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あんちゅうもさく暗中模索
手がかりのない中で、色々と試してみること。 -
がだてんそく画蛇添足
余計なことをして失敗すること。 -
だいじだいひ大慈大悲
限りなく大きな仏の慈悲。 -
じんめんじゅうしん人面獣心
非情で残酷な人のたとえ。けだものの心を持った人間という意味から。 -
しょうようふはくk従容不迫
のんびりと落ち着いている様子。「従容」は気持ちが落ち着いていること。「不迫」は何事にも動じないこと。 -
たいがんじょうじゅ大願成就
大きな願いごとがかなうこと。 -
めんじゅうふくはい面従腹背
相手におとなしく従うふりをしながら、心の中で相手に歯向かうこと。「面従」は面と向かい合っている時だけ従うこと。「腹背」は心の中で歯向かうこと。 -
せっしょうきんだん殺生禁断
生き物を捕ったり、殺したりすることを禁止すること。 -
りごうしゅうさん離合集散
離れては集まり、集まっては離れたりすること。「離合」と「集散」はどちらも離れたり集まったりすることで、同じ意味の語を重ねて強調した語。 -
しゅちにくりん酒池肉林
極めて贅沢で豪勢な宴会のこと。または、性的に乱れている宴会のこと。 -
なんせんほくば南船北馬
絶え間なくいろいろな所を旅行してまわること。「南船」と「北馬」はどちらも中国の移動手段。 -
うかとうせん羽化登仙
酒に酔うなどして天に昇天するような心地良さになることのたとえ。 -
しゅしゃせんたく取捨選択
必要なものだけを取って、不必要なものを捨てること。 -
ほうかこうぎん放歌高吟
大声で歌を歌ったり、周りを気にせずに詩を吟じたりすること。「高歌」は大きな声で歌うこと。「放吟」は周りを気にせずに詩歌を吟じること。 -
げっかひょうじん月下氷人
男女の間に入り、結婚の手助けをする人。仲人。「月下」は「月下老人」を略したもので、縁結びの神のこと。 -
わちゅうきょうどう和衷共同
心を合わせて協力して物事を行うこと。「和衷」は心の底から一つに合わせること、「協同」は協力して物事を行うこと。 -
ふはいだらく腐敗堕落
気持ちがゆるんで、だらしない生活をするようになること。 -
ようちょうしょうけい羊腸小路
曲がりくねっている山道や小道のこと。「径」は道のことで、羊の腸のような道という意味から。 -
ちょうぼうぜっか眺望絶佳
目の前の風景がすばらしい様子。「眺望」は見晴らしがよいこと。「絶佳」は非常にすばらしいこと。 -
ないせいかんしょう内政干渉
ある国の政治や外交などの問題に他国が口を出すこと。 -
こうきしゅくせい綱紀粛正
政治家や役人を厳しく取り締まり、乱れを正して規則を守らせることが本来の意味。 -
がいじゅうないごう外柔内剛
外見は穏やかでやさしそうに見えるが、心の中には何事にも左右されない強い意志や信念をもっていること。 -
しんざんゆうこく深山幽谷
人里から遠く離れ、誰も足を踏み入れたことがないような深く静かな自然の地のこと。「深山」は人里から遠く離れた奥深い山のこと。「幽谷」は山奥の静かな谷のこと。 -
じごうじとく自業自得
自分が行ったことが自分に返ってくること。悪い意味で使われることが多い。 -
いっきとうせん一騎当千
並外れた能力を持つ勇敢な人のこと。「一騎」は一人の騎兵、「当千」は千人の敵と当たることで、一人で千人の敵と戦うことが出来るほど強いという意味から。 -
いかんせんばん遺憾千万
この上なく残念なこと。「遺憾」は心残り、残念ということ。「千万」は量が多いということから、非常に程度が高いこと。 -
かぶんしょうけん寡聞少見
知識や経験が少ないこと。または、世間のことを知らないこと。 -
つうかいむひ痛快無比
胸がすっとして、並外れて楽しく気持ちのよい様子。「無比」は比べることができるものが存在しないということ。 -
さんみいったい三位一体
三つのものがしっかりと結びついて、一つのもののようになること。または、三人が心を一つにして物事にあたること。 -
いばしんえん意馬心猿
煩悩や情欲などの欲望に、心を乱されて落ち着かないこと。「意馬」は馬が興奮して暴れまわるように、気持ちが落ち着かないこと。「心猿」は激しく騒ぐ猿のように、気持ちが落ち着かないこと。 -
しんらばんしょう森羅万象
この世に存在する全てのものや現象。「森羅」は生い茂った木々がどこまでも並び続いている様子のことから、無数に連なるという意味。「万象」は形あるもの全てという意味。 -
やろうじだい夜郎自大
自分の力量も知らずに、偉そうに振舞うこと。「夜郎」は中国、漢代にあった国の名前。夜郎国の王が漢の大きさを知らずに、漢国の使者に自分の国の大きさを自慢して、夜郎国と漢国のどちらが大きいか尋ねた故事から。 -
こりつむえん孤立無援
たった一人で、誰かの助けも期待できないこと。 -
かんりとうえき冠履倒易
地位や立場などの順位が逆になっていること。価値や秩序が乱れていることをいう。「冠履」はかんむりと靴。「倒易」は入れ替わること。かんむりと靴が入れ替わるという意味から。 -
しょうそうきえい少壮気鋭
若くて、気力に満ち溢れていること。または、そのような人。「少壮」は二十から三十代の元気な年頃。「気鋭」は鋭い意気込みがあること。将来が期待されている若者をいう言葉。 -
わこんかんさい和魂漢才
「和魂」は日本古来の固有の精神のこと、「漢才」は中国伝来の学問のことで、日本古来の精神を大切にしつつ、漢学を学ぶという意味。 -
もんりゅうじんか問柳尋花
花や柳を探しながら景色を楽しむことから、春の景色を楽しむこと。または、花や柳を遊女や芸妓にたとえて、色町で遊ぶこと。 -
じじょうじばく自縄自縛
自身の縄で自身を縛るという意味から、自らの言動や心がけで身動きが出来なくなり苦しむこと。 -
やくせきむこう薬石無効
薬や医者の治療がまったくもって効かないこと。 -
ごしょうだいじ後生大事
集中して物事に取り組むこと。または、何かをとても大切にすること。主に物品などに対して、執着しすぎることを揶揄するときに使うことが多い言葉。 -
ほんまつてんとう本末転倒
物事の重要な部分とそうでない部分を逆に捉えてしまうこと。 -
いっしそうでん一子相伝
学問や技芸などの奥義を子孫の一人、または、弟子の一人だけに伝授し、他の者には決して漏らさないこと。 -
かんぎゅうじゅうとう汗牛充棟
所有している書物が非常に多いことのたとえ。車に載せれば車を引く牛が汗をかくほど重く、家の中で積み上げれば天井の棟木に届くほど書物が多いという意味から。 -
こうがんむち厚顔無恥
恥知らずで、遠慮がない態度のこと。「厚顔」はあつかましいこと。「無恥」は恥知らずなこと。 -
ふえきりゅうこう不易流行
松尾芭蕉一門の俳諧の理念の一つで、絶対に変わることがない部分を忘れずに、変化を続けている新しいものを取り入れていくこと。「不易」はいつまでも変わらないこと。「流行」はその時々に合わせて変化すること。 -
おくじょうかおく屋上架屋
無駄なことを繰り返すことのたとえ。または、独創性のないことのたとえ。「屋上」は屋根の上。「架屋」は屋根を架けること。 -
しっこうゆうよ執行猶予
有罪判決による刑罰を与える前に猶予期間を設け、その期間に何も問題を起こさなかった時には刑罰を執り行わないようにする制度のこと。 -
いっぴつまっさつ一筆抹殺
あまり考えずに、全てのものを消し去ること。一筆で記録を全て消し去るという意味から。 -
にそくさんもん二束三文
売値がとても安いこと。ほとんど価値がないこと。 -
こうろんたくせつ高論卓説
この上なくすぐれた意見や議論のこと。「高論」は程度が非常に高い議論。「卓説」はすぐれた意見。 -
ごえつどうしゅう呉越同舟
互いに仲が悪い人たちや、互いに敵対関係にある人たちが同じ場所にいたり、同じ境遇にあること。もとは、そのような人たちでも利害が同じ場合は協力し合うという意味。「呉」と「越」は中国の春秋時代の国の名前。「同舟」は同じ舟に乗ること。 -
しぶんごれつ四分五裂
国や秩序などが乱れてまとまりがなくなり、ばらばらに分裂すること。 -
ぎょくせきこんこう玉石混交
良いものと悪いもの、または価値の高いものと低いものが混在していることのたとえ。「玉石」は宝石と石のことから、優れている人と劣った人、または、良いものと悪いもののたとえ。「混淆」は様々なものが入り混じること。 -
どごうれっしん土豪劣紳
農民から搾取するあくどい地方豪族や資産家のこと。「土豪」は地方豪族のこと。「劣紳」は下品で卑しい紳士ということから、地主や資産家を軽蔑して呼ぶ名称。 -
へんげんじざい変幻自在
好きなように姿を現したり消したり、思い通りに姿を変えたりすること。「変幻」は幻のようにあっという間に消えたり現れたりすること。「自在」は思うとおりに出来ること。 -
しゅんしょういっこく春宵一刻
春の夜は何よりも風情があり、春の夜のひとときには非常に大きな価値があるということ。「春宵」は春の夜。「一刻」はすこしの時間のこと。 -
じょうしゃひっすい盛者必衰
栄えているものは、いつか必ず衰えて滅びるということ。 -
しょぎょうむじょう諸行無常
世の中は常に変化しており、いつまでも変化しないものや永久に無くならないものはないということ。人生、人の命の儚さをいう言葉。 -
こふくげきじょう鼓腹撃壌
善い政治が行われ、人民が平和で不満のない生活を楽しむ様子。または、世の中が平和なことのたとえ。「鼓腹」は食べるものが十分にあり、満腹になった腹を楽器のように打ち鳴らすこと。「壌」は土や地面のことで、「撃壌」は地面をたたいて拍子をとること。 -
かふくむもん禍福無門
不幸も幸福も、その人自身が招くものであるということのたとえ。不幸や幸福がやってくるための決まった入り口があるわけではなく、心がけ次第で不幸にも幸福にもなるということ。
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