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戸籍に登録されている戸(25人程度)郷戸
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生活の最小単位の戸籍(10人程度)房戸
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21〜60歳の男子のこと正丁
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61〜65歳の男子のこと次丁
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17〜20歳の男子のこと少丁
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死者の口分田は( )の年に回収される班年
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良民女子に班給される面積は良民男子の何倍か3分の2倍
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良民男子に班給される面積はどのくらいか2段(720歩)
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家人・私奴婢は良民の何倍の面積が班給されるか3分の1倍
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家人・私奴婢男子に配給される口分田の面積240歩
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家人・私奴婢女子に配給される口分田の面積160歩
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吉野ヶ里遺跡などに見られる、班田収授が行われた時代の土地区画制度条里制
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剰余の田(位田・職田・口分田などに割り当てたあとの余剰の田地)乗田
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五位以上の位階を持つものに対して与えられた田位田
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税がかかる田、位田や国民に与えられた口分田など輸租田
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官職に応じて与えられた田と寺社に与えられた田をそれぞれ答えよ(計3つ)職田、寺田、神田
(郡司の職田以外は不輸租田) -
租は、田1段あたり( )の稲:収穫の( )を納める税制で、( )財源となる2束2把、3%、地方
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調は、( )を納める税制で( )財源となる
次丁は( )、少丁は( )の分だけ納める
京・畿内は( )になる特産物、中央、2分の1、4分の1、半分 -
庸は、( )に代えて、( )を納める税制で( )財源となる
次丁は( )、少丁は( )の分だけ納める
京・畿内は( )になる歳役10日、布2丈6尺、中央、2分の1、なし、免除 -
中央へ税を運ぶこと運脚
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( )は、国司の命令で( )日以下の労役を行う税制で、( )財源になる雑徭、60、地方
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( )は、正丁3〜4人に1人の割合で( )に配属される税制兵役、軍団
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( )は、九州北部の警備を行う税制で、東国の人々から選ばれる。任期は( )防人、3年
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( )は、京の警備を行う税制。任期は( )衛士、1年
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( )は、50戸ごとに2人で、中央政府での雑用を行う税制仕丁
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利息をつけて稲の貸し付けを行う制度
また、その種類2つの名称と利息率を答えよ出挙
公出挙:5割、私出挙:10割 -
凶作に備えて粟を備蓄する制度義倉
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律令制下の身分制度とその種類五色の賤、陵戸(りょうこ)、官戸(かんこ)、家人(けにん)、公奴婢、私奴婢
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五色の賤の中で、陵戸(りょうこ)、官戸(かんこ)、公奴婢をまとめて何というか
また、口分田の量は良民と比べてどうか官有
良民と同じ -
五色の賤の中で、家人・私奴婢をまとめて何というか
また、口分田の量は良民と比べてどうか私有
良民の3分の1 -
凡そ戸は( ) 戸を以て里と為よ。里毎に長一人を置け。
凡そ戸籍は( ) 年に一たび造れ。 『戸令』50、6 -
凡そ日分田を給はむことは、男に( ) 段、女は( )を減ぜよ。
凡そ田は、( )年に一たび班(たま)へ
『田令』2、 3分の1 、6 -
遣唐使の船は何と呼ばれたかよつのふね
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最初の遣唐使は誰で、何年か犬上御田鍬、630年
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遣唐使として入唐した人2人吉備真備・玄肪
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676年に朝鮮半島を( )が統一したことによって日本との関係は( )→( )(8c)新羅、良化、悪化
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唐が( )で混乱している間に( )が新羅征討を計画(実施はしてない)安史の乱、藤原仲麻呂
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遣唐使の交通路が( )から( )・( ) へ→航海が危険に北路、南路、南島路
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遣唐使として入唐した人の中で生存した人と唐で客死した人をそれぞれ2人答えよ吉備真備・玄防
阿倍仲麻呂・藤原清河 -
( )(石川)・( )(福井)で( )と高句麗遣民が建国した( )との交流能登客院、松原容院、靺鞨族、渤海
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平城京は、唐の都 ( )がモデル長安
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710年、( )の命令で( )に遷都元明天皇、平城京
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( )・・・各条を( )が管理条坊制、坊令
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( )で左京・右京に分割
左京の東は( )朱雀大路、外京 -
東西市・・・( )が管理市司
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平城京の政務・儀式の場大極殿・ 朝堂院
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天武期に作られたお金は何か
またどこから発見されたか富本銭、飛鳥池遺跡 -
( )年、( )から銅が献上され、( )を鋳造
これは( )の最初で、唐の( )がモデル708、武蔵国、和同開珎、皇朝十二銭、開元通宝 -
( )年の( )によって 京・機内以外では( )による交易が盛ん711、蓄錢叙位令、稲や布などの物品
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平城京の鉱物資源・・・周防の( )、陸奥の( )銅、金
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( ) の整備・・・都から七道の諸地域へ官道
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( )・・・16kmごとに( )を設置
( )のみが使用駅制、駅家 -
東北地方の日本海側では、蝦夷対策として
孝徳朝の時に( )(647)・( )(648)を設置、
斉明朝の時に( )の征討、
元明朝の時に( ) 設置(712)淳足柵、磐舟柵、阿倍比羅夫、出羽国 -
東北地方の太平洋側では、蝦夷対策として
( )年に( )の築城
蝦夷征討の役所( )設置724、多賀城、鎮守府 -
九州南部では、( )の活躍で、( )を 征討し、( )の設置(702)、( )の設置(713)大伴旅人、隼人、薩摩国、大隅国
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九州南部では、( )・( )を服属させた種子島、屋久島
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飛鳥時代の終わりから奈良時代にかけて台頭した人藤原不比等
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( )(天武の孫、高市皇子の子)の政治
役職は( )
( )(722)
( )(723)←( )年長屋王、左大臣、百万町歩の開墾計画、三世一身法、養老七 -
三世一身法
( )を設けて開墾
→( )まで所有可能
( ) を利用して開墾
→( )まで所有可能新しい灌漑施設、三世(三代)、旧来の灌漑施設、一身(一代) -
( ):( )家・・・右大臣(No.2)
( ):( )家・・・参議
( ):( )家・・・参議
( ):( )家・・・参議武智麻呂、南、房前、北、宇合、式、麻呂、京 -
( )の即位(在724〜749)聖武天皇
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( )年、( )が起こる
長屋王が自殺:( )ため長屋王の変、729、光明子立后に反対した -
藤原四子が天然痘で亡くなった後、( )が( )・( )を登用して政治を行った橘諸兄、吉備真備、玄昉
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( )年に( )が起こる
首謀者の( )は( )家
・・・吉備真備・玄防の排訴要求740、藤原広嗣の乱、藤原広嗣、式 -
( )の( )(740年)→ 紫香楽宮離宮→( )の( )(744年)→( )の( )(744年)→平城京山背、恭仁京、摂津、後期難波宮、近江、紫香楽宮
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( ) 思想をもつ国家は、( )年に( )にて( )を出し、( )にて、( )年に( )を出す鎮護国家、741、恭仁京、国分寺建立の詔、紫香楽宮、743、大仏造立の詔
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国分寺=( )※総国分寺は( )寺
国分尼寺=( )※絵国分尼寺は( )寺金光明四天王護国之寺、東大、法華滅罪え寺、法華 -
743年は何年か 年号と併せて答えよ天平15年
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( )・・・大仏造立の詔のときに造立された( )宗の本尊盧舎那仏、華厳
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盧舎那仏の開眼は( )年の( )天皇のとき752、孝謙
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( )( )年
・・・墾田の永久私有を認める→( )の発生墾田永年私財法、743、初期荘園、 -
( )の台頭 ( )家
( )の即位(在749~758)
( )の設置・・・光明皇太后の補佐
長官は( )藤原仲麻呂、南、孝謙天皇、紫微中台、紫微令 -
757年に起こったこと2つ橘奈良麻呂の変、養老律令の施行
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( )の即位(在758~764)
・・・ 藤原仲麻呂に( )の名を与える淳仁天皇、恵美押勝 -
( )の台頭
・・・( )の乱 ( )年
※淳仁天皇は( ) へ配流・・・淡路廃帝道鏡、藤原仲麻呂(恵美押勝)、764、淡路 -
( )の即位(在764~770)← 孝謙の重祚
道鏡が( )・( )へ称徳天皇、太政大臣禅師、法王 -
( )(765)
・・・( )が進言→道鏡は天皇になれず、( )に追放される宇佐八幡宮神託事件、和気清麻呂、下野薬師寺 -
天下(本朝)三戒檀を答えよ東大寺、下野薬師寺、筑紫観世音寺
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天智天皇の孫である( )の即位
・・・( ) ( )家・( )( )家 の貢献光仁天皇、藤原百川、式、藤原永手、北 -
( ):夫婦別居で男性が女性の家へ妻問婚
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( ):逃げた場所が判明し、その場所で税を払う脱税方法浮浪
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( )・・・逃げた場所が不明で、税を納めない脱税方法逃亡
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( )・・・貴族などに仕える脱税方法資人
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( )・・・国家の許可なく得度した僧になる脱税方法私度僧
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( )・・・戸籍の男女の性別・年齢を偽って申告する脱税方法偽籍
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( )…( )などを期限付きで貸すこと。( )の経営方法。賃料を指す( )は収穫の( )賃租、乗田、初期荘園、地子、5分の1
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