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邪馬台国の魏への遣使からまもない()世紀なかごろ
に、()中央部から()沿岸にかけての地域で()が出現した。3、近畿、瀬戸内海、古墳 -
有力な古墳の多くは、()の形、()の構造、()などに強い共通性をもっている。また、とくに巨大な古墳は()(現在の()県)に集申してつくられた。墳丘、埋葬施設、副葬品、大和、奈良
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これらのことから、このころに大和の()たちを中心とする広範囲の()である()が成立したと考えられる。首長、政治連合、ヤマト政権
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この政治連合に参加した首長や有力層が、古墳をさかんに築いた()世紀後半から()世紀を()といい,これまでに16万基以上の古墳が確認されている。3、7、古墳時代
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古墳には、平面形からみて()、()・()・()などがあり、それぞれにさまざまな規模のものが存在する。墳墓の形と規模で被葬者の地位や権力の大きさを示すしくみがうまれ、日本列島の広い範囲に及んだことが、この時代の大きな特徴である前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳
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巨大な古墳はすべて()であり、最も有力な首長の墳丘の形といえる。一人の首長の死にあたって多くの労働力を注いで大きな古墳を
楽いていることからみて、古墳時代には首長の権力が強大となり、弥生時代と比べて()的な性格が強くなったことがうかがえる。前方後円墳、支配者 -
古墳時代初めの大型古墳を()という。何県?箸墓古墳、奈良
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古墳時代前期の典型的な大型古墳は、丘陵や尾根などの()を利用して築かれることが多く、()でおおい、()をめぐらした墳丘の頂上部に、大きな()を掘って()や()などの()を設けている。自然地形、葺石、埴輪、竪穴、竪穴式石室、粘土槨、埋蔵施設
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この内部にはしばしば丸太を縦割りにしてくり抜いた長大な()をおさめ、()、()や()などの玉類、()、().の武器や農工具などを多量に副葬している。割竹形木管、銅鏡、勾玉、管玉、碧玉製腕飾り、鉄製
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副葬品のなかには鏡などの()な宝器を多く含むことから、この時期の古墳の被葬者は()的な性格をもっていたことがわかる。宗教的、司祭者
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銅鏡の有名なやつの名前三角縁神獣鏡
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古墳の分布からみると、ヤマト政権に同調する勢力は、()世紀前半までに、()南部から()地方南部まで広がったが、その間には、古墳の空白地も多くあり、()な統治には至っていなかったと思われる。4、九州、東北、領域的
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中期になると、()をめぐらした目大な古墳は()に多くつくられるようになる。なかでも大阪府にある()や()は、墳丘の長さが400mをこえる最大規模の()であり、ヤマト政権の最高首長である()の権力が、5世紀に()を拠点にして強まったことを示している。濠、平野部、誉田御廟山古墳、大仙陵古墳、前方後円墳、大王、大阪平野
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また、この時期の前方後円墳の分布域は、南は()県から北は()県にまで広がり、ヤマト政権の勢力圏が拡大したことがわかる。鹿児島、岩手
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近畿地方以外でも()()])や()(())のように、巨大な前方後円墳が築かれる地域があり,これらの地域には、ヤマト政権の政治連合のなかでもとりわけ有力な首長のいたことが推定できる。岡山平野、吉備、北関東、毛野
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副葬品には、銅鏡や玉製品が少なくなる一方で、()の()、()などが著しく増えることから,大王や首長の()的リーダーとしての性格が強まったと考えられる。鉄製、甲冑、刀剣、軍事
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また、()、()、金銀の()など、大陸伝来の技術によるものも多く副葬されており、有力首長層が大陸の技術や文化に関心を示していたことがうかがえる。馬具、冠、装身具
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()世紀には、東アジア情勢に大きな変化が生じた。
中国では()のあとを受けた()が一時王朝を統一したが、4世紀はじめに匈奴などの侵入により滅亡し、一部の王族は()にのがれて()をたてた。4、魏、晋、江南、東晋 -
中国の支配が弱まった朝鮮半島では地域勢力が成長し,まず、中国東北部を本拠としていた()が南に勢力を広げ、()年に()を滅ぼし朝鮮半島北部を支配した。高句麗、313、楽浪郡
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朝鮮半島南部は多くの小国からなる()・()・()の三つの地域に分かれていたが、馬韓では()が辰韓では()が国家を成し、弁韓でも小国ごとに有
力者が台頭した。馬韓、辰韓、弁韓、百済、新羅 -
ヤマト政権は、()を得るために、弁韓地域の()の王と交渉し、影響力を及ぼそうとした。鉄資源、加耶諸国
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古墳に副葬されるおもな大陸系の品が、4世紀後半に中国系の銅鏡から加耶系の鉄製武器・武具類に移ることは、東アジア情勢の変動が、ヤマト政権の()の変化や政権の()の増大にも反映したことを示している。対外交渉、軍事的性格
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()世紀末には高句麗がさらに南下をすすめて百済・新羅を圧迫した。()年にたてられた高句麗の()には、4世紀末から5世紀はじめごろ諸国が朝鮮半島で対立するなかで、倭が()を支援して高句麗と戦ったことが記されている。4、414、好太王碑、百済
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また、()県()神宮に伝わる()の銘文からは、4世紀後半に倭と百済が親密な関係をもっていたことがわかる。奈良、石上、七支刀
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5世紀になると、中国史書にふたたびの存在があらわれる。()などによると、()世紀に倭の()が()を求めて()に朝貢し、国王の地位の()と朝鮮半島南部への()を示す称号を求めたという。『宋書』倭国伝、5、五王、冊封、南朝、承認、影響力
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これは、皇帝の権威を借りて、国内の()を強化するとともに、朝鮮半島における()を確保するためであった。統治、政治的優位
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