-
科挙制度の整備により訓詁学が改めて重視されたが、唐初の儒学者で太宗に仕え、『五経正義』を編纂したのは誰か孔穎達 訓詁学の確立に大きな役割を果たしたのが、 孔穎達 (くようだつ)という人物です。 彼は『 五経正義 』という本を著し、五経の解釈を統一しました。 この単語はこういう意味、あの表現は現在でいうとこういう意味・・・というように、経書の中の語句や表現の解釈を一つ一つ定義したのです。 身近なイメージでいうと、 古文や英語の単語帳のようなもの だと思ってください。
-
6世紀中頃モンゴル高原に大遊牧帝国をたてたトルコ系民族で、北方遊牧民として初めて文字を持ち、同世紀末には東西を分裂したものはなにか突厥
-
朱子学の先駆者で、『太極図説』を著した北宋の儒学者は周敦頤
-
明清交代の混乱を経験した清学の学者で、事実に基づく実証的な研究を説いた考古学者は誰か顧炎武
-
清代の考証学の大家で、とくに史学研究法を樹立したことで知られるのは銭大昕
-
ラテン語の研究に優れ、イタリア語による『叙情詩集』を書いたのはペトラルカ
-
95か条の論題が発表されたのは1517年 以後否
-
ルネサンス絵画の先駆者で、『聖フランチェスコの生涯』などの作品を残したイタリアの画家はジョット
-
前494年に設置された、プレブス保護のための官職をなんというか護民官
-
『太陽中心説』を唱えた天文学者はアリスタルコス
-
ベトナム南部にチャンパーを建て、海上貿易で栄えたのは何人かチャム人
-
法家の思想家で、秦の孝公に仕えて変法を推進した人物は商鞅
-
韓の王族で、法家思想を大成したのは韓非
-
新羅の社会の基盤であった、氏族的な身分制度をなんというか 氏族的とは血の繋がりのこと骨品制
-
フランドル派の宮廷画家で、バロック美術を代表するの人物『マリー・ド・メディシスの生涯』 フランダースの犬に使われるルーベンス
-
受胎告知を描いたのはエル・グレコ
-
宮廷画家で、『女官たち、ラス・メニーナス』(女の子の絵)ベラスケス
-
フランス悲劇作家で『フェードル』を書いたラシーヌ
-
バロック音楽を大成した人物で『水上の音楽』をつくったのはヘンデル
-
フランス悲劇作家で『ル・シッド』を書いたコルネイユ
-
フランス喜劇作家で『タルチョフ』『守銭奴』を書いたモリエール
-
ミュール紡績機を作ったのはクロンプトン
-
炭鉱排水用のポンプの動力として、蒸気機関を実用化したのはニューコメン
-
男性普通選挙などを定めた、ジャコバン派の民主的な憲法は1793年憲法
-
ライン同盟の成立の結果、皇帝フランツ2世がその定款を辞したために、神聖ローマ帝国という政治的組合(962年成立)が何年に名実とともに消滅したか1806年 大陸封鎖令
-
労働者の生活改善に力を入れたイギリスの空想的社会主義者はオーウェン
-
綿繰り機を発明したのはホイットニー
-
南北戦争中、リンカンが南部の奴隷制に関して発した宣言はなにか1863年 無惨な
-
光と影の主観的感覚によって追求した19世紀後半の画家の流派はなんというか印象派
-
弁証法哲学によって、ドイツ観念論哲学を継承発展させたのはヘーゲル
-
最大多数の最大幸福で知られるのはベンサム
-
経済学および課税の原理で、イギリス古典派経済学者はリカード
-
ドイツ関税同盟を提唱した学者で、歴史学派経済学を確立した人物はリスト
-
狂犬病の予防接種などを開発したフランスの細菌学者はパストゥール
-
結核菌コレラ菌を発見したドイツの細菌学者はコッホ
-
無線電信を発明したイタリアの電気技術者はマルコーニ
-
戦争と平和、アンナ・カレーニナトルストイ
-
大尉の娘、オネーギンプーシキン
-
人形の家イプセン
-
落ち穂拾い、種蒔く人ミレー
-
人口論で人口増加の抑制を訴えるマルサス
-
ザミンダーリー制は誰に土地の所有権を認める地主
-
甲午農民戦争を起こしたのは全琫準 ぜんほうじゅん
-
明の時代に坤輿万国全図を作ったのはマテオ・リッチ
-
満州民族の栄光衰弱がかかれてる『紅楼夢』の作者は曹雪芹
-
科挙を風刺し官吏の腐敗ぶりを暴いた『儒林外史』の作者は呉敬梓
-
康煕帝により外モンゴルから追われた、乾隆帝によって1758年に滅ぼされた、オイラト系最後の遊牧帝国をなんというかジュンガル ジュンガル併合により最大の広さになる
-
オスマン帝国のバヤジット1世が、ハンガリー王ジギスムントらの連合軍を撃破した、1396年の戦いをなんというかニコポリスの戦い
-
イクター制に代わるオスマン帝国でのトルコ人騎兵シパーヒーに与えられる知行地での徴税権のこと。ティマール制
-
16世紀後半、インドのムガル帝国で、アクバル帝の時に定められた位階制のこと。マンサブダール制
-
北インドに13世紀に成立したデリー=スルタン朝によって、インドのイスラーム化が進められていた時代に、南インドで14世紀に成立した王国で、ヒンドゥー教を奉じ、14~17世紀の約300年にわたり存続し、インド洋交易で繁栄していた王国はなにか。ムスリムとの抗争で衰退したヴィジャヤナガル王国
-
『天球回転論』を著して、地動説を唱えたポーランド人はだれコペルニクス
-
ラテン語古典の研究に優れ、イタリア語による『叙情詩集』を書いたのはペトラルカ
-
『正フランチェスコの生涯』を描いたのはジョット
-
『四人の使徒』などの名作を残したのはデューラー
-
1571年、スペイン、ローマ教皇、ヴェネツィアの連合艦隊がオスマン帝国艦隊を破った海戦。スペインが地中海の制海権を得てオスマン帝国の勢力は後退した。 1571年、スペイン全盛期のフェリペ2世、ローマ教皇ピウス5世、ヴェネツィア共和国のキリスト教三国の連合艦隊が、オスマン帝国(スルタンはスレイマン大帝が既に亡く、セリム2世)の海軍を破ったレパントの海戦は何年か1571年 オスマンレパントで破れて以後無い
-
アルマダの海戦はなん年か1588年 ご飯未だある?あるまだ
-
三十年戦争を終結したウェストファリア条約が結ばれたのは何年か1648年 のろしは(1648)消えて、終戦す。2
-
名誉革命は何年1688年 名誉あるヒーローは羽ばたく
-
王政復古は何年か1660年 一路群れ
-
オーストリア継承戦争は何年か1740年 1難知ればマリア泣き
-
1905年にジョレスらが社会主義者を集めて組織した、フランスの政党をなんというかフランス社会党
-
辛亥革命を機に、中国周辺部のなんという地域が1911年に独立を宣言したか外モンゴル
-
1911年に設立されたインドネシアの民族運動団体で、第一次世界大戦後の民族運動高揚期に中心的役割を果たしたものはなにかイスラーム同盟(サレカット・イスラーム)
-
外モンゴルは1924年、モンゴル人民革命党の誰の指導の元、モンゴル人民共和国として社会主義国になったかチョイバサン
-
インド国民会議がカルカッタで決議した4綱領のうち、スワラージ、スワデーシ以外はなに民族教育、英貨排斥
-
ドイツがソ連を承認した条約1922年はなにかラパロ条約
-
敗戦国ハンガリーと連合国の講和条約トリアノン条約
-
委任統治の方式でイギリスが支配した、旧オスマン帝国領を3つあげよイラク、トランスヨルダン、パレスチナ
-
委任統治の方式でフランスが支配した、旧オスマン帝国領あげよシリア
-
ムッソリーニが1924年に併合した、アドリア海東岸の港市はどこかフィウメ
-
ムッソリーニはさらに1926年に、協力関係・親善を深めるのと口実のもと、どこの国を保護国としたかアルバニア
-
ソ連の共産主義建設のため、他国の革命支援に全力を集中せよという、トロツキーの革命理論をなんというか世界革命論
-
株価の大暴落が起こったのは何年か 10月24日暗黒の日曜日1929年 行く憎い
-
ニューディールの一環で、総合開発を目的に設立された政府機関をなんというかテネシー川流域開発公社(TVA) 労働者援助
-
フランスでは、1936年に社会党・急進社会党に共産党が協力する形で人民戦線の内閣が成立するが、その首班は誰かブルム
-
ワグナー法によって労働者の団結権・団体交渉権が認められた結果、1938年にアメリカ労働総同盟(AFL)から分離・独立して成立した、未熟練労働者中心の労働組合をなんというか産業別組織会議(CIO)
-
日中戦争の発端となった、北京郊外における日中両軍の衝突事件をなんという盧溝橋事件 ろこうきょう
-
蒋介石と対立し、日本と結んで南京に親日政権を樹立した国民党左派の政治家は誰か汪兆銘
-
スペイン内戦に際して、イギリス、フランスがとった政策をなんというか不干渉政策
-
国際連盟の管理下に置かれていたが、1935年に住民投票によりドイツが編入した炭鉱地帯をなんというかザール
-
イギリスはなんという協定で、ドイツに35%の海軍力保有を認め、再軍備宣言を承認したか英独海軍協定
-
ソ連はドイツとポーランドを分割した後、1939年11月になんという国に参戦したとことにより、国際連盟から除名されたかフィンランド
-
フィンランドに宣戦後、ソ連は、1940年8月になんという諸国を併合したかバルト3国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)
-
太平洋戦争の口火となった、日本側の奇襲攻撃はなにか真珠湾攻撃(パールハーバー攻撃)
-
対日戦の基本方針を討議、宣言した、1943年の米英ソの会談をなんというカイロ会談 日本の処理方針
-
初めて米、英、ソの三国の首脳が一堂に会し、おもに戦線問題を協議した会談(1943年)はテラヘン会議
-
1944年8月に、米・英・ソ・中の代表によるなにが開催され 「国際連合憲章」の原案作られたかダンバートン・オークス会議
-
1945年に国際連合憲章を採択したのは会議はサンフランシスコ会議
-
チェコスロバキアに対して、英米及びベネルクス3国が結成した集団貿易組織をなんというか西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)
-
1955年にソ連を中心に東ヨーロッパ相互援助条約が発足したが、通常これをなんというかワルシャワ条約機構
-
第2次世界大戦中は対日武装抵抗を展開し、戦後は対仏闘争の主力となったベトナムの民族第一戦線をなんというかベトナム独立同盟会 (ベトミン)
-
アラブ諸国民の主権擁護と相互協力の推進を目的に、アラブ7カ国が1945年に結成した統一組織をなんというかアラブ連盟(アラブ諸国連盟)
-
日本と韓国は1958年に何という条約を結ぶことにより、国交を正常化したか日韓基本条約
-
1969年から米ソ間で始まった、戦略ミサイルの制限に関する交渉はなんというか第1次戦略兵器制限交渉(第1次SALT)
-
1967年に東南アジア5カ国が結成した反共的な協力機構であったが、後に中立政策を強め、政治経済面での協力機構へと移行したのは東南アジア諸国連合(ASEAN)
-
第4次中東戦争で、石油戦略をとったためオイル・ショックをおき、先進工業国は深刻な打撃を受けた。これをおこしたきかんはなにアラブ石油輸出国機構(OAPEC)
-
1985年にソ連共産党書記長に就任し、89年にアフガニスタンから撤兵したのは誰かゴルバチョフ
-
核兵器搭載可能な中距離ミサイルの廃棄と製造中止を取り決めた、米ソの条約(1987年)をなんというか中距離核戦力全廃条約(INF)
-
ベトナム統一を目的に南ベトナムに1960年に結成され、ベトナム民主共和国(北ベトナム)と連携してゲリラ戦を展開した民族的組織はなにか南ベトナム解放民族戦線
-
ニクソン訪中後、日本は中国との国交正常化を果たした。その後日本は、1978年に中国と何という条約を結んだか日中平和友好条約
-
1975年にサイゴンが占領されて南北ベトナムは統一されるが、これにより翌76年に成立した国をなんというかベトナム社会主義共和国
-
第3次インド・パキスタン戦争の結果、1971年にパキスタンから独立した国はなにかバングラディッシュ
-
1970年から工業の育成に成功した、韓国・台湾・香港・シンガポール・ブラジルのような国をなんというか新興工業経済地域(NIES)
-
軍部のピノチェトのクーデタで倒れた(1973年)、南米チリ社会主義政権の大統領は誰かアジェンデ
-
セルビア南部の自治州で、その後分離・独立要求をセルビアが激しく弾圧したのはどこかコソヴォ
-
アメリカ大統領クリントンの仲介により、イスラエルのラビンとPLOのアラファトが1993年に合意した協定をなんというかパレスチナ暫定自治協定
-
アフガニスタンで政権を掌握したイスラーム急進派で、アメリカ合衆国の攻撃により2001年に倒されたものはなにかターリバーン
-
『天球回転論』を著して、地動説を唱えたポーランド人はだれコペルニクス
-
レパントの海戦は何年1571年
-
ウェストファリア条約は何年1648年
-
アイルランドで起こった食料不足をなんというジャガイモ飢饉
-
穀物法廃止は何年1846年
-
露仏同盟1891年 岩喰い1894年
-
日英同盟1902年 行くぜ二国で日英同盟
-
英仏協商1904年 行くぜ四つの英仏協商
-
英露協商1907年 行くぜ7つの英露協商
-
インド人の不満をそらすために1935年にイギリスが制定した法律で、連邦制と各州の自治を導入した法律は1935年インド統一法
-
イギリスの委任統治領であったが、1932年にフセインの息子を国王として独立を認められた国はどこかイラク
-
満州事変の原因となった、関東軍による鉄道爆破事件は何柳条湖事件
-
日中戦争の原因となった、北京郊外における日中両軍の衝突事件をなんというか盧溝橋事件
-
ヒトラーが割譲を要求した、チェコスロヴァキアのドイツ側国境地帯はズデーテン地方
-
ミュンヘン会談でヒトラーに譲歩した、イギリスの首相はネヴィル・チェンバレン
-
アメリカは武器貸与法で反ファシズム諸国を支援し、日本に対しては石油供給の停止やABCD包囲陣の形成で対抗した。その結果何年に太平洋戦争が勃発したか1941年
-
独ソ戦で、ドイツが壊滅的な攻撃を被った1942年から1943年の戦いをなんというスターリングラードの戦い
-
対日線の基本方針を決めた会談カイロ会談
-
ソ連の対日線を決定した会談ヤルタ会談
-
宋が滅びた事件靖康の変
-
明代に商工関係の同業・同郷業者などが、親睦・互助のために建てた建物を2つあげよ会館、公所
ログイン