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守護の多くが京都・鎌倉に駐留したため、両国では★★や、土着の武士であった★★らが、自分たちの権力を確立していった。守護代、国人
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鎌倉公方に就任した★★は、関東管領上杉憲忠を謀殺した。この事件を契機に、1454年には★の乱が発生した。足利成氏、享徳の乱
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享徳の乱を契機に、鎌倉公方であった人物は★に拠点を移した。古河
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鎌倉公方は、足利持氏の子の★★が★★公方に、足利義政の弟の★★が★★公方になった。足利成氏、古河公方、足利政知、堀越公方
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関東管領の上杉氏も、★・★★の両家に分かれて争うようになった。扇谷、山内
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★★★は、15世紀末に堀越公方であった茶々丸を自害させた。北条早雲
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北条早雲の子は▲である。北条氏綱
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北条早雲の孫である★★は、古河公方を撃破した。北条氏康
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越後の守護代の出身である★★★は、山内上杉の★から家督を譲り受けて関東管領となった。長尾景虎(上杉謙信)、上杉憲政
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駿河の守護★★★は、遠江・三河を領国化して勢力を張った。今川義元
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美濃では★★が、守護の★★氏を滅ぼして下剋上した。斎藤道三、土岐氏
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近江では、★★氏が、その主家にあたる守護の▲氏をおさえた。浅井氏、京極氏
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京都では、管領★を、家臣である★★が追放した。細川晴元、三好長慶
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★★は、三好長慶を下剋上し、13代将軍★★★を襲って自殺させた。松永久秀、足利義輝
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中国地方では、守護大名の大内氏を滅ぼした★★から権力を奪った★★★が、山陰地方の尼子氏と戦闘を繰り返していた。陶晴賢、毛利元就
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陸奥の戦国大名は★★★氏である。伊達氏
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越後の戦国大名は★★★氏である。上杉氏
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甲斐の戦国大名は★★★氏である。武田氏
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駿河の戦国大名は★★★氏である。今川氏
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越前の戦国大名は★★★氏である。朝倉氏
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土佐の戦国大名は★★★氏である。長宗我部氏
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豊後の戦国大名は★★★氏である。大友氏
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斎藤氏は★★★国の戦国大名である。美濃国
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織田氏は★★★国の戦国大名である。尾張国
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浅井氏は★★★国の戦国大名である。近江国
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六角氏は★★国の戦国大名である。近江国
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北畠氏は★国の戦国大名である。伊勢国
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三好氏は★★国の戦国大名である。阿波国
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大内氏は★★国の戦国大名である。周防国
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尼子氏は★★国の戦国大名である。出雲国
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毛利氏は★★国の戦国大名である。安芸国
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龍造寺氏は★★国の戦国大名である。肥前国(長崎)
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相良氏は★★★国の戦国大名である。肥後国(熊本)
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島津氏は★★★国の戦国大名である。薩摩国(西鹿児島)
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戦国大名の中には両国支配の基本法である★★★を制定する者もあった。分国法(家法)
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奥羽に勢力を広げた★★★氏は、171条にも及ぶ『★★★』という分国法を制定した。稙宗が制定した。伊達氏、塵芥集
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『★★』は、後北条氏の初代の人物が制定した家訓である。早雲寺殿二十一箇条
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『★★』は、朝倉氏の家訓である。朝倉孝景条々
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16世紀前半、駿河・遠江などを領国とする戦国大名★は、『★★★』を制定した。今川氏親、今川仮名目録
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『甲州法度之次第』は★★★氏の分国法である。武田氏
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阿波の三好氏の分国法は、『★★』である。新加制式
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戦国大名には、国人や地侍の収入を★★★で統一的に把握し、それを軍役などの賦課基準とする者もいた。貫高
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戦国大名の軍事組織は、有力家臣に下級の地侍クラスの武士たちを配属する★★をとった。寄親・寄子制
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戦国大名の検地は、領内の領主あるいは名主に自己申告させる★★★であった。指出検地
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分国法には、家臣間の紛争を公権の採決にゆだね、実力行使を禁じた★★★の規定がある。喧嘩両成敗
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分国法では、犯罪者に対しては、その共犯者を処罰する★や、親族の連帯処罰をする★★などの規定があった。連坐、縁坐
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分割相続によって家督・財産が細分化されるのを防ぐために★制がとられた。嫡子単独相続制
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武田氏が釜無川にほどこした大規模な治水工事の遺跡を★という。信玄堤
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