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豊臣秀吉が全国の田畑の面積や等級を調べ、土地の生産力を米の収穫量である( ① )で表した大規模な土地調査を( ② )という。この調査の結果、実際に耕作する農民が検地帳に登録され、年貢を納める責任を負う最小の行政単位として( ③ )が確立した。① 石高、② 太閤検地、③ 村
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豊臣秀吉が全国統一を進める中で、主要な都市や鉱山とともに、経済的・軍事的な基盤として確保した将軍(関白)の直轄領を( )という。蔵入地
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戦国大名が先祖伝来の土地に持つ強い支配権を断ち切り、大名の勢力を削いだり配置を換えたりするために、主君が命令して大名の領地を別の場所に移し替えることを( )という。国替
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1588年、豊臣秀吉が農民から刀、脇差、弓、槍、鉄砲などの武器を没収するために出した法令を( )という。刀狩令
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戦国大名や豊臣政権下において、家臣や大名が主君から与えられた領地の収入(石高)に応じて、兵士や武器を出し、合戦に参加する義務を( )という。軍役
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太閤検地によって農民を土地に縛り付け、刀狩令によって武器を没収したことで、武士と農民の身分的な区別を明確にした政策を( )という。兵農分離
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1587年、豊臣秀吉が九州平定の直後に出した法令で、キリスト教の布教が日本の統治の妨げになると判断し、宣教師に対して国外退去を命じたものを( )という。バテレン追放令
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1592年、全国統一を達成した豊臣秀吉が、明の征服を目指して朝鮮に大規模な軍隊を派遣した最初の出兵を( )という。朝鮮側では壬辰倭乱と呼ばれ、李舜臣率いる水軍や民衆の義兵による激しい抵抗に遭った。文禄の役
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1596年、明との講和交渉が決裂したことを受けて、豊臣秀吉が再び朝鮮へ大軍を派遣した2度目の出兵を( )という。朝鮮側では丁酉再乱(ていゆうさいらん)と呼ばれ、1598年の秀吉の死によって日本軍が撤退するまで続いた。慶長の役
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