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イギリスの歴史家ホブズボームが提唱した、第一次世界大戦の開始からソ連解体までの時代区分は?短い20世紀
【解説】1914年から1991年までを、イデオロギー対立と世界大戦を特徴とする一つのまとまった時代と捉える考え方です。 -
「短い20世紀」に対し、フランス革命から第一次世界大戦前までの、ブルジョワジーと資本主義が発展した時代を何というか?長い19世紀
【解説】「短い20世紀」と対になる概念で、19世紀的な自由主義が続いた時代を指します。 -
産業革命による大量生産が、帝国主義を促した経済的な理由を2つ答えよ。①製品を売るための市場、②生産のための資源供給地の確保
【解説】国内だけでは消費しきれない製品を売り、生産に必要な原料を安く手に入れるため、各国は植民地拡大を競いました。 -
17世紀、19世紀、20世紀の覇権国家はそれぞれどこか?17世紀:オランダ、19世紀:イギリス、20世紀:アメリカ
【解説】覇権国家とは、軍事力だけでなく、世界の生産・貿易・金融システム全体を支配する国家のことです。 -
「発展途上国」の英訳は?developing country
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「先進国」の英訳は?developed country
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すべての国が「伝統社会→近代社会」という一本道で発展すると考える理論は?単線的経済発展の図式(近代化論)
【解説】この考え方では、途上国はまだ発展していない「未開発」な状態とされます。 -
先進国が途上国を支配・搾取することで、意図的に発展を妨げているとする理論は?従属理論
【解説】この考え方では、途上国は先進国のために「低開発」な状態に留め置かれているとされます。 -
日清戦争の風刺画で、朝鮮半島を象徴する「魚」を狙っている国はどこか?日本と清
【解説】両国が朝鮮半島の利権をめぐって対立している様子が描かれています。 -
その日清戦争の風刺画で、橋の上から様子をうかがっている国はどこか?
ロシア
【解説】朝鮮半島への進出を狙うロシアの南下政策を象徴しています。 -
日露戦争の風刺画「火中の栗」で、栗(満州・朝鮮の利権)を焼いている国はどこか?ロシア
【解説】コサック兵の姿で描かれており、満州・朝鮮の利権の持ち主であることを示しています。 -
その「火中の栗」を、日本に拾わせようとしている国はどこか?イギリスとアメリカ
【解説】ロシアの南下を警戒する両国が、日本を焚きつけてロシアと戦わせ、自国の利益を得ようとしている様子を風刺しています。 -
帝国主義とは、どのような特徴を持つ考え方・政策か?植民地の獲得と他民族の支配
【解説】自国の経済的・軍事的利益のために、他国・他民族を支配下に置こうとする動きです。 -
19世紀、オスマン帝国の衰退に乗じてヨーロッパ列強が勢力争いを始めた問題を何というか?東方問題
【解説】弱体化したオスマン帝国(ヨーロッパの病人)の領土と利権をめぐる、ヨーロッパ列強の複雑な対立です。 -
19世紀のオスマン帝国で試みられた、上からの近代化改革を何というか?タンジマート
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1876年にオスマン帝国で制定された、アジア初の憲法ともいわれる憲法の名は?ミドハト憲法
【解説】タンジマートの集大成として制定されましたが、露土戦争の敗北を口実に停止され、専制政治が復活しました。 -
バルカン半島で、ロシアが支援したスラヴ系民族の統一を目指す思想は?パン=スラヴ主義
【解説】ロシアはこれを名目にバルカン半島への南下政策を進めました。 -
バルカン半島で、オーストリアが支援したゲルマン系民族の連携を訴える思想は?パン=ゲルマン主義
【解説】パン=スラヴ主義と対立し、第一次世界大戦の背景の一つとなりました。 -
第一次世界大戦直前のバルカン半島は、その不安定さから何と呼ばれていたか?ヨーロッパの火薬庫
【解説】オスマン帝国の支配が揺らぎ、民族主義と大国の利害が複雑に絡み合っていました。 -
第一次大戦直前のバルカン戦争(1912, 1913年)が短期で終わったことは、人々にどのような誤った認識を与えたか?戦争に対する楽観的な姿勢(次の戦争も短期で終わるだろうという考え)
【解説】この楽観論が、第一次世界大戦という未曾有の大戦への突入をためらわせない一因となりました。 -
第一次世界大戦で本格的に使用され、戦争を悲惨なものにした新兵器を3つ挙げよ。機関銃、戦車、毒ガス(飛行機も可)
【解説】これらの兵器により膨大な戦傷者が出て、戦争は長期化しました。 -
国の人的・物的資源を全て動員し、国民生活全体を巻き込む戦争の形態を何というか?総力戦
【解説】総力戦では、前線の兵士だけでなく、銃後の国民も戦争協力が求められ、生産力や経済力が勝敗を分けます。
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総力戦において、兵役で不足した男性労働者を補うため、工場などに動員されたのは誰か?女性
【解説】兵器工場などで女性が働く姿は、総力戦を象徴する光景の一つです。
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女性の社会進出が進んだ結果、第一次大戦後に多くの国で認められるようになった権利は?女性参政権
【解説】戦争への貢献が、女性の政治的権利を求める声を後押ししました。 -
第一次大戦中、イギリスは植民地をどのように利用したか?資源の供給地、人的資源(兵士や労働者)の提供地として利用した。
【解説】インドなどから多くの兵士がヨーロッパ戦線に動員されました。 -
戦争に協力した植民地側が、戦後に宗主国(イギリスなど)に対して求めたものは何か?独立あるいは自治権の拡大
【解説】しかし、イギリスなどはその要求を無視し、弾圧したため、独立運動が激化するきっかけとなりました。 -
19世紀、イギリスが中国(清)から大量に輸入していたものは何か?茶
【解説】イギリス国内で喫茶の習慣が広まり、茶の需要が急増していました。 -
イギリスが中国に密輸した、インド産の麻薬は何か?アヘン
【解説】アヘンの密輸は、中国社会に深刻な影響を与えました -
イギリスがアヘンを中国に密輸した、貿易上の主な目的は?茶の購入でイギリスから中国へ流出した銀を回収するため。
【解説】イギリスの主力製品である綿織物は中国では売れず、イギリスは対中貿易で大幅な赤字でした。 -
イギリスの綿織物はインドでは売れたが、中国で不振だった理由は?インド向けは薄手だったが、中国では厚手の綿織物が好まれたため。
【解説】気候や文化の違いにより、イギリス製品が中国市場の需要に合致しませんでした。 -
アヘン戦争後もイギリスの貿易が伸び悩んだ、中国国内の経済的な要因は?中国は広く、各地域の経済圏が分立していた(国内市場が統一されていなかった)ため。
【解説】イギリスが想定したほど、中国全土に商品が流通しませんでした。 -
洪秀全を指導者とした、清朝末期の大規模な内乱は?太平天国の乱
【解説】1851年から10年以上にわたって続きました。 -
太平天国が掲げた、キリスト教系の新宗教が民衆に支持された理由は?増税や災害に苦しむ民衆が、清朝を打ち負かした**欧米列強の宗教(キリスト教)**に魅力を感じたから。
【解説】アヘン戦争での清朝の敗北が、西洋の宗教への関心を高めました -
太平天国の乱が掲げた、「満洲人を滅ぼし、漢人を復興させる」というスローガンは?滅満興漢
【解説】清朝は満洲人による王朝であり、人口の多数を占める漢人からの反発がありました。 -
太平天国の乱を鎮圧したのは、清朝の正規軍ではなく、どのような人々だったか?地方の漢人官僚が率いる郷勇(私兵)や外国人傭兵。
【解説】これにより、清朝中央の軍事的な無力さが露呈しました。 -
太平天国の乱の鎮圧後、漢人官僚らが中心となって進めた近代化改革は?洋務運動
【解説】曽国藩や李鴻章らが指導者となりました。 -
洋務運動のスローガンで、「中国の伝統を維持しつつ、西洋の技術を導入する」という意味の言葉は?中体西用
【解説】「中体」は中国の体制・精神、「西用」は西洋の技術を指します。 -
洋務運動による一時的な安定期を何と呼ぶか?同治の中興
【解説】これにより清朝は一時的に延命しました。 -
日本に比べ、中国が欧米列強から受けた圧力が非常に大きかった理由は?
欧米列強が、人口の多い中国を巨大な市場として狙っていたから。
【解説】日本への圧力は、中国への圧力と比較すると小さいものでした。
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政治面で、日本が近代化に成功し、中国が遅れた決定的な違いは?日本は明治維新で新政府が成立したが、中国では清朝が存続し旧体制が維持されたこと。
【解説】日本では新政府の下で大胆な改革(富国強兵)が進められました。 -
経済面で、日本が近代化に有利だった点は?江戸時代に発達した流通網により、統一的な国内市場が形成されていたこと。
【解説】中国は国土が広大で地域経済が分立しており、近代産業の成長に不利でした。 -
第一次世界大戦後のパリ講和会議で提唱された、「各民族が自らの国家を持つ権利」を何というか?民族自決の原則
【解説】アメリカのウィルソン大統領が提唱した原則です。 -
民族自決の原則が適用されなかった地域はどこか?アジア・アフリカ
【解説】戦勝国(イギリスやフランス)の植民地には適用されず、敗戦国の領土解体に利用されました。 -
民族自決の原則に基づいて多くの独立国が生まれた東ヨーロッパで、新たに発生した問題は?誕生した国が国内に少数民族を抱え、民族対立が続いたこと。
【解説】民族の居住地域が複雑に入り組んでいたため、完全に民族ごとに国境線を引くことは不可能でした。
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第一次世界大戦の敗戦国ドイツと連合国の間で結ばれた講和条約は?ヴェルサイユ条約
【解説】ドイツにとって極めて厳しい内容でした。 -
ヴェルサイユ条約でドイツが課せられた内容は?すべての海外領土の喪失、国土の一部の割譲、莫大な賠償金。
【解説】これによりドイツ経済は混乱し、ハイパーインフレが発生しました。 -
ヴェルサイユ条約に対するドイツ国民の不満は、後にどのような政治的結果を招いたか?ヒトラー(ナチス)の台頭
【解説】条約への反発と、当時のヴァイマル共和国政府への不信感が、ナチス支持の土壌となりました。 -
1920年に成立した、史上初の常設の国際平和機関は?国際連盟
【解説】永久平和を目的とし、集団安全保障体制の思想を具体化したものでした。
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国際連盟の大きな限界の一つとして、提唱国でありながら参加しなかった大国はどこか?アメリカ合衆国
【解説】アメリカ議会の反対により、加盟できませんでした。 -
国際連盟の意思決定において、素早い行動を妨げた原則は何か?全会一致の原則
【解説】一国でも反対すれば何も決定できないという制度上の欠陥がありました。 -
国際連盟が持つ制裁手段は、何に限られていたか?経済制裁のみ
【解説】軍事的な制裁力を持たなかったため、侵略行為を止める力がありませんでした。 -
1921〜22年に、アジア太平洋地域の秩序構築のために開かれた会議は?ワシントン会議
【解説】これにより形成された国際秩序を「ワシントン体制」と呼びます。 -
ワシントン海軍軍縮条約で定められた、米・英・日の主力艦保有比率は?5:5:3
【解説】これにより各国の軍事費削減が図られました。 -
ワシントン会議で結ばれ、日英同盟の解消につながった条約は?四ヵ国条約(米・英・日・仏)
【解説】太平洋における現状維持が定められました。 -
中国の主権尊重と領土保全を定め、日本が山東半島を返還する根拠となった条約は?九ヵ国条約
【解説】中国市場への機会均等が目指されました。 -
1929年、アメリカの株式市場の暴落から始まった世界的な経済危機は?世界恐慌
【解説】ヨーロッパの復興による米国商品の余剰や、過熱した投機が背景にありました。 -
世界恐慌に対し、アメリカのF.ローズヴェルト大統領が実施した一連の景気回復政策は?ニューディール政策
【解説】公共事業による失業者救済や社会保険制度の整備など、政府が経済に積極的に介入しました。
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イギリスやフランスがとった、本国と植民地だけで排他的な貿易圏を作る政策は?ブロック経済
【解説】他国製品に高関税をかける政策で、結果的に国際貿易全体が縮小しました。 -
共産主義や議会制民主主義を否定し、独裁と対外侵略を特徴とする全体主義的な政治体制は?ファシズム
【解説】イタリアのムッソリーニ政権がその典型です。 -
ドイツでヒトラー率いるナチスが政権を獲得し、独裁を確立させた法律は?全権委任法
【解説】これにより憲法が停止され、政府が立法権も掌握しました。 -
ナチス政権下で弾圧・迫害の対象となったのはどのような人々か?ユダヤ人、少数民族、心身障がい者、政治的反対派
【解説】彼らは強制収容所などで殺害されました。 -
1931年、関東軍が奉天郊外で南満洲鉄道の線路を爆破し、満洲を占領した事件は?満洲事変
【解説】柳条湖事件をきっかけとし、日本軍はこれを中国側の仕業だと主張しました。 -
満洲事変後、日本が建国した「満洲国」の執政(のち皇帝)となった人物は?溥儀(ふぎ)
【解説】清朝最後の皇帝であった人物です。 -
満洲事変の調査のため、国際連盟が派遣した調査団は?リットン調査団
【解説】その報告書は、日本の軍事行動と満洲国建国を認めませんでした。 -
リットン調査団の報告書が採択されたことを受け、日本がとった行動は?国際連盟からの脱退
【解説】首席全権の松岡洋右によって通告され、日本は国際的に孤立しました。 -
当時、中国で内戦を続けていた二つの主要な政党は?中国国民党と中国共産党
【解説】国民党は蒋介石、共産党は毛沢東が率いていました。
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内戦停止と抗日を迫るため、張学良が蒋介石を監禁した事件は?西安事件
【解説】これをきっかけに、国共合作による抗日民族統一戦線が成立しました。 -
1937年、日中戦争が始まるきっかけとなった北京郊外での武力衝突事件は?盧溝橋事件
【解説】偶発的な発砲から衝突が起こり、全面戦争へと発展しました。 -
日中戦争で、中国側が首都を南京→武漢→重慶と移しながら続けた戦略は?徹底抗戦(長期消耗戦)
【解説】米英ソの援助を受け、広大な国土を利用して日本軍を疲弊させました。 -
日本が日中戦争を「戦争」と呼ばず「事変」と扱った理由は?アメリカの中立法(交戦国への武器・資源の輸出禁止)の適用を避けるため。
【解説】日本は戦争継続のための資源をアメリカに依存していたため、公式に戦争と認めるわけにはいきませんでした。 -
1938年、英仏がドイツのズデーテン地方割譲要求を認めた会談は?ミュンヘン会談
【解説】戦争回避のために行われた宥和政策の典型例とされます。 -
ミュンヘン会談が残した教訓とは?敵対国への安易な譲歩は相手の増長を招くだけであり、強力な抑止力が必要であるということ。【解説】宥和政策はドイツの膨張を止められず、翌年のポーランド侵攻を招きました。
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1939年の独ソ不可侵条約締結を受け、日本の平沼騏一郎内閣が総辞職する際に述べた言葉は?欧州の情勢は複雑怪奇
【解説】反共産主義でドイツと同盟していた日本にとって、ドイツとソ連の接近は大きな衝撃でした。 -
1941年、日ソ中立条約を結んだ日本の狙いは?ソ連との関係を安定させ、南進政策を進めてアメリカに対抗するため。
【解説】北の安全を確保し、南の資源地帯へ進出することが目的でした。 -
1941年、日ソ中立条約を結んだソ連の狙いは?日本との関係を安定させ、ドイツとの戦争に備えるため。
【解説】両国とも、二つの敵に挟撃される事態を避けようとしました。 -
日本が東南アジアへの南進政策をとった主な理由は?アメリカとの対立が深まる中、独自の資源調達先を確保するため。
【解説】日中戦争継続に必要な石油などの軍需物資の確保が急務でした。 -
日本がアジア太平洋地域の支配を正当化するために掲げたスローガンは?大東亜共栄圏
【解説】「八紘一宇」を唱え、欧米からの解放を名目としましたが、実際には日本による新たな支配でした。 -
太平洋戦争の戦局の転換点となり、日本が航空戦力を大幅に失った海戦は?ミッドウェー海戦(1942年6月)
【解説】以後、戦局は連合国側が優勢となりました。 -
1944年、サイパン島が陥落したことで可能になったことは?日本本土への(本格的な)爆撃
【解説】サイパン島はB-29爆撃機の発進基地となり、11月から空襲が本格化しました。 -
1945年8月、日本の降伏(ポツダム宣言受諾)を決定づけた出来事を3つ挙げよ。①広島への原爆投下、②ソ連の対日宣戦、③長崎への原爆投下
【解説】これらの出来事を経て、8月14日にポツダム宣言受諾が決定されました。
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第一次世界大戦にて、ドイツとロシアが結んだ条約をあげよブレスト=リトフスク条約
【解説】ロシアはドイツに敗戦してその際に結んだ条約です。最終的にロシア革命につながりました。 -
ドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国・イタリアの同盟を答えよ三国同盟 (中央同盟)
【解説】もともと、この三国であったが、オーストリアハンガリーとの領土の兼ね合いでイタリアが抜けて、オスマン帝国が加入しました。 -
日本が日清戦争にて獲得した遼東半島を返還させたことをなんというか三国干渉
【解説】日本の大陸進出を警戒した、ロシア、フランス、ドイツは遼東半島を返還するように言った -
第二次世界大戦にて、ナチスドイツが、フランスを降伏させて、フランス南部に作った政権は?ヴィシーフランス
【解説】植民地をドイツが運営すると多額の資金がかかることから、植民地運営をヴィシーフランス政府に任せた。その点、傀儡国であったといえる。また、将軍はペタン -
第二次世界大戦にて、フランスの亡命政府はなんていうか自由フランス
【解説】シャルルドゴールによる、亡命政府。
世界からは最初認められなかったみたいだ
ちなみに、植民地政府はほとんどヴィシー政権についた。 -
独ソ戦にて、ドイツ軍が大敗した戦闘は?スターリングラード攻防戦
【解説】ソ連の独裁者、スターリンの名前がなずけられたこの都市スターリングラードに、ドイツ、ソ連が固執。結果としてドイツが大敗を期した -
独ソ戦における最終盤にソ連が大攻勢した作戦はバグラチオン作戦
【解説】独ソ戦でスターリングラードで大敗した後、ドイツ軍は、撤退を続けたが、最終的に、ソ連軍は押し返す大規模作戦を実行したその際の名前。
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