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(196)7世紀初めに編纂されたが、645(大化元)年の蘇我氏滅亡の際に焼 失したという歴史書を2つあげよ。天皇記、国記
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(197) 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という、 中国皇帝に臣属しない形式の国書を持った外交使節が派遣されたの は、西暦何年のことか。607年
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(198) 607年に外交使節として中国に派遣された人物はだれか。小野妹子
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(199) 小野妹子が任じられた外交使節を何というか。遣隋使
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(200) 607年に派遣された遣隋使について記載されている、中国の歴史 書名と、その文章が書かれている部分の名とをあわせて答えよ。『隋書』倭国伝
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(201)① 小野妹子が隋に派遣された時の隋の皇帝の名は何というか。煬帝
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(201)② 小野妹子が隋に派遣された時の隋の皇帝の名は煬帝だが、608 年に日本へ国使(答礼使) としてつかわされた隋の使者の名をあげよ。裴世清(はいせいせい)
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(202) 608年に、再び隋に派遣された小野妹子に同行した、留学生を1 人あげよ。高向玄理
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(203) 608 年に、再び隋に派遣された小野妹子に同行した、学問僧を2人あげよ。南淵請安、旻(みなぶちのしょうあん、みん)
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