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「幕末の政治運動」1858安政5 ①は②に就任、③の調印を強行①井伊直弼②大老③日米修好通商条約
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条約の違勅調印は①の怒りと、②と③をとなえる志士の強い反発を招く①天皇②尊王③攘夷
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1858年〜 ①・・・井伊直弼による、反対派の公家、大名、その家臣らを多数処罰①安政の大獄
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1860年①・・・井伊直弼の暗殺 by水戸脱藩の武士①桜田門外の変
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桜田門外の変ののち、①である②が幕政の中心に①老中②安藤信正
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安藤信正は反幕府勢力の抑圧のために朝廷と幕府を融和をはかる①の政策を取る①公武合体
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公武合体について、孝明天皇の妹①を将軍②に③①和宮②家茂③降嫁(皇女が皇族以外の男性に嫁ぐこと)
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しかし強引な皇女降嫁政策の推進は、①派の激しい避難を浴びる①尊王攘夷
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1862「文久二年」①で失脚①坂下門外の変
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事態の中、朝廷と幕府の双方につながりの深い①が②運動を開始①薩摩藩②公武合体
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①による幕政改革を前提として①島津久光
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1862 6月島津久光は①とともに江戸へ。家茂に幕政改革を要求。この改革を②①大原重朝②文久の改革
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1862年 ①をおこす→1863年7月②を引き起こす①生麦事件②薩英戦争
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「尊王攘夷運動の高揚」尊王攘夷を藩論とする①が京都の②と結んで、朝廷を動かす。①長州藩②急進派公家
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1863年①月、幕府、②宣言 ③月④日を②と決める。①4②攘夷決行③5④10
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①藩、下関で②・③・④に砲撃・・・⑤①長州②米③仏④蘭船⑤長州藩外国船砲撃事件
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①月②戦争・・・③事件の報復。④、鹿児島砲撃。①7②薩英③生麦④英軍艦
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①月②日③・④藩の公武合体派による⑤。長州藩士・⑥ら公卿を京都から追放!・・・⑦①8②18③会津④薩摩⑤クーデタ⑥三条実美⑦八月十八日の政
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「攘夷から倒幕へ」1864年①月②事件・・・③(京都守備職配下)が④派志士襲撃。①6②池田屋事件③新選組④尊攘
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①月②の変(③)・・・④上京。⑤・⑥の藩兵と戦い敗北。①7②禁門③蛤御門の変④長州藩⑤薩摩⑥会津等
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禁門の変に対し①、直ちに②を動員して、第一次長州征討。 長州藩、③の姿勢。幕府軍と交戦せず。①幕府②諸藩③恭順
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①月②事件 ③・④・⑤・⑥艦隊、⑦砲撃、砲台占領①8②四国艦隊下関砲撃事件③英④米⑤仏⑥蘭⑦下関
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薩摩藩・・・①・②ら下級藩士の③が藩政を掌握。④と接近。公使⑤①西郷隆盛②大久保利通③革新派④イギリス⑤パークス
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幕府・・・①と接近。公使②①フランス②ロッシュ
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1866「慶應2」年①月②が成立し、③藩は④の態度を固めた。①1②薩長同盟③薩摩④反幕府
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①月②征討「第二次」開始→③月将軍④の急死、戦闘を中止。①6②長州③8④家茂
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「大政奉還の上表」①代将軍となった②は、③の援助のもとに④の立て直しをつとめた。①15②徳川慶喜③フランス④幕政
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同盟を結んだ①両藩は②を決意した!①薩長②武力倒幕
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同盟を結んだ①両藩は②を決意した!①薩長②武力倒幕
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①藩は、あくまで②の立場をとり、藩士の②・③が前藩主④を通して慶喜に⑤を建議①土佐②公武合体③後藤象二郎④坂本龍馬⑤政権返上
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1867年「慶応3年」慶喜、①を朝廷に提出。①大政奉還の上表
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朝廷、①を薩長両藩へ与える。①討幕の密勅
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薩長両藩は①で機先を制せられた①大政奉還の上表
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公議政体論とは徳川を議長とする大名の会議で政治を運営。
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慶喜は大政奉還の上表についてどう考えてた?大名たち連合政権の中で実権を保持しよう
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