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    鎌倉は―――――以来、源氏と関係の深い地で、三方を小さな丘陵に囲まれ、南は海にのぞむ要害の地だった 人名源頼義
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    源頼朝の別名(漢字3文字)鎌倉殿
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    京都から――――――(摂津国)に遷都(1180.6~11) 貴族や平氏一族の反対にあい半年で帰京福原
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    平重衡が以仁王に味方した―――――を焼き討ち 漢字2文字南都 東大寺や興福寺
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    養和の飢饉は畿外・東国に被害が集中 正誤で答えて誤 畿内・西国に被害集中
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    養和の飢饉で西国に多くの―――――を持っていた平氏にとっては経済的ダメージ大荘園
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    源義仲の別名木曽義仲
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    平氏の都落ち ➡️―――――を奉じて西国へ逃走 人名安徳天皇
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    ―――――――は源頼朝に――――――――――宣旨で東国の支配権を認めた。(1183) 人名、元号何年何月後白河法皇、寿永二年十月
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    平氏の敗走では主に――――――が活躍した源義経
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    ――――――は荘園、公領から強制的に徴収された戦時の軍隊の食糧となる米兵糧米
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    土地の給与を通じて結ばれる主従関係を―――――という封建制度
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    将軍から御家人への御恩は―――――――・―――――――― 漢字4文字(ほ、し)本領安堵、新恩給与
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    先祖以来の所領の支配権を保障することをなんという本領安堵
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    功に応じて新たに与えられた所領などをなんという新恩給与
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    土地の上に朝廷や寺社勢力と鎌倉幕府が並立して支配権を持っている構造をなんという 公武二元支配 公武二元支配
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    源頼朝が開いた鎌倉幕府の成立を影で支えた人物はだれ北条時政
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    北条氏の祖は 源氏 or 平氏 ?平氏
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    北条時政は、静岡県韮山、現在の伊豆の国市の――――――――だった地方役人
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    源頼朝の死(1199)後、2代将軍となったのが―――――源頼家
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    源頼家・実朝の時代になると、―――――制によって政治が行われる合議
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    頼家が引退して3代将軍となったのは――――――源実朝
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    北条時政が3代将軍実朝を補佐する―――――という地位に就いた執権
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    北条氏が執権の地位を確立した頃、京都で政治を担っていたのは―――――上皇後鳥羽
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    後鳥羽上皇と源実朝は良好な関係だった 正誤で答えて正
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    1219年、実朝が頼家の息子である―――――によって暗殺された公暁
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    承久の乱は――――――(朝廷)🆚 ――――――(幕府)後鳥羽上皇、北条義時 北条義時追討の院宣を出す
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    承久の乱では――――――――・時房を将として攻め上がり、勝利北条泰時
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    承久の乱があったことで―――――――――が設置された六波羅探題
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    承久の乱で後鳥羽上皇は――――などに配流隠岐
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    朝廷側に加担した人の所領を没収したことで支配が広がり、――――――の任命があった新補地頭
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    承久の乱によって全国に鎌倉幕府の支配が及ぶようになった 正誤で答えて正
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    承久の乱によって、幕府が優位に立って皇位の継承や朝廷の政治にも干渉するようになった 正誤で答えて正
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    ―――――は――――年に――――――――(貞永式目)を制定 人名、年号、名前北条泰時、1232、御成敗式目
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