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19世紀中頃の日本は、江戸幕府13代将軍( )の後継者問題で混乱していた。徳川家定
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徳川家定の後継者問題で対立していた2つの派閥 五十音順に南紀派 一橋派
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一橋派は家定の後継者に一橋家の( )を推した。徳川慶喜
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一橋派の代表的な人物 プリントに載っている2人を五十音順に島津斉彬 松平慶永
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南紀派は家定の後継者に紀伊藩主の( )を推した。徳川慶福
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南紀派の代表的な譜代大名井伊直弼
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1858年、井伊直弼が大老に就任し、( )を無勅許で調印した。日米修好通商条約
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1858年、井伊直弼は徳川慶福を14代将軍徳川( )にした。家茂
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1858年から翌年にかけ、井伊直弼は自身の政策に反対する大名らを弾圧する( )を行った。安政の大獄
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井伊直弼は( )を永蟄居、( )と松平慶永を謹慎処分とした。 安政の大獄徳川斉昭 徳川慶喜
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井伊直弼は( )と( )を死刑とした。 安政の大獄橋本左内 吉田松陰
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1860年、( )で井伊直弼が暗殺された。桜田門外の変
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幕末期に起こった、朝廷と幕府を結びつけようという動き公武合体運動
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江戸幕府の老中( )は朝廷との融和を図り公武合体を推進した。安藤信正
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1862年、安藤は将軍家茂の夫人として( )を迎えた。和宮 孝明天皇の妹
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1862年、( )で安藤信正が水戸浪士に襲われた。坂下門外の変 その後は薩摩の島津久光が公武合体を推進した
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島津久光の行列を横切ったイギリス人を薩摩藩士が殺害した事件生麦事件
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1862年、島津久光が江戸に出向いて( )の改革を行った。文久
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文久の改革により、松平慶永は( )となった。政事総裁職
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文久の改革により、松平容保は( )となった。京都守護職
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文久の価格により、西洋式軍備が採用されたり( )が緩和されたりした。参勤交代
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1862年以降、長州藩が中心となり( )はさらに激化した。尊王攘夷運動
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長州藩は急進派公家である( )らと手を結び、幕府に攘夷決行を命じた。 尊王攘夷運動の広がり三条実美
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徳川家茂が( )し、幕府は攘夷決行を諸藩に命じた。 尊王攘夷運動の広がり上洛
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薩摩・会津藩が公武合体派の公家と手を組み、長州藩と急進派公家を京都から追放した事件八月十八日の政変
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公家の中山忠光・土佐藩士の吉村寅太郎らが、大和五条の代官所を襲撃した事件天誅組の変
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1864年、近藤勇らの( )が尊攘派志士を殺傷した。新選組
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尊攘派志士が新選組に殺傷された事件池田屋事件
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1864年に長州藩が勢力挽回を図り京都に攻め上った事件禁門の変 薩摩・会津に敗れた
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1864年、第一次( )が行われ、長州藩は一時的に幕府に従った。長州征討
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