって輸出品としての地位を確立「生糸」
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インドと同様に日本でもイギリスの「 」に押されて大打撃を受けたが、「 」の国内製造が活発になった。「綿製品」
「綿糸」 -
「 」の設立と、機械化が進み日本は綿糸の輸出国に転換したが、原価の綿花は「 ・ 」からの輸入に頼らざるを得なかった「大規模紡績工場」
「中国・インド」 -
日本は日清戦争の賠償金を元に1897年に「 」に移行し、アジア諸国に先んじて欧米の市場に参入した「金本位制」
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日清戦争の賠償金の一部は「 」の設立に充てられた。原料は清の「 」などで生産された安価な鉄鉱石が用いられた「官営八幡製鉄所」
「大冶鉄山」 -
持株会社が多角的に経営を行う「 」が誕生財閥
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四代財閥
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・・三井
・三菱
・住友
・安田 -
交通では1889年に「 ー 」間で「 」が開通、91年には「 」が「 ー 」間で鉄道を敷設し、鉄道が国内の長距離・大量の運送を担うようになった。海外との物資の往来では船舶がより有用になった「東京ー神戸」
「東海道線」
「日本鉄道会社」
「上野ー青森」 -
産業革命と資本主義化は「 」と「 」の貧富の差を拡大した。都市部の低所得者層の集住地帯( )が形成された「労働者」
「産業資本家」
「スラム」 -
劣悪な労働・生活環境で結核などの「 」にかかる人も多かった伝染病
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都市部では天満紡績会社の女工が増給を求めて、「 」をおこなうなどの労働運動が起こった。1897年には労働者が団結して権利を求める組織の結成を目指す「 」が結成される「ストライキ」
「労働組合期成会」 -
農村では地主が耕作をせず、高額の小作料と作物の販売益を得る「 」が拡大し小作人は困窮した「寄生地主制」
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日露戦争後、増税や若者の動員・戦死による農村の疲弊を問題視した内務省は「 」を提唱し、天皇の名の下に個人主義や快楽追求を戒め、「 」と勤労を勧めて国民の団結を促す「 」が発布される「地方改良運動」
「質素倹約」
「戊申詔書」 -
産業革命時、足尾銅山から排出された排水が渡瀬川に流れたことなどなどを受け、被害を受けた「 ・ 」の人々は「 」を中心に再発防止と補償を求めて運動を起こした( )「群馬・栃木」
「田中正造」
(足尾銅山鉱毒事件) -
日本初の社会主義として1901年に「 」が成立したが、「 」によって解散することになった「社会民主党」
「治安警察法」 -
1910年には天皇暗殺を企てたとして社会民主主義者数百名が検挙され、「 」ら24名に死刑判決がくだる「 」が起こった「幸徳秋水」
「大逆事件」 -
平等を目指した社会主義思想は、民主主義にも免じる面を持ったが政府によって厳しく弾圧された( )冬の時代
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