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16世紀後半、ポーランドでは14世紀以来の何という王朝が断絶して、選挙王政がおこなわれたか。 その後ポーランドは、周辺諸国との戦争で弱体化した。ヤゲウォ朝/ヤゲロー朝
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プロイセンとともに、第1回ポーランド分割をおこなった2国オーストリア、ロシア
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第2回ポーランド分割(1793年)後、分割反対闘争を指導したポーランドの軍人コシューシコ
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モスクワ大公国の君主(16世紀)で、独自の絶対王政(ツァーリズム)を開始した人物イヴァン4世
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イヴァン4世の死後、動乱時代を経て、1613年に何という新王朝が成立したか。ロマノフ朝
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ロマノフ朝のピョートル1世がバルト海進出をねらい、スウェーデン王カール 12世に対して 1700年におこした戦争北方戦争
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北方戦争中、ピョートル1世がバルト海浴岸に建設し、首都とした都市ペテルブルク
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ロシアが1689年に中国の清朝と結んだ、国境画定の条約を何というか。ネルチンスク条約
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1762年に即位したロシアの女帝で、政治改革や積極的な対外進出をおこなったのは誰か。エカチェリーナ2世
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エカチェリーナ2世の治世におこり、農奴制強化の契機となった農民反乱プガチョフの農民反乱
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スペイン継承戦争での功績により、プロイセンは王国に昇格した(1701年)。その後、1740年に即位し、プロイセン絶対王政の最盛期を築いた王は誰か。フリードリヒ2世
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バイエルン公やフリードリヒ2世は、何という女性によるハプスブルク家の全領土継承に異議をとなえたか。マリア・テレジア
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異議の結果、1740年に何という戦争が発したかオーストリア継承戦争
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オーストリア継承戦争で、プロイセンはオーストリアから何という地域を奪ったか。シュレジエン地方
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シュレジエン地方の奪還をめざすオーストリアが、プロイセンに対して1756年におこした戦争七年戦争
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七年戦争に際し、オーストリアは長年対関係にあったフランスと提携した。この外交政策の転換を何というか。外交革命
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啓蒙思想の影響を受けた君主が、自国の改革や近代化を進める体制を何と呼ぶか。 プロイセンなどの東欧諸国では、君主主導で「上からの近代化」を進める体制がとられた。啓蒙専制主義
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啓蒙専制主義典型とされるオーストリアの君主で、宗教容や農奴解放などの改革を進めたのはヨーゼフ2世
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18世紀のフランスで流行した、繊細優美な装飾を特色とする美術様式ロココ様式
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ロココ様式を代表する宮殿で、フリードリヒ2世がポツダムに建てた離宮サンスーシ宮殿
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