-
貸本屋江戸時代に現れた本を貸して回る行商人。庶民が小説を読める環境を提供した。
-
洒落本遊里を舞台に、遊里の習慣や風習、遊女と客の交わす会話を描く。
-
山東京伝田沼の頃に活躍。洒落本の作品として「仕懸文庫」が有名。寛政の改革で手鎖50日の弾圧を受ける。
-
黄表紙大人の絵本、というか漫画に近い。紙面いっぱいに絵が大きく描かれ文章も書き込まれる。ページ数は10ページ程度。
-
恋川春町田沼の頃に活躍した、黄表紙の作家。「金々先生栄花夢」が代表作。
-
前期読本あるいみ、真面目な歴史小説。長編小説。勧善懲悪が特徴で最後は正義が勝つ。弾圧はされない。
-
上田秋成前期読本を代表する作家。「雨月物語」が代表作。怨霊や幽霊、化け物がでてくる短編の話が10個。
-
蕪村田沼の頃の俳諧作家兼文人画の画家。絵画的な俳諧を詠んだ。
-
柄井川柳俳句の形式で滑稽さや世間への風刺を行う川柳の第一人者。
-
狂歌短歌の形式で滑稽さや世間への風刺を行う。大田南畝、宿屋飯盛
-
歌浄瑠璃人形芝居無しで三味線と歌だけで行う浄瑠璃。流派があり、常磐津節、新内節、清元節など。
-
竹田出雲享保期に活躍。大阪の竹本座の座元で「菅原伝授手習鑑」「仮名手本忠臣蔵」などの脚本を書いた。
-
近松半二田沼の頃に活躍。近松門左衛門の養子を勝手に名乗る。「本朝甘四孝」を書いた。
-
鈴木春信18世紀の中頃、錦絵と呼ばれる多色刷の版画を完成させたのは誰か。
-
喜多川歌麿天明期に活躍した浮世絵の絵師。美人画を得意とし、表情を大きく描く大首絵で描いた。
-
円山応挙京都の画家。西洋画の遠近法や陰影法を日本の絵画に取り入れながら、写生に力を入れた。円山派とか写生画とか呼ばれる。
-
文人画中国で盛んであった、知識人が余技として描いた絵画を真似たものをなんと呼ぶか。蕪村と池大雅の合作「十便十宜図」が有名。
-
司馬江漢洋学者兼西洋画家。日本最初の銅版画を作ったのが有名。
-
亜欧堂田善西洋画や銅版画の作品を残している。
-
松平定信御三卿の田安家の出身で、白河藩の松平家に養子として入った。天明の大飢饉を経験した後、将軍家斉が14才で将軍になると、老中首座となり改革を主導した。
-
宇下人言松平定信の自叙伝の書名はなにか。
-
人口流出を抑えるため。寛政の改革で東北で盛んに行われていた冬季の出稼ぎを制限したのはなぜか。
-
囲い米飢饉に備えて大名には1万石につき50石の備蓄を義務付けた。これをなんというか。
-
勘定所御用達寛政の改革では江戸の豪商10人を選び、資金や知恵を提供させて幕府の政策に利用した。彼らをなんと呼んだか。
-
公金貸付農業の再生のために資金を農民に貸し付けたがこれをなんというか。
-
旧里帰農令東北の農村人口の回復と江戸の下層民衆の削減のために江戸に流入した農民の帰村を奨励した。
-
石川島人足寄場職業訓練を行うという名目で江戸市中の浮浪人を集め、江戸の治安回復を図ったがこの施設をなんというか。
-
七分積金江戸の町入用を節約し、節約分の7割を積み立てて米倉に籾を保管し、飢饉に備えたがこれをなんというか。
-
札差幕府の蔵から俸禄米を受け取る旗本・御家人の代理人として蔵から米を受け取り、現金化する商人をなんというか。
-
棄捐令札差への負債の苦しむ旗本・御家人を救済するために6年以前の古い負債は破棄させ、5年以内の新しい負債を低利で年賦返済させたがこれをなんというか。
-
昌平坂学問所それまで林家の私塾だったが林家の学問レベルが低下したため、松平定信は幕府の正式の官学とし林家以外の優秀な教授を招いた。その名称はなにか。
-
寛政の三博士昌平坂学問所の教授となった人物。紫野栗山・尾藤二洲・岡田寒泉のことをなんというか。
-
寛政異学の禁昌平坂学問所での授業について、朱子学以外の儒学の講義を禁止した。これをなんというか。
-
学問吟味松平定信は幕府の役人を採用するための試験制度を始めて実施した。この試験をなんと呼んだか。
-
林子平ロシア船接近に対して、外国船に対抗して大砲などの防衛施設の必要を訴えた。この人物は誰か。
-
山東京伝寛政の改革で弾圧された酒楽本作家は誰か。
-
恋川春町寛政の改革で弾圧された黄表紙作家は誰か。
-
尊号一件光格天皇が父親に上皇の称号を贈ろうとしたが幕府が拒否したため実現しなかった。この事件をなんというか。
-
寛政期の藩政改革18世紀後半の藩政改革をなんというか。
-
細川重賢熊本藩主。藩校時習館の設立や殖産興業を行った。
-
上杉治憲米沢藩主。藩校興譲館の設立や殖産興業を行った。
-
佐竹義和秋田藩主。藩校明徳館の設立や殖産興業を行った。
-
ラクスマン1792年、皇帝エカテリーナ2世の命を受け、根室に来航し、通商を求めたロシアの使節は誰か。
-
大黒屋光太夫伊勢の船頭でアリューシャン列島に漂着しラクスマンに連れられて日本に送還されたのは誰か。
-
近藤重蔵江戸幕府の役人で探検家。千島探検を行い、択捉島に上陸し、そこに「大日本恵土呂府」の標柱を立てたのは誰か。
-
レザノフ1804年、長崎に来航し通商を要求したロシアの使節は誰か。
-
松前奉行幕府はラクスマン来航後、東蝦夷地を直轄地とし更にレザノフの事件の後、残りの西蝦夷地も直轄地としたがそのときに蝦夷地においた奉行をなんというか。
-
間宮林蔵幕府の役人。1808年に樺太を探検し、間宮海峡を発見することで樺太が半島ではなく、島であることを始めて確認した。
-
ゴローニン事件1811年、ロシア艦長が国後島に上陸したのを日本側が逮捕した。それに対抗してロシア側は日本人商人の高田屋嘉兵衛を捕らえた。この事件をなんというか。
-
フェートン号事件1808年、イギリスの軍艦が長崎港に不法に侵入して乱暴狼藉を働き3日後に出ていった事件をなんというか。
-
ナポレオン戦争フェートン号事件は本当はオランダ船への攻撃が目的だったと言われているが背景としてヨーロッパで何が起きていたのか。
-
異国船打払令1825年、幕府が清・オランダ船以外の外国船を実力で撃退するよう命じたがこれをなんというか。
-
徳川家斉11代将軍。14歳で将軍になってから69歳で死去するまで50年以上に渡り将軍、大御所として幕政に君臨したのは誰か。
-
徳川家慶12代将軍。徳川家斉の子は誰か。
-
大御所政治家斉は将軍職を子供家慶に譲った後も、政治の実権を大御所として握り続けた。これをなんというか。
-
関東取締出役関東周辺は小さな譜代大名や旗本の領地が細かく入り組んでいて犯罪者は追われても隣の領地に逃げ込むことで簡単に逃亡できた。そこで公私領に関わらず広く警察権を行使できる新しい警察を置いたがそれをなんというか。
-
寄場組合関東の村々が連合して組合村を結成し協力して治安維持に勤めた。
-
天保の飢饉1833~1836年にかけて東北地方を中心におこった飢饉。原因は冷害で天明の飢饉と似ている。百姓一揆や打ちこわしが多発し、幕政が動揺した。
ログイン