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1177年平清盛は( )の陰謀を知る 後白河天皇の近臣が平氏打倒を企てた件鹿ケ谷 現在の京都市左京区
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1179清盛は後白河を幽閉→1180年( )即位 清盛の孫安徳天皇
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1180年後白河の皇子である( )が平氏追討の令旨を出す その後源頼政と挙兵以仁王
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ふたりの挙兵後、清盛は反平氏勢力から安徳を守るため( )に遷都する福原京
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その後ついに源頼朝が( )で挙兵 ( )の戦い 源氏は敗伊豆、石橋山 神奈川県
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→木曽義仲も挙兵→頼朝は鎌倉に入り( )の戦いへ 源氏は勝富士川 静岡県 水鳥を奇襲と間違えた
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同年:頼朝は(① )を設置 (② )が南都焼打ちをする ①御家人の統制をはかる ②反平氏勢力の寺院を焼き打ち侍所、平重衡
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1181年清盛没 同じ頃( )が起こる養和の飢饉
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1183年義仲の( )の戦い→入京に成功 源氏は勝倶利伽羅峠 富山県
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同年後白河は頼朝に東国の支配権 OKOK
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1184年頼朝は義仲追討軍 ( )や( )を派遣する→( )の戦い源範頼、源義経、宇治川 京都府
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同年義経の活躍により、( )の戦いで勝利一の谷 兵庫県 鵯越の逆落としで有名
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同年頼朝は(① )(② )を設置 ①のちの政所 一般政務と財政 ②訴訟と裁判公文所、問注所
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1185年義経の活躍により( )の合戦で勝利屋島 香川県
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同年義経・範頼により( )の戦いで勝利→安徳も入水し平氏滅亡へ壇ノ浦 山口県
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同年頼朝は諸国に(① )(② )を設置 ①東国出身の有力御家人から選任 治安維持、戦時は指揮官など ②公領・荘園に設置 年貢徴収守護、地頭
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1189年頼朝は対立した( )を平定→義経敗死奥州藤原氏
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1192年後白河没 頼朝は( )に就任征夷大将軍
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これまでの源平の争乱を合わせて?治承・寿永の乱
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土地の給与を通じて結ばれる主従関係を封建制度
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御恩:(① )・(② ) ①主君が家臣に新たに土地を与える ②主君が家臣の土地の所有権を保証新恩給与、本領安堵
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奉公:京都大番役、鎌倉番役、戦闘参加 OKOK
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朝廷と幕府が並び立ち、互いに協力しながら日本を統治した体制を公武二元支配
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ここから鎌倉幕府のはなし 源頼朝の没後(1199年)、2代将軍となったのは源頼家
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北条氏の台頭:1代目執権( )2代目( ) 政所と侍所の別当を担当した北条時政、北条義時
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1221年( )は義時追討の院宜を出す後鳥羽上皇
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後鳥羽上皇の院政中に暗殺されたのは?源実朝
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実朝の暗殺は( )で( )が実行 どこ、だれ鶴岡八幡宮、公暁 公暁は頼家の三男
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承久の乱では( )、( )を将として攻め上がり勝利北条時房、北条泰時 時房は義時の弟
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同年幕府は( )を設置:朝廷の監視、京都警備、西国御家人の統括六波羅探題
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