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市民革命がおこなわれる以前は、人も土地も( )の所有物だという考えだった。権力者
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国王の絶対的な権力は神から授かったものだという考え王権神授説 政治は国王とその側近の貴族でしていた(国王だけで政治をしていた訳ではない)
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( )は、世界の限りある資源を巡り人が争うので、絶対的な権力で自由を規制すべきだと考えた。ホッブズ
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( )は、資源は有限だが人々の労働により有用なものを増やせると考えた。ロック
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ロックは人々が生まれながらにもつ権利である( )を保障すべきと唱えた。自然権
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ロックは人々の権利を信託して政府を作り秩序を保とうという考えである( )という思想を唱えた。社会契約
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( )は「社会契約論」を著し、人民主権を唱えた。ルソー
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欧州では17〜18世紀にかけて社会を理性で合理的に捉える( )が広まり、従来の宗教・権威が批判の対象となった。啓蒙思想
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議会の承認なしに国王が課税することを禁止した「課税同意の原則」など、国王の権利を制限した憲章マグナ・カルタ イギリスでは、国王は議会と連携し政治を行うようになった
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国王に対し議会の同意なしの課税をやめるよう要求したこと権利の請願 国王は要求を拒否した
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1642〜49年、( )議会の( )を中心としたプロテスタントらが革命を起こし勝利した。ピューリタン クロムウェル 国王は処刑され、イギリスは共和国となった
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独裁を行っていたイギリス王を追放し、オランダに嫁いだイギリス王の娘とオランダ王をイギリスに招いたこと名誉革命
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国王も法に従い、人々の財産を濫りに奪う課税をすべきではないと記した法典権利の章典 キーワードは「法の支配」「財産権の保障」
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北米最初の植民地である( )植民地から1732年の( )植民地まで、13植民地が形成された。ヴァージニア ジョージア イギリスの白人が主に入植者となった。
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13植民地の北部では( )が、南部では( )が発達した。工業 農業 北部では造船業や製鉄業が発達し、南部
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1765年、イギリスはアメリカ植民地に対し( )を制定し、出版物や証書などに税を課した。印紙法
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植民地側はイギリスの課税に対し、「( )」として抗議した。代表なくして課税なし 議会に代表を送る権利のない植民地に対し、一方的に課税するのは不当だとした
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1773年、イギリスは( )を制定し、東インド会社にアメリカ植民地での茶の販売を独占させた。茶法 植民地側はこれを支配の強化と捉え、ボストン茶会事件の引き金となった
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1774年、13植民地の人々により第1回( )が( )で開かれた。 不当な課税の断固拒否など、イギリス本国に対し抗議すると決められた大陸会議 フィラデルフィア
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1775年、レキシントンとコンコードで武力衝突が発生し、( )が始まった。アメリカ独立戦争
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1775年、第2回大陸会議でイギリスとの武力闘争を決定し、( )が総司令官に選任された。ワシントン
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1776年、( )らが独立宣言を起草し独立の機運を高めた。トマス・ジェファソン
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1777年、大陸会議で( )が採択され、アメリカ合衆国の独立がうたわれた。連合規約
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1780年、イギリスの対アメリカ海上封鎖に対しアメリカを支援するために、ロシアの( )2世の提案で( )が結ばれた。 ロシア・プロイセン・ポルトガル等が参加エカチェリーナ 武装中立同盟
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1783年、( )条約によりイギリスとアメリカ間の講和が成立し、アメリカ合衆国の完全独立が承認された。パリ アメリカの領土としてカナダ、フロリダを除くミシシッピ川以東の土地を認めた
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1787年、合衆国憲法が制定され、国家権力の集中を防ぐために( )の思想である( )が盛り込まれた。モンテスキュー 三権分立
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