-
オスマン帝国で起こったのは青年トルコ革命
-
青年トルコ革命の際独立を宣言したのはブルガリア
-
オーストリアは管理下のどこを併合したかオスマン帝国
-
オーストリアのバルカン半島進出に対してロシアが4国に結ばせたのはバルカン同盟
-
バルカン同盟の4国セルビア、ブルガリア、モンテネグロ、ギリシア
-
バルカン帝国がオスマン帝国に勝利した戦いは第一次バルカン戦争
-
領土の分配をめぐりブルガリアとバルカン同盟国が争ったのは第2次バルカン戦争
-
バルカン半島はなんと呼ばれたヨーロッパの火薬庫
-
オーストリア帝位継承者夫妻がセルビア人に暗殺されたのはどこサライェヴォ
-
オーストリアがセルビアに宣戦したことから始まったのは第一次世界大戦
-
第一次世界大戦の構図ドイツ・オーストリアの同盟国側、フランス・ロシア・・イギリス・日本の協商国側
-
後に同盟国側に参加したのはオスマン帝国、ブルガリア
-
後に協商国側に参加したのはイタリア、アメリカ合衆国
-
戦争の最初にドイツが侵入したのはベルギー
-
ドイツ軍がさらに侵入したのは、阻止された戦い北フランス、マルヌの戦い
-
導入された新兵器、何に立てこもった航空機、毒ガス、戦車、塹壕
-
ドイツがロシアを破った戦いタンネンベルクの戦い
-
ドイツがイギリス・フランスの経済を麻痺させるために宣言した作戦無制限潜水艦作戦
-
両側国が中立国を引き入れるために結んだのは秘密条約
-
イタリアを引き入れた秘密条約、オスマン帝国の配分を約束した秘密条約ロンドン秘密条約、サイクス・ピコ協定
-
物量戦によって各国で作られた体制総力戦体制
-
ドイツが単独講和を結んだのはソヴィエト=ロシア
-
即時講和を求める水兵が蜂起を起こしたのはキール軍港
-
これによりドイツは何になったか、一連のことを何という共和国、ドイツ革命
-
共和国政府が連合国と何を結んで大戦が終わったか休戦協定
-
デモ、ストライキが起こったロシアの首都はペトログラード
-
その動きを推進するために労働者、兵士が組織したものはソヴィエト
-
帝政の崩壊後樹立したのは臨時政府
-
この革命をなんというロシア二月革命
-
レーニンの示した革命を更にすすめる方針は四月テーゼ
-
新たに首相となってポリシェヴィキと対立したのはケレンスキー
-
レーニンと共に武装蜂起を指揮して政府を倒したのはトロツキー
-
翌日開かれた会議は全ロシア=ソヴィエト会議
-
そこで採択されたもの平和に関する布告、土地に関する布告
-
平和に関する布告は何の原則による講和か無併合、無償金、民族自決
-
この革命をなんという十月革命
-
ソヴィエト政権が不利な条件でドイツと結んだのはブレスト=リトフスク条約
-
ポリシェヴィキは何と改称された共産党
-
ロシアの首都はどこに移されたモスクワ
-
レーニンがロシアで社会主義を成功させるために不可欠だと考えたのは世界革命
-
そのためにモスクワで創設したものはコミンテルン
-
反革命政権がシベリアに軍を派遣した何をしたか対ソ干渉戦争
-
それに対しソヴィエト政府が組織したもの設置したもの赤軍、チェカ
-
食糧危機の解決のため農民から穀物徴発し配給をする主義は戦時共産主義
-
農民に自由販売を認め中小企業の私的営業を許すようになった転換をなんという新経済政策、ネップ
-
シベリアから日本が撤退した後に連合したソヴィエト共和国4国ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカース
-
その4国は何を結成したかソヴィエト社会主義共和国連邦
-
連合国の代表が集まって開かれたものはパリ講和会議
-
講和の基礎となったのはウィルソンの十四カ条
-
この原則に従わず既得権益を手放さなかったのはフランスのクレマンソー、イギリスのロイド=ジョージ
-
パリ郊外で調印されたドイツとの条約はヴェルサイユ条約
-
ドイツがフランスに返還したものアルザス・ロレーヌ
-
何を課されたかラインラントの非武装化、軍備制限、巨額の賠償金支払い
-
旧オスマン帝国内のアラビア半島で独立したのはイブン=サウード
-
フランス、イギリスがしたのは委任統治
-
フランスが委任統治したのはシリア
-
イギリスが委任統治したのはイラク・トランスヨルダン・パレスチナ
-
ヴェルサイユ条約で設置が決定したウィルソンの提案したものは国際連盟
-
国際連盟の本部はジュネーヴ
-
パリ講和会議で決定したヨーロッパの新国際秩序をなんというヴェルサイユ体制
-
アメリカなど9カ国が参加したもの、提案したのはワシントン会議、ハーディング
-
ワシントン会議で定められたもの海軍軍備制限条約、九カ国条約、四カ国条約
-
アジア、太平洋地域や国際秩序をなんというワシントン体制
-
トルコがギリシアと戦った領土を回復したのは誰の指揮のもとかムスタファ=ケマル
-
オスマン帝国は何条約を何条約に改めたかセーヴル条約からローザンヌ条約
-
フランスとドイツの対立が頂点に達したのはルール占領
-
1924年以降広がったのは国際協調
-
ドイツと西欧諸国の国境の現状維持と相互保障を決めた条約はロカルノ条約
-
28年に15カ国によって調印された条約は不戦条約
-
提唱したのはフランスのブリアン外相、合衆国のケロッグ国務長官
-
ワシントン会議で残された補助艦の合衆国、イギリス、日本の保有率を決めた会議はロンドン会議
-
イギリスの第4回選挙法改正の内容21↑男、30↑女
-
イギリスの第5回選挙法改正の内容21↑男女
-
自由党と連立内閣を組織したのは労働党党首マクドナルド
-
アイルランドは何として自治領になったかアイルランド自由国
-
各自治領が地位を得たイギリス帝国議会で成立したものはウェントミンスター憲章
-
アイルランドが連邦を抜ける際国名としたのはエール
-
フランスがドイツにルール占領を強行したときの内閣はポワンカレ右派内閣
-
ドイツとの和解に努めた外相はブリアン
-
ドイツで大統領に選出されたのは社会民主党のエーベルト
-
何が制定されたかヴァイマル憲法
-
ドイツ共産党の中心となったのはスパルタクス団
-
右翼軍人に殺害されたスパルタクス団の指導者ローザ=ルクセンブルク、カール=リープクネヒ
-
同年夏首相になったのはシュトレーゼマン
-
インフレ回復のために何を発行したかレンテンマルク
-
専門家の提案による案、最終支払い案をそれぞれなんというドーズ案、ヤング案
-
賠償金が30億マルクに減額された会議はローザンヌ会議
ログイン