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18世紀までオスマン帝国が支配していた地域西アジア・バルカン半島
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19世紀に入ってオスマン帝国が直面した問題内外からの危機
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19世紀のオスマン帝国支配域の危機エジプトの独立はもはや自力で抑えることができず、バルカン半島でもギリシアなどで民族独立運動が起きていった
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産業革命を進めるヨーロッパ諸国からしてオスマン帝国の領域はどのようなものだったか重要な市場
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ナポレオン体制後列強はどう動いてきたか東方に進出してきた 特にイギリスとロシアが覇権を競った
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オスマン帝国の領域をめぐる国際紛争はなんと呼ばれたか東方問題
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エジプトでナポレオンの遠征軍が撤退した後の混乱期にエジプト総督となった人物ムハンマド・アリー
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ムハンマド・アリーがしたこと徴兵制の導入、綿花の専売権の導入 この後オスマン帝国がイギリスと結んだ通商条約によってオスマン帝国の属州のエジプトは綿花の専売権や関税自主権を失った
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フランス人の計画にエジプトが協力してできた運河スエズ運河 多額の費用を使ったためイギリス・フランスの財務管理下に置かれて内政の支配も受けた
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スエズ運河の横取りに反抗したエジプトの軍人ウラービー イギリスに単独で占領されて、保護下に置かれた
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ウラービーの立憲政を掲げた運動は今後のなににつながったかエジプト民族運動
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エジプトが1839年に行った政策西欧化政策(タンジマート)
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タンジマートとは宗教や民族の区別なく法の前での臣民の平等をうたって、法の支配に基づいた近代国家を目指した政策 列強の干渉を排除して国の強化を図った
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ヨーロッパの資本が流れ込むとどうなったか現地の綿織物などが衰退した
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債務を重ねた経済はどうなったか破綻して、債権者による財政管理を受けた
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1876年オスマン帝国によって発布された憲法オスマン帝国憲法(ミドハド憲法) バルカン半島のスラヴ系民族の反乱とロシアの干渉を抑えるために出された
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ミドハド憲法を起草した人物ミドハド・パシャ オスマン帝国の大宰相
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ミドハド憲法の内容宗教・民族の区別を問わずにすべてのオスマン人に自由と平等を保障 二院制議会の制度も明記した
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議会の急進化を恐れた人物アブデュルハミト二世
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アブデュルハミト二世がやったことロシア・トルコ戦争を理由に議会を停止させた 1878年
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ロシア・トルコ戦争に敗北したオスマン帝国はどうなったかバルカン半島の領土の大半を失う
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カリフ(預言者ムハンマドの子孫)の権威を示して専制政治を行い帝国の維持を図った人物スルタン
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イランのガージャール朝がロシアとの戦争に敗れてどうなったかカフカスの領土を割譲して、通商上の特権を認めた
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イランが行った政治はどんな政治専制的な政治
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この時代のことをムスリムの知識人はなんとよんだか「イスラーム世界の危機」
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列強の帝国主義を強く批判した人たちアフガーニー
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アフガーニーの考え方パン・イスラーム主義 スンナ派とシーア派関係なくムスリムの覚醒と連携を訴えた
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パン・イスラーム主義の影響によって起こった民族運動ウラービー運動、タバコ=ボイコット運動
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インドではムガル帝国の衰退が進む一方でなんの進出が進んだかヨーロッパ勢力
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イギリスの勢力が伸びたもの東インド会社
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1757年に起こったイギリスとフランスの戦争プラッシーの戦い
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イギリスが起こしたインドでの戦争南部のマイソール戦争(1767〜99年)、西部のマラーター戦争(1775〜1818年)、北西部のシク戦争(1845年〜49年) この戦争で19世紀半ばまでにインド全域を制圧した
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イギリスはインドの支配どうしたかすべてを直接支配せずに、一部は藩王国として旧支配者を残して外交権を奪い間接政治を行うにとどめた インドの植民地化完成
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インドは何を生産して東南アジアや西ヨーロッパに輸出したか綿織物
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イギリスでの産業革命が起きるとどうなるかインドにイギリス製の綿織物が流入した
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イギリス製の綿織物が流入した影響貿易赤字になった 東南アジアやアフリカへの輸出で補完した
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1857年に反乱を起こしたインド人の傭兵シパーヒー これをきっかけに北インド全域に大反乱が起きる
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インド大反乱によって滅亡した国ムガル帝国 1858年
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インド大反乱をきっかけにイギリスは何をしたか東インド会社を解散して、インドの直接支配に乗り出した 1858年
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インド皇帝に即位したイギリスの人物ヴィクトリア女王
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イギリスの支配下で成立した国インド帝国
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オランダは19世紀どのようなことがあったかジャワ島を初め、インドネシアの全域に植民地支配を拡大した
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コーヒーやサトウキビの何を初めたか強制栽培制度
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イギリスはマレー半島のどこを植民地としたかペナン・マラッカ・シンガポール 1826年
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3つの地域は何となったか海峡植民地
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3つの地域で結成させたものマレー連合州 イギリスの保護国とした
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イギリスに三度も攻撃されてインド帝国に併合した国ビルマ
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スペインが支配していた地域フィリピン
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1834年にスペインが開港したフィリピンの地域マニラ
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開港以降に生産が拡大したものサトウキビ・マニラ麻・タバコの生産
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ベトナムで阮福暎が建てたもの阮朝 1802年
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1858年にフランスが阮朝に軍事介入したときの言い訳カトリックへの迫害 南部のサイゴンを占領した
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劉永福が組織したフランスへの抵抗組織黒旗軍 フランスはさらに進出して、北部と中部を支配下においた
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清がベトナムの宗主権を主張して起こった戦争清仏戦争(1884年〜85年)
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清仏戦争に勝った側フランス
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清仏戦争後に結ばれた条約天津条約 ベトナムがフランスの保護国となることを承認した(清はベトナムの宗主権を放棄した)
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フランスが作ったベトナムとカンボジアを総合した領土フランス領インドシナ連邦 後にラオスも加わる
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東南アジアで唯一独立を守った国タイ
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タイが1855年にイギリスと締結した条約ボーリング条約 自由貿易が開始し、米の輸出が進展した
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イギリスとフランスの勢力均衡策を巧みに利用してタイの独立を維持して近代化を推し進めた人物チュラロンコン(ラーマ5世)
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