-
6世紀初めに朝鮮での大和政権の影響力を損なわしたとして政治の主導から外された氏大伴氏
-
6世紀中期に対立をしていたいた2つの氏物部氏、蘇我氏
-
物部氏と蘇我氏の対立の争点になったもの仏教
-
589年に中国の南北朝を統一した国隋
-
587年に滅ぼされた大連物部守屋
-
587年に物部守屋(大連)を滅ぼした大臣蘇我馬子
-
蘇我馬子が592年に暗殺した天皇崇峻天皇
-
敏達天皇の妃で蘇我馬子に擁立された天皇推古天皇
-
推古天皇の甥で蘇我馬子と共に(独裁への抑止力)政治を行なった人物聖徳太子
-
603年に聖徳太子が定めた能力で位分けするもの冠位十二階
-
冠位十二階の翌年の604年に聖徳太子が作った役人の心構え憲法十七条
-
憲法十七条の一条目和を以って貴しとなし(仲良くしろよ)
-
憲法十七条の2条目三法を敬え(仏教を大切にしろ)
-
憲法十七条の3条目詔を承りて敬え(天皇の言うことは聞け)
-
聖徳太子が600年から隋に派遣し続けた使節遣隋使
-
遣隋使の記録が載っている隋の書物「随書」
-
607年に遣隋使として隋に渡った人物小野妹子
-
遣隋使が謁見して激おこになった隋の皇帝煬帝
-
始めの遣唐使として唐に渡った人物犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)
-
618年に隋から変わって新しくなった国唐
-
630年に行った遣隋使の次の使節遣唐使
-
遣隋使に同行した学問僧(2人)南淵請安、旻
-
遣隋使に同行した留学僧高向玄理
-
飛鳥に作っていっていた大王の邸宅などがある都宮都
-
7世紀前半に蘇我氏などが広めた仏教を中心とした文化飛鳥文化
-
聖徳太子が奈良に建てた寺法隆寺
-
聖徳太子が大阪に建てたお寺四天王寺
-
飛鳥文化で仏像彫刻を作った作者鞍作鳥(くらつくりとり)
-
鞍作鳥が作った法隆寺の仏像法隆寺金堂釈迦三尊像
-
鞍作鳥が影響を受けた中国南北朝の様式北魏様式
-
厳しい顔つきをした北魏式と反対に柔らかい顔つきをした木造 (2つ)中宮寺半跏思惟像(ちゅうぐうじはんかしゆいぞう)、法隆寺百済観音像(ほうりゅうじくだらかんぞう)
-
虫の羽をちぎって並べたヤバい箱(法隆寺)法隆寺玉虫厨子
-
聖徳太子があの世で健やかになっていることを願う刺繍中宮寺天寿国繡帳(ちゅうぐうじてんじゅこくしゅうちょう)
ログイン