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江戸時代、孔子・孟子の教えである儒教の道徳や哲学を学ぶ( )が様々な流派に分かれて発達した。儒学
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儒学のうち、( )派は大義名分論を基礎に上下身分を重視し、礼節を尊んだ。朱子学
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朱子学を大成した人物朱熹
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儒学のうち、( )派は「知ることと行うことは一体で、行動を伴って初めて真の理解になる」という考えの元で現実を批判した。陽明学 革新性を持っており、
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陽明学を大成した人物王陽明
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儒学のうち、( )派は朱子学や陽明学の教えを後世の解釈だと批判し、直接孔子・孟子の教えを学ぶべきと主張した。古学
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( )による実学の奨励により、蘭学が発達した。徳川吉宗
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徳川吉宗は蘭学を広めるために( )を緩和した。漢訳洋書輸入の禁
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徳川吉宗は( )・野呂元丈らにオランダ語を学ばせた。 洋学は蘭学として発達した。青木昆陽 サツマイモの普及を図った
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青木昆陽から蘭学を学んだ( )は、杉田玄白と共に( )を訳述した。前野良沢 解体新書
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解体新書はドイツ人クルムスの( )をオランダ語訳した( )を日本語訳したものである。解体図譜 ターヘル・アナトミア
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杉田玄白は解体新書を訳述する中での苦労を( )に綴った。蘭学事始
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蘭学者だった( )は、医師や発明家・本草学者など多才な人物として知られた。平賀源内
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平賀源内の発明品の例として、摩擦起電機である( )や( )・火浣布などがある。エレキテル 寒暖計
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医学者で蘭学者だった( )は、オランダ内科書を翻訳し( )を著した。宇田川玄随 西説内科撰要
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元オランダ語通訳だった( )は、( )を著して万有引力説を紹介した。志筑忠雄 暦象新書
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蘭学者だった宇田川榕菴は、日本最初の西欧植物学入門書である( )や日本最初の西欧植物学の体系的紹介書である( )を著した。菩多尼訶経 植学啓原
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1823年、ドイツ人医師の( )がオランダ商館医として来日した。シーボルト
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シーボルトは長崎郊外に( )を開設し、伊東玄朴や( )らが門下生となった。鳴滝塾 高野長英
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江戸時代、日本の古典を研究し日本古来の道を説く( )が発達した。国学
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( )は賀茂真淵に学んで国学を大成し、古事記の注釈書である( )を著した。本居宣長 古事記伝
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儒学者だった( )は、源平から徳川氏に至る盛者必衰を記述し、尊王論に影響を与えた。頼山陽
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天文学者・地理学者であった( )は、幕命により全国の沿岸を測量した。伊能忠敬
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伊能忠敬の死から3年後、弟子らが遺志を継いで( )を完成させた。大日本沿海輿地全図
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諸藩が藩士のために設立した学校 明倫館・浩士館・時習館など藩校 藩学
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( )は諸藩が藩士と庶民教育のために設立した学校で、岡山県の( )等が主な例である。郷学 閑谷学校
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( )は民家や神社・寺院等を校舎とした庶民教育の施設であり、教科書は「( )」や「実語教」等を用いていた。寺子屋 庭訓往来
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1811年、オランダの書物の翻訳を目的に( )が設立された。蕃書和解御用 ※教科書では「蛮書〜」となっているがこの表記もあります。変換で出てきやすいのでこっちにしました。
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蕃書和解御用では、寛政暦を完成させた( )の子である( )を中心に洋書を翻訳していた。 どちらもフルネームで答えよ高橋至時 高橋景保
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1856年、蘭書翻訳のために洋学所の後身として( )が設立された。蕃書調所
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1863年、蘭書翻訳の洋書調書を更に拡充して( )が設立された。開成所
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1877年、開成学校を基にして( )大学が設立された。東京
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備中足守藩士の子であった( )は、大坂に( )を開いた。 江戸時代の私塾の例緒方洪庵 適塾
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緒方洪庵は適塾で( )・( )・( )らに教授した。大村益次郎 橋本左内 福沢諭吉
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江戸後期の教育者であった( )は、萩に( )を開いた。 江戸時代の私塾の例吉田松陰 松下村塾
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ドイツ人医師であった( )は、長崎に( )を開いた。 江戸時代の私塾の例シーボルト 鳴滝塾
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江戸の儒学者であった( )は、豊後日田に( )を開いた。 江戸時代の私塾の例広瀬淡窓 咸宜園
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