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浄土宗を開いた人物法然
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法然が開いた鎌倉仏教の宗派浄土宗
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法然の別名源空(げんくう)
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浄土宗の中心寺院は(場所も)京都の知恩院
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法然ははじめはどこに入山し、何を学んだか比叡山、天台宗
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浄土信仰の別名浄土教
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法然ははじめは天台宗を学んでいたが、誰のどんな本を研究するうちに浄土信仰(浄土教)にひかれていったか源信の往生要集 浄土信仰は源信や空也の考え
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中国浄土教の大成者善導
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中国浄土教の大成者である善導の本観経書(かんぎょうしょ) 法然はこれを呼んで比叡山を下りることにした
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末法の世ですべての人が救われる唯一の道である、仏の名をとなえたものをすべて極楽に救おうと誓った阿弥陀仏の約束のこと阿弥陀仏の本願
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浄土宗の教典無量寿経
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様々な修行をして自力で往生をめざす教え。天台宗や真言宗など。末法にふさわしくない難行道聖道門(しょうどうもん)
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弥陀の本願(他力)で往生をめざす教え。末法にふさわしく、誰でも取り組める易行道浄土門
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聖道門の救いの条件は経典の研究や、戒律を守るなどの修行が条件になっているため、何が強くなってしまうか学術的権威
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聖道門では救われない人を2つ自分の生活で精一杯で修行できない民衆、殺生を行う海辺や山辺の民・武士
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「阿弥陀仏に帰依します」という意味の念仏南無阿弥陀仏
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法然が説いた、「南無阿弥陀仏」という言葉をひたすらに念仏すれば、すべての人が極楽浄土に往生できるとする考え(教え)専修念仏(せんじゅねんぶつ) 専ら念仏を修める
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念仏という行こそが、「唯一の」極楽浄土への道と説いたのは誰で、どの宗派か法然、浄土宗
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念仏は極楽浄土へ至る「一つの手段」と提示した人、宗派源信や空也、浄土教(浄土信仰)
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法然の説く、仏の名をとなえる念仏(2つ言い方)称名念仏、口称念仏
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ひたすら仏の名をとなえる称名念仏は、自力か、他力か、どちらを宛にしているか他力
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法然の著作で、書名は「阿弥陀仏が「諸行のうちから選択されて本願の行とした念仏」についての書」に由来する、念仏だけが往生への正しい道と説く本選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)
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時宗を開いた人一遍
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一遍が開いた宗派時宗
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僧などが布教や修行のために諸国を巡り歩くこと遊行(ゆぎょう)
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一遍の別名遊行上人(ゆぎょうしょうにん) 全国を旅して広めたから
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一遍が広めた、躍りながら念仏をとなえるもの踊り念仏
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一遍は「」と言って、世俗のすべてを捨て、寺院も著作も残さず、ひたすら念仏をとなえて念仏の教えを広めた生ぜしも一人なり、死するも一人なり
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一遍は世俗の全てを捨て、躍り念仏を広めたことから何と呼ばれるようになったか捨聖(すてひじり)
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浄土真宗を開いた人親鸞
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親鸞が開いた宗派浄土真宗
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親鸞の中心寺院(場所も)京都、本願寺
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親鸞が出家して最初に修行した場所比叡山
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親鸞は比叡山で修行したが、(自力/他力)の修行では煩悩は消えなかった自力
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親鸞は比叡山での修行のあと、誰のもとへ行き、何を学んだか法然、専修念仏 法然は親鸞の師匠!
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親鸞が法然の専修念仏に対して持った疑問点2つ1.自分は救いを求めて念仏をとなえているが、自分のとなえる念仏ははたして清く正しいものなのだろうか(念仏をとなえている時でもよこしまなことを考えているのでは)2.念仏をとなえて阿弥陀仏の他力にすがるというが、悲しみや煩悩にまみれている人はそもそも「自分で」念仏をとなえることができないのでは
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自分の力では消すことのできない煩悩を多く持つ、罪深い人間凡夫(ぼんぶ、ぼんぷ)
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自分で念仏をとなえること自力念仏
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自力で念仏をとなえようとするのではなく、阿弥陀仏の本願によって、念仏をとなえさせてもらうこと他力念仏
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親鸞がとなえた、自分で念仏をとなえるのではなく、阿弥陀仏の本願である、どんな者でも救うという願いの力にすがって、その他力に全てをまかせきること絶対他力 他力中の他力ともいう
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「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」の意味よい行いをする少数の善人でさえも極楽に行けるのだから、仏の救いに頼るしかない大多数の無力な悪人が救われるのはいうまでもないことだ
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親鸞が唱えた、自分のはからいを捨て去って、全てを阿弥陀仏のはからいのままにまかせること自然法爾(じねんほうに)
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絶対他力の考えによって、念仏は救いのための手段ではなく、○○の念仏となった 念仏をとなえさせてくれてありがと~って感じ報恩感謝
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自力で修行して善を積むことができる人善人
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自分で善を積むことができず、どうしても自分の煩悩にとらわれてしまう人悪人
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親鸞の考えでは、阿弥陀仏が救いたいのは、善人、悪人のどっちか悪人
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善人ではなく、自分が消しがたい煩悩をそなえた罪深い悪人であることを自覚している人ほど、阿弥陀仏に救われるにふさわしいという考え悪人正機
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親鸞の主著教行信証
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親鸞の弟子唯円
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唯円が親鸞の死後、親鸞の教えと異なる説をとなえる者がいるのを見て嘆いた書歎異抄(たんにしょう) 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」は歎異抄に書かれてる言葉
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坐禅を中心に自力修行を説いた仏教禅宗
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禅宗をやっている主な身分武家
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坐禅で、身を正して坐すこと調身
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坐禅で、呼吸をととのえること調息
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坐禅で、心をととのえること調心
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これは誰栄西
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栄西が開いた宗派臨済宗
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臨済宗の中心寺院、場所も建仁寺、京都
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臨済宗は看話禅、黙照禅のどちらか看話禅
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臨済宗は壁を向いて座るか、壁に背を向けて座るか壁に背を向けて
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禅宗で、師が門弟に与える問題。常識にとらわれず、仏の心を感じとる形で答えなくてはいけない公案
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臨済宗は公案があるかある
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栄西の著書で、禅の普及に圧力をかける比叡山の人々に反論を行った書。禅を盛んにすれば鎮護国家が可能と説いた興禅護国論
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栄西の著書で、日本初の茶の専門書。喫茶養生気
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これは誰道元
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道元が開いた宗派曹洞宗
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曹洞宗の中心寺院、場所も永平寺、福井
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道元が否定した思想末法思想 誰もが仏性を有していると考えた
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坐禅に徹してみずからの心と身体への執着を脱する無我という悟りの境地に至ること身心脱落 心身じゃないので注意
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焼香・礼拝・念仏・経典を読むこと・看話を拝して、ただひたすらに坐禅に打ち込むこと只管打坐
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道元が説いた、悟りを得ようとして坐禅するのではなく、坐禅そのものが悟りの無いようであるため、坐禅の修行自体がそのまま悟りの実現(証)なのであるという考え修証一等
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道元の主著。「正しく伝えられた仏法をみる智慧(ちえ)の眼をそなえている」という意味のタイトル正法眼蔵
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曹洞宗は看話禅か、黙照禅か黙照禅
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曹洞宗は壁に向かって座るか、壁に背を向けて座るか壁に向かって
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曹洞宗に公案はあるかない
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