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ヨーロッパの文化は誰の何から刺激を受けたかマルコ=ポーロの世界の記述
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ヨーロッパ文化で登場し人々を引き寄せたもの2つ遠洋航海、香辛料
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アフリカ西岸の探検に乗り出したのはどこの商人ポルトガルの商人
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この事業を推進した人物、呼び名エンリケ、航海王子
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アフリカ南端の名前、到達した人物喜望峰、バルトメロウ=ディアス
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インド西岸の名前、到達した人物カリカット、ヴァスコ=ダ=ガマ
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航路の開拓で栄えた首都はリスボン
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ポルトガルに続きアジアに進出した国、女王の名スペイン、イサベル
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女王は誰をどこに派遣したかコロンブス、インド
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大地は球形、大西洋を西に進むのがインドへの近道とする説はトスカネリの説
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コロンブスの航海経過バハマ諸島のサンサルバドル島、アメリカ大陸
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後に誰がどこに漂着しそこを何としたかポルトガル人カブラル、ブラジル、ポルトガル領
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その後南アメリカ探検を行った人物、出身アメリゴ=ヴェスプッチ、イタリア
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スペイン王室の命令で西まわりの大航海に出たのは何人の誰ポルトガル人マゼラン
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彼が目指した場所、通った場所、到達した場所モルッカ諸島、南アメリカ南端のマゼラン海峡、フィリピン
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彼の航団のうち一隻が成し遂げるたこと世界周航
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スペイン王室はアメリカに何を送り込んだ征服者、コンキスタドール率いる軍隊
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誰がどこを破りどこを征服したかコルテス、アステカ王国、メキシコ
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誰がどこを滅ぼしどこを破壊し何を建設したかピサロ、インカ帝国、首都クスコ、首都リマ
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スペインの植民地で導入された制度、内容エンコミエンダ制、先住民の保護とキリスト教化を条件に先住民と土地の支配をスペイン人植民者が行う
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後に何制になる大農園制、アシエンダ制
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スペイン植民地にて先住民の救済に努めた人物聖職者ラス=カサス
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大航海時代到来とともに始まったもの世界の一体化
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ヨーロッパ商業の広がりを何というそれは何の発達に繫がったか商業革命、資本主義経済
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ヨーロッパの物価騰貴の呼び名、原因価格革命、ポトシ銀山、ラテンアメリカの銀山による大量の銀
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西欧諸国への穀物輸出の盛んな地域はエルベ川以東の東ヨーロッパ地域
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穀物生産のための直営地経営制度は農場領主制、グーツヘルシャフト
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ルネサンスの意味すること再生、人間性の自由、解放、各人の個性を尊重する文化運動
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ルネサンスを支えたのは人文主義、ヒューマニズム
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政治を宗教、道徳から切り離す考えを提示したのは何、作者は君主論、マキァヴェリ
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イタリアでルネサンスの保護者として知られたのはフィレンツェの金融財閥メディチ家、ミラノ公、ローマ教皇
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ルネサンス文芸のイタリアの詩人二人ダンテ、ボッカチオ
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ダンテの作品神曲
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イギリスでは誰が何を著したかチョーサー、カンタベリ物語
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ネーデルラントの人文主義者、作品エラスムス、愚神礼賛
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イギリスで戯曲作ったのはシェークスピア
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イタリアでの絵画の動き遠近法の確立、写実主義
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建築での動き、建築物大ドームを持ったルネサンス様式、サン=ピエトロ大聖堂
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聖堂の建築に関わった彫刻家、作ったものミケランジェロ、ダビデ像
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解剖学、自然諸学、応用技術に才があった人物、呼び名レオナルド=ダ=ヴィンチ、万能人
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この二人とともに三大巨匠とされる人物、描いたものラファエロ、聖母子像
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油絵を改良した人物、開いたものファン=アイク兄弟、フランドル派
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版画を多数残したのはドイツのデューラー
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地動説を唱えたのはポーランド人コペルニクス
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遠洋航海を可能にしたのは羅針盤
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騎士の没落につながったのは火器
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迅速で安価な印刷技術、改良した人物、活版印刷術、ドイツ人グーテンベルク
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カトリック教会を批判したのはマルティン=ルター
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ルターの確信と発表したもの魂の救いは福音信仰のみによる、贖宥状の悪弊を攻撃する九十五ヵ条の論題
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贖宥状を売り出していたのは、出身教皇レオ10世、メディチ家
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搾取されるドイツはなんと言われたローマの牝牛
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破門されたルターを招集した人物、会議カール5世、ヴォルムスの帝国議会
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その後ルターがしたことザクセン選帝侯の保護下で新約聖書をドイツ語訳
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ルターの説に影響を受けたのは、したことミュンツァー、ドイツ農民戦争
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ルターの教えを採用した諸侯が領内の教会の首長となる制度領邦教会制
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ドイツに影響を与えたのはカール5世のイタリア戦争、オスマン帝国のウィーン包囲
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旧教徒、新教徒の呼び名カトリック、プロテスタント
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両者による戦いとその結果結ばれた協定シュマルカルデン戦争、アウクスブルグの和議
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スイスでは誰がどこで宗教改革を行ったかツヴィンクリ、チューリヒ
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ジュネーブで宗教改革を行ったフランス人の人文主義者、作品カルヴァン、キリスト教網要
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カルヴァンが解いた説予定説
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ルターとカルヴァンの教会組織司教制度、長老主義
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プロテスタントは何の宗派の総称になったか万人司祭主義
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イギリスでの宗教改革のはじまり国王ヘンリ8世がスペイン王家出身の王妃との離婚を認めない教皇に対立
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国王がイギリス国内の協会の首長であるとする法は国王至上法、首長法
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改革を進めたのはエドワード6世
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次の女王の名前、何をしようとしたかメアリ1世、スペイン王室と結んでカトリックの復活
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次の治世は誰が、定めた法はエリザベス1世、統一法
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カルヴァンの主義を求めた人、求められた人清教徒、ピューリタン、イギリス国教会
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カトリック教会の勢力を立て直そうとする動きをなんという対抗宗教改革
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開いた会議、作られたものトリエント公会議、禁書目録
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カトリック教会の勢力の回復に貢献したのはイエズス会
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作ったのは誰イグナティウス=ロヨラ、フランシスコ=ザビエル
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カトリックの布教活動で来日したのはフランシスコ=ザビエル
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悪魔の手先として魔術を使う疑いで10万人以上のの女性が殺されたのは魔女狩り
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ヨーロッパでは戦争の費用のためにどんな動きが強まったか国内の統一的支配
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小銃と大砲により何が起きたか、平時にも軍隊が維持されるのは軍事革命、常備軍
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ザビエルが到着した地、死んだ場所インドのゴア、中国
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国内の秩序を強化して主権者としての君主が国を代表する国家をなんという主権国家
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主権国家の形成で生まれた統治体制は絶対王政
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国王はなんの地位を上げたか有産市民層、ブルジョワジー、商人や金融業者
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商人が、道具や原料を、前貸しして生産の支配を行うのは問屋制
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資本家が労働者を工場に集めて分業で生産をさせるのはマニュファクチュア制
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イタリア戦争はなぜ起こったかフランス王がイタリアに侵入し神聖ローマ皇帝が対抗
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フランスと神聖ローマ皇帝の家系はヴァロワ家、ハプスブルク家
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ハプスブルク家は誰が何として選出されたかスペインカルロス1世、神聖ローマ皇帝カール5世
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それとヨーロッパの覇権をかけて激しく戦ったのは、終結の条約フランソワ1世 、カトー=カンブレジ条約
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ハプスブルク家が獲得、継承したのはネーデルラント、スペイン王位
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イタリア戦争でカール5世の軍隊がローマに侵攻したことをなんというローマの劫略
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カルロス1世退位後ハプスブルク家はどう分裂したかスペイン系、オーストラリア系
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スペイン系の最盛期の王、王位を兼任した国フィリペ2世、ポルトガル
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フィリペ2世がした戦い、相手レパントの海戦、オスマン帝国
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スペインはポルトガルの海外植民地も支配下に置くことで何を実現したか太陽のしずまぬ国
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ネーデルラントを支配したスペイン王フィリペ2世がしたことカルヴァン派のカトリック化政策
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南部フランドル地方10州はスペイン2支配されたが北部7州はどうなったユトレヒト同盟を結びオラニエ公ウィレムに抵抗してネーデルラント連邦共和国として独立
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スペインはどこを攻撃したか、理由オランダ独立を支持したイギリス
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その際送ったものは無敵艦隊、アルマダ
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オランダはどのように力をつけたか東インド会社を設立、東南アジアまで貿易網を広げる
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休戦条約で事実上勝ちとったことをなんというオランダ独立戦争
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オランダの国際金融の中心はどのように入れ替わったかアントウェルペンに変わってアムステルダム
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イギリスを強化した王朝テューダー朝
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地域社会を代表した大地主をなんというジェントリ、郷神
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イギリスの絶対王政において重要なものは議会
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領主が取り上げた土地を垣や塀で囲んで牧場にすることをなんというの囲い込み、エンクロージャー
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それにより盛んになったもの毛織物工業
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これを背景とするエリザベス一世の海外進出でしたことは東インド会社設立
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フランスで登場した勢力カルヴァン派の新教徒勢力、ユグノー
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内乱派誰と誰の間で起こったか、戦いの名前シャルル9世、カトリーヌ=ド=メディシス、ユグノー戦争
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この内乱に伴って起きた事件サンバルテルミの虐殺
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宗教問題より国家統一を優先する人々を代表したのは思想家ボーダン
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王位についたブルボン家の人物、したことアンリ4世、ナントの王令でユグノー戦争を終わらせた
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アンリ4世によって始まった王朝ブルボン朝
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次に王位についた人物、その宰相ルイ13世、リシュリー
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リシュリーの政策王権に抵抗する貴族、ユグノーを抑えて3部会を開かず新規勢力についてハプスブルク家の権力をくじこうとした
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この王権強化の政策を引き継いだのはマザラン
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次に王位についたのは、その時高等法院や貴族が起こした反乱ルイ14世、フロンドの乱
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ドイツで起きた外部勢力も介入した戦乱三十年戦争
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起きたきっかけオーストラリアの属領ベーメンがハプスブルク家のカトリック信仰強制に反抗
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旧教側と新教側の国スペイン、デンマーク
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優勢だったのは、戦いに加わったのは傭兵隊長ヴァレンシュタインの皇帝軍、スウェーデン国王グスタフ=アドルフ
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グスタフが覇権を目指したのはバルト海
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三十年戦争は宗教的対立を超えなんの間の戦いであったかハプスブルク家とフランス
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三十年戦争の終結条約ウェストファリア条約
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条約が大半のヨーロッパ諸国の参加する議会でまとめられたことは何を表す主権国家体制の成立
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ハプスブルク家はフランスにどこを奪われたかアルザス
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三十年戦争後北ドイツで成長したのは、プロイセン
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プロイセンの成り立ちホーエンツォレルン家支配下の、ブランデンブルク選帝侯国とプロイセン王国が結びついた
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エルベ川以東で農民支配を強化し地方行政を担った領主層ユンカー
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ロシアの領土を広げたのはイヴァン4世
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誰の支配するどこを領土にしたかコサックの、首長イェルマーク、シベリア
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イヴァン4世の、死後の内乱が終わり成立した王朝、設立者ロマノフ朝、ミハイル=ロマノフ
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