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平城遷都や養老律令編纂の中心となり、奈良時代初期の政界に重きをなした人物藤原不比等
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藤原不比等の娘である宮子が生んだ、奈良時代最初の男性の天皇聖武天皇
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729年に、藤原四子の策謀により政権の座にある皇族が自害に追い込まれた事件長屋王の変
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長屋王の変の後、皇后に立てられた人物光明子(こうみょうし)
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藤原四子が疫病により病死したのち、政権を握った皇族出身の人物橘諸兄(たちばなのもろえ)
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唐から帰国し、橘諸兄の政権で重用された人物吉備真備(きびのまきび)
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橘諸兄の政権に対し、740年に大宰府で挙兵し、敗死した人物藤原広嗣
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藤原広嗣の乱後、聖武天皇は転々と都を移したが、山背国における都の名は?恭仁京(くにきょう)
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藤原広嗣の乱後、聖武天皇は転々と都を移したが、摂津国における都の名は?難波宮
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藤原広嗣の乱後、聖武天皇は転々と都を移したが、近江国における都の名は?紫香楽宮(しがらきのみや)
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奈良時代は、第一に国家の安泰を祈願し、仏教によって国家の安定をはかる国家仏教の性格を持つが、こうした思想をなんというか鎮護国家思想
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鎮護国家思想により、聖武天皇が国ごとに僧寺と尼寺を建てて政治・社会の動揺を防ごうとした詔国分寺建立の詔(みことのり)
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聖武天皇が鎮護国家の大事業に着手する際に発した、「夫れ天下の富を有つ者は朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり。此の富勢を以てこの尊像を造る」という詔大仏造立の詔
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大仏造立の詔は転々と都が移されていたころに発せられたが、どこの都か紫香楽宮
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大仏造立の詔によって、盧舎那仏(るしゃなぶつ)が造立された総国分寺でもある平城京の寺院東大寺
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聖武天皇に代わって即位し、大仏開眼供養を752年に行った女性天皇孝謙天皇
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孝謙天皇のもとで、光明皇太后の信任を得て政権を握った人物藤原仲麻呂
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藤原仲麻呂は、孝謙天皇の次の淳仁天皇から特に名を賜ったが、何という名か恵美押勝(えみのおしかつ)
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757年に、藤原仲麻呂に反対して反乱を企てて失敗する事件橘奈良麻呂の変
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孝謙太上天皇の信任を得て、急速に勢力を伸ばした僧侶道鏡
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764年に起きた、道鏡の勢力に反乱を企てて失敗した事件恵美押勝の乱
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孝謙太上天皇は重祚(ちょうそ)して、何天皇と呼ばれたか称徳天皇
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八幡神の神託と称して、道鏡を皇位をつけようとする事件が769年におきたが、これは何という神社で起きたか宇佐八幡宮
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宇佐八幡宮の神託事件で、道鏡の天皇就任を妨げ、後に平安遷都に活躍した人物和気清麻呂(わけのきよまろ)
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称徳天皇の死去後、壬申の乱以来続いた天武系の天皇に代わって即位した、天智天皇の孫光仁天皇
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藤原式家の人物で、光仁天皇の即位に尽力した人物藤原百川
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灌漑施設の新設と旧来の施設利用とを区別しながら、一定期間の墾田私有を認める法令三世一身法
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橘諸兄政権は、一定限度の開墾地の永久私有を認める法令墾田永年私財法
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墾田永年私財法の発令後、貴族・寺院・地方豪族などの大規模な開墾による私有地が成立し始めたが、これをなんというか荘園(初期荘園)
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負担から逃れるため、農民が口分田を捨てて戸籍に登録された地を離れること浮浪
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負担から逃れるため、都の造営工事などから行方不明になること逃亡
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天平は、どの天皇の時の年号か聖武天皇
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712年に完成した現存する最古の歴史書古事記
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中国の史書にならって、編年体・漢文で記述され、720年に完成した最古の官撰の正史日本書紀
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六国史の2番目で、主に奈良時代を内容とする歴史書続日本紀
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官寺を出て、政府の抑圧を受けながらも民間に布教し、橋や地溝をつくるなどの社会事業を行い、後に大仏運営にも協力して、大僧正に任ぜられた僧侶行基
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光明天皇が設けたという貧窮者や病人の救済施設を2つあげよ悲田院(ひでんいん)
施薬院(せやくいん) -
光仁天皇の次に即位し、律令政治の再建に努めた天皇桓武天皇
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桓武天皇の母にあたり、百済系渡来人の血をひくとされる人物高野新笠
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桓武天皇は、平城京から水陸交通の便利な場所へ都を移すことにしたが、新たな都の候補地となった国山背国
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784年に遷都された新しい都長岡京
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長岡京に続いて建設された新都平安京
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平安京への遷都は何年の出来事か794年か
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遷都と並ぶ桓武天皇の大事業蝦夷征討
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桓武天皇に登用され、797年に征夷大将軍となった人物坂上田村麻呂
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坂上田村麻呂に降伏した後、河内で斬られた蝦夷の族長阿弖流為(あてるい)
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坂上田村麻呂が802年に北上川中流域に築き、蝦夷支配の拠点とした城胆沢城
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鎮守府が最初におかれたところ多賀城
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803年に胆沢城のさらに北方に築かれ、東北経営の前進拠点とされた城志波城
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令制の役所の統合・廃止が行われ、政治機構の簡略化が進められる中で設けられた、令の規定にない官僚令外官(りょうげのかん)
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令外官のひとつで桓武天皇が国司の監督を強化するため、8世紀末に新たに設けた官職勘解由使(かげゆし)
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8世紀末、桓武天皇はそれまでの軍団・兵士を廃止し、代わりに郡司の子弟や有力農民の志願による採用されてできた少数精鋭の兵士健児(こんでい)
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810年に設置され、天皇の側近として太政官組織との直接連絡や機密文書を取り扱う役所蔵人所(くろうどどころ)
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810年に、最初に蔵人頭に任命された藤原北家出身の人物藤原冬嗣
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9世紀初めにおかれた令外官で、京内の警察・裁判業務をつかさどり、衛門府・弾正台・刑部省・京職などの業務を吸収した官職検非違使(けびいし)
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蔵人頭や検非違使が設置された時の天皇嵯峨天皇
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蔵人所の設置の背景となった、嵯峨天皇のもとでおきた前天皇が重祚を企てた事件平城太上天皇の変 / 藤原薬子(くすこ)の変
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平城太上天皇の変の原因を作った上皇平城太上天皇
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平城太上天皇に加担し、権力を握ろうとした兄妹藤原仲成・藤原薬子
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律令制定以降、律令条文の補足や改正のために出された法令格(きゃく)
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律令や格の施行細則のこと式
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嵯峨天皇のもとで行われた、律令条文ぼ補足・改正や施行細則の分類・整理と編纂など弘仁格式
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班田は受けるが調・庸や兵役の負担を逃れるため、戸籍の男女の性別や年齢を偽って申告すること偽籍
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和気氏が設けた大学別曹(学寮)弘文院
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藤原氏が設けた大学別曹(学寮)勧学院
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橘氏が設けた大学別曹(学寮)学館院
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在原氏が設けた大学別曹(学寮)奨学院
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平安時代初期に入唐し、帰国後に法華経の信仰による新しい宗派を伝えた僧侶、その宗派最澄 天台宗
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天台宗の本拠は、都を離れた比叡山におかれたが、その寺院の名延暦寺
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大日如来の教えにより、秘密の呪法を通じて仏の世界に接し、救いを得ようとする仏教密教
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最澄と同時に入唐し、特に密教を学び、それにもとづく宗派を伝えた僧侶、その宗派空海 真言宗
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真言宗が中心道場とした高野山の寺院金剛峯寺
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平城太上天皇の変以後、勢力を伸ばしたのは藤原の何家か北家
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藤原北家の出身で、平安時代初期に嵯峨天皇の信任を得て台頭し、天皇家と姻戚関係を結んだ人物藤原冬嗣
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藤原氏発展の一方で、他氏が没落する政治的事件が次々に発生するが、842年に皇太子恒貞親王が廃され、伴・橘氏が失脚した事件承和の変
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承和の変で、謀反を企てたとして流罪になった人物で、三筆のひとり橘逸勢
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天皇が幼少の期間に、その政務を代行する官職摂政
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858年に即位した幼少の天皇の外祖父として摂政に就任した人物藤原良房
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藤原良房が摂政になったときの天皇清和天皇
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866年に焼失した平安宮にある朝堂院の南側の正門応天門
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応天門が放火されおこった事件応天門の変
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左大臣源信を失脚させようとして応天門の変を起こし、流罪になった人物伴善男(とものよしお)
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伴善男がついていた官職大納言
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応天門の変で没落した古来有力な一族は伴氏と何か紀氏
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天皇の成人後に、その後見役として政務を執行する官職関白
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はじめて関白に就任した人物藤原基経
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藤原基経が884年に実質的に関白の職に就任した時の天皇光孝天皇
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藤原基経を関白に任命する正式な詔発せられたのは887年のことだが、この時の天皇宇多天皇
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888年に、詔のなかで使われた語句をめぐり藤原氏が示威を行い、天皇は詔を取り消し、その起草者である橘広相を罰した事件阿衡の紛議
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宇多天皇に重用され、のちに藤原氏により大宰府へ左遷された人物菅原道真
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菅原道真が大宰府に左遷された時の藤原氏の代表者藤原時平
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10世紀後半に、摂政・関白は常置となり、藤原氏北家の勢力が不動のものとなったが、これのきっかけとなった事件はなにか安和の変
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安和の変以降の、摂政、関白を常置とする政治形態摂関政治
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安和の変のとき、藤原氏によって失脚させられた、醍醐天皇の皇子で、左大臣であった人物源高明
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藤原北家の勢力が確立すると、摂政・関白はすべて藤原北家から出されるようになるが、この摂政・関白に任命される家柄をなんというか摂関家
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摂政・関白の地位をめぐる藤原北家の一族間の争いのうち、叔父の藤原道長と争った甥藤原伊周
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4人の娘を皇后や皇太子妃とし、3人の天皇の外祖父となって栄華の絶頂をきわめた人物藤原道長
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藤原道長と対立した伊周の妹で、一条天皇の皇后藤原定子
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藤原道長の子で宇治殿と呼ばれ、後一条天皇以下3代の摂政・関白として、約50年間政権を握った人物藤原頼通
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藤原氏発展の背景にあった、娘を天皇の后妃として、皇室と姻戚関係を結ぶもの外戚関係
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摂関期、天皇の決裁の参考にされ、国政の重要事項を審議した公卿の会議陣定(じんのさだめ)
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大祓(おおはらえ)や七夕など、宮中で毎年同じ時期に行われる儀式年中行事
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国風文化が発達した時期に成立し、文学の発展や文芸の国風化に大きな役割をはたしたものかな文字
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11世紀初めに成立した大長編物語で、藤原氏全盛期の貴族社会を描写した物語文学の最高峰とされているもの源氏物語
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源氏物語の作者で、一条天皇の中宮藤原彰子に仕えた人物紫式部
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一条天皇の皇后藤原定子に仕えた女性によって書かれた随筆枕草子
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枕草子の作者清少納言
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阿弥陀如来を信仰し、来世の極楽往生を願う仏教の教え浄土教
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浄土教の普及の背景にあった、社会不安の増大とともに、釈迦の死後から仏法が衰え、やがて仏法が滅び天災地変が頻発するという仏教思想末法思想
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平安時期中期に完成した、日本風の貴族の住宅様式寝殿造
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寝殿造のうち、中央にあって主人が居住する正殿寝殿
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藤原道長が建立した法成寺にちなんで藤原道長の日記をなんというか御堂関白記
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平安時代の貴族の男性が、日常の出勤や儀式などに着用した正装束帯
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宮廷の女性の唐衣や裳からなる正装女房装束(十二単)
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律令制の地方官で、中央から派遣され、国の行政・警察・司法をつかさどる官職国司
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国司が勤務する国の政庁国衙(こくが)
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班田制の崩壊、律令制の衰退にともない、国衙の主な任務はどのようなものになったか一定額の納税の請負
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戸籍・計帳の崩壊により従来の人頭税中心の税制を維持できなくなった政府は、徴税基盤を何に置くようになったか土地
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平安時代中期以降の公領の税で、主に租米にあたるもの官物
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平安時代中期以降の公領の税で、主に労役にあたるもの臨時雑役
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徴税単位となった田地は、国司から耕作を請け負う有力農民の名をつけてよばれるようになるが、このような田地をなんというか名(名田)
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名田の耕作請負人である有力農民田堵(たと)
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田堵の中で、大規模な土地の経営を行う者大名田堵
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現地に赴任して国の実務をとる国司のうち最上席のもの受領(ずりょう)
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受領にはどのような階層のものが多いか中・下級貴族
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988年に出された、受領に強欲で私腹をこやす者が多かったため、その悪政を31ヶ条にわたって朝廷に訴え、罷免を求めた訴状尾張国郡司百姓等解文(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげ)
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尾張国郡司百姓等解文で訴えられ、その結果解任された国司藤原元命(もとなが)
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「今昔物語集」の中で「受領は倒るるところに土をつかめ」という国司の強欲さをあらわす有名な一節があるが、この受領はだれか藤原陳忠
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律令体制のゆるみから売位・売官が盛んとなった中で、私財を出して朝廷の財政や寺社の造営を助け、その代償として収入の多い国司などの官職を得ること。成功(じょうごう)
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成功の一種で、一定の財物を完に納め、任期満了後に同一の国司などの官職に再任されること重任(ちょうにん)
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国司に任じられても現地に赴任せず、国司としての収入のみを得ること遙任 / 遙任国司
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遙任国司の代わりに任地に派遣される役人目代
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国衙で実務をとった、大名田堵などの地方豪族から選ばれた現地の役人在庁官人
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8〜9世紀に成立した荘園初期荘園
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初期荘園の所有者(2つ)貴族・寺社
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大名田堵などの地方豪族や有力農民で、未開地を開発してその所有者となった者開発領主
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荘園領主がその地位を利用して獲得した、租税免除の特権不輸(の権)
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不輸の権を認める時に出される符(2つ)太政官符・民部省符
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国司の裁定による許可証によって、租税の免除を認められた荘園国免荘
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荘園領主がその権威によって獲得した、国衙の役人の立入りやさらには警察権の介入をも拒否する権利不入(の権)
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地方政治の混乱と治安の乱れから武装するようになった、土着した国司の子孫や地方豪族などの戦闘組織の集団武士団
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統率者のもとで武士の集団を構成する同族のこと家子(いえのこ)
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統率者のもとで武士の集団を構成する従者のこと郎党
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中小の武士団を統合した大武士団の統率者棟梁(とうりょう)
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大武士団の統率者の出身元として多いもの国司
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大武士団の統率者の代表的な例で、桓武天皇の流れをなんというか桓武平氏
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大武士団の統率者の代表的な例で、清和天皇の流れをなんというか清和源氏
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武士は、やがて公的な地位にも就任するようになるが、10世紀以降、上京して宮中の警備にあたったものをなんというか滝口の武士
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内乱などに際して、地方の武士と兵士を統率して鎮圧にあたった者押領使
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盗賊や反乱者を捕えるために中央から派遣された者追捕使
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貴族の身辺護衛にあたるもの侍
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桓武平氏は、桓武天皇の子孫が平の姓を賜わり、上総介となり任地に土着して関東各地に広がったものだが、この人物は誰か高望王 / 平高望
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桓武平氏の一族で、下総の猿島を本拠とし、一族間の争いからやがて中央政府の反乱を起こすにいたった人物平将門
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平将門が常陸・下野・上野の国府を攻め落とし、関東の大半を征服して名乗った称号新皇
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元々伊予国司で伊予の日振島を根拠に瀬戸内海の海賊を率いて乱をおこし、伊予の国府や大宰府を襲った人物藤原純友
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同じ頃に起こった藤原純友の乱と平将門の乱を合わせてなんと呼ぶか天慶の乱
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平忠常の乱を平定し、源氏の東国進出のきっかけをつくった人物源頼信
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1051年に陸奥でおこり、前後12年におよんだ戦い前九年合戦
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前九年合戦を引き起こした陸奥の豪族安倍氏
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前九年合戦を平定した父子源頼義・源義家
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源頼義・義家親子を支援し、前九年合戦の後には陸奥・出羽両国で大きな勢力を得た一族清原氏
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1083年におきた、清原氏の内紛に端を発した戦い後三年合戦
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陸奥守兼鎮守府将軍の地位にあり、後三年合戦を平定した人物源義家
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後三年合戦の後、奥羽全域にわたる支配を確立した清衡とその子孫のこと奥州藤原氏
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1068年に即位し、摂関家と外戚関係がなく、摂関家をはばからずに親政を行った天皇後三条天皇
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後三条天皇によって、1069年に出された荘園整理令延久の荘園整理令
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後三条天皇が荘園整理のために提出させた文書を審査する役所記録荘園券契所
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荘園が発達するなかで、国司の支配下にある土地はなんと呼ばれるようになったか公領 / 国衙領
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院政期に、国司が国内を新たに再編成した行政単位(3つ)郡・郷・保
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郡・郷・保のそれぞれの徴税責任者郡司・郷司・保司
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11世紀なかばから形成された、一国の編成において、荘・郡・郷などが並立する荘園と公領重層的に構成される体制荘園公領制
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荘園や公領内の耕地の大部分は名として、田堵などの有力な農民に割り当てられたが、彼らはやがて耕作する田地への権力を強めて何と呼ばれたか名主
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名主が荘園領主に納めるもののうち、主に米・絹などで納入するもの年貢
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名主が荘園領主に納めるもののうち、糸・布・炭・野菜など手工業製品や特産品で納入するもの公事(くじ)
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荘園領主に対する負担で、労役を奉仕するもの夫役(ぶやく)
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譲位後の天皇の呼び方上皇 / 太上天皇
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譲位後の天皇の居所のことで、のちにその人自身を意味するようになった言葉院
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譲位後に出家した場合その人をなんというか法皇
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天皇の位を譲ったのちも、上皇として天皇を後見しながら国務を執行する政治形態院政
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院政を始めた人物白河上皇
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白河上皇は誰に譲位して院政を始めたか堀河天皇
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白河上皇の孫で院政を行った上皇鳥羽上皇
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院政のために開かれた役所院庁
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白河上皇によって院の御所の警備に採用され、院政の武力となった武士北面の武士
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院政のもとで出される文書のうち、院庁から出されるもの院庁下文(いんちょうくだしふみ)
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上皇の命令として、院より直接出されるかたちの文書院宣
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院政を行う上皇の側近として権勢をふるった者院近臣
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院近臣には、富裕な受領や后妃の一族、上皇の養育に関わった者の一族が多いが、この養育に関わった女性をなんというか乳母(めのと)
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特定の国の支配権を上級貴族や寺社に与えて、その国からの収益を取得させる院政期に広まった制度知行国制度
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知行国制度において一国の支配権・収益権を与えられた者知行国主
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巨大な荘園を集積して、世俗的権力となった寺院が組織した武力僧兵
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僧兵は、神木や神輿(しんと)をおしたてるなどして、しばしば集団行動で朝廷に対し訴えをおこしたが、この行動をなんというか強訴
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大荘園と僧兵を持つ寺院の2大勢力であった興福寺と延暦寺をそれぞれなんというか興福寺→南都
延暦寺→北嶺 -
奈良法師とよばれた興福寺の僧兵が強訴のときに捧げてきた神木はどこのものか春日神社
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山法師とよばれた延暦寺の僧兵が強訴のときに捧げてきた神輿はどこのものか日吉神社
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院政期に、地方では各地の武士が一族や地域との結びつきを強めているなかで、奥羽地方で繁栄した民族奥州藤原氏
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奥州藤原氏は3代100年にわたったが、3代を順にあげよ藤原清衡→藤原基衡→藤原秀衡
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奥州藤原氏の陸奥にある根拠地名平泉
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院政期に院と結んで勢力を伸ばした桓武平氏の一族が、地盤としていた地域(2つ)伊賀・伊勢
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院政期に、白河上皇に重用され、出雲で反乱をおこした源義家の子を討って武名をあげた武士平正盛
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平正盛の子で、鳥羽法皇の信任を得て瀬戸内海の海賊平定に功績をあげ、西国一帯に勢力をもつようになった人物平忠盛
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鳥羽法皇の死後、皇族および摂関家内部の対立によって京都でおこった内乱保元の乱
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保元の乱で勝利した天皇後白河天皇
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保元の乱で敗れ、讃岐に配流された上皇崇徳天皇
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保元の乱の際、摂関家内で対立した人物(勝者と敗者にわけて)勝者→藤原忠通
敗者→藤原頼長 -
保元の乱で天皇側につき、勝利した武士(2つ)源義朝・平清盛
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保元の乱で上皇側につき、敗北した武士(3つ)源為義・源為朝・平忠正
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武家の棟梁の勢力争いと後白河上皇の近臣の権力争いが結びついて京都で起こった内乱平治の乱
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平治の乱で勝者となり、武家の棟梁としての地位を確立した人物平清盛
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後白河上皇の近臣として活躍し、平治の乱で自殺に追い込まれた人物藤原通憲 / 藤原信西(しんぜい)
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平治の乱で敗れ、東国へ逃れる途中、尾張で殺された源氏の棟梁源義朝
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後白河上皇の近臣で、平治の乱で兵を挙げたが敗れ、捕えられて斬られた人物藤原信頼
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平治の乱の後、異例の昇進をとげ、武士としてはじめて太政大臣となった権力をふるった人物平清盛
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平清盛の娘で、天皇の中宮となった人物平徳子
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平徳子が中宮となったときの天皇高倉天皇
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平徳子は天皇の生母となって特に院号を与えられたが何という院号か建礼門院
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平徳子が生んだ天皇安徳天皇
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平清盛の政権の呼び方にもなっている京都の地名六波羅
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平氏はその権力が強まるにつれてこれまでの院政と対立するようになるがこの時の院政を行っていた上皇後白河上皇 / 後白河法皇
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平清盛の長男で、父と後白河上皇の対立の和解に努めたが父に先立って病死した人物平重盛
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平氏は畿内・西国の武士と主従関係を結ぶために彼らを荘園や公領の現地支配者に任命したが、この地位の名称地頭
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平氏政権の経済的基盤で摂関家と共通する面(2つ)知行国・荘園
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平氏政権が積極的に取り組んだ対外貿易日宋貿易
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平清盛が日宋貿易のために現在の神戸に修築した港大輪田泊
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1177年に後白河上皇の近臣らが平氏の打倒を企てたが失敗に終わった事件鹿ケ谷の陰謀
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鹿ケ谷の陰謀事件で捕えられ、鬼界ヶ島に流され、その悲劇的な流罪生活がのちに能や歌舞伎の題材に取り入れられた人物俊寛
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鹿ケ谷の陰謀事件で捕えられ、備前国へ流されて殺された人物藤原成親
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民間におこった歌謡で貴族の間でも流行し、後白河院が特に愛好したもの今様
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平安時代末期に成立した説話集で、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の部からなり、貴族・武士・庶民の生活のありさまを伝えるもの今昔物語集
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平清盛が平家納経を奉納した平氏が氏神とした神社厳島神社
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1180年に、後白河法皇の皇子を奉じ、最初に平家打倒の兵を挙げた武士源頼政
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源頼政と平氏打倒の兵を挙げた後白河法皇の皇子以仁王
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反兵士の決起を呼びかけた以仁王からの命令文書令旨(りょうじ)
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以仁王のよびかけに応じて蜂起した、信濃の木曽谷の武士源義仲
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平治の乱で伊豆に流され1180年8月に挙兵した源氏の嫡流源頼朝
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その名は当時の元号からとった、1180年から1185年にいたる源平の争乱治承・寿栄の乱
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1180年に全国的内乱が広まるなかで平清盛が一時都を移した国摂津国福原京
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源頼朝が挙兵後最初の戦いとして平氏方の武将大庭景親と戦って大敗した戦石橋山の戦い
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源頼朝が平維盛らの平氏の追討軍を迎え、これを敗走させた1180年10月の戦い富士川の戦い
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1180年末、反平氏の拠点であった南都の東大寺や興福寺を焼打ちした平氏の総大将平重衡
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1180年の夏に西日本が旱ばつで凶作となったことでおこった1181年を中心とする2.3年に渡る大飢饉養和の飢饉
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1183年、北陸から入京を図る源義仲軍と平維盛軍が越中・加賀国境で激突し、平氏軍を敗走させた戦い倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い
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源頼朝軍と平氏軍の合戦のうち、1184年2月に摂津国福原に集結した平氏の軍が敗れた戦い一の谷の合戦
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1185年2月、讃岐国に拠点を持つ平氏の軍を源義経率いる源氏軍が奇襲し敗走させた戦い屋島の合戦
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1185年3月に長門の海上で平氏一門が滅亡した戦い壇ノ浦の戦い
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平清盛の三男で、清盛の死後平氏一門を統率し、壇ノ浦の戦いで捕えられ斬殺された人物平宗盛
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平氏との戦いにおいて、軍を率いて各地を転戦した源頼朝の弟(2人)源範頼(のりより)・源義経
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