-
ローマの大帝国が変容したもの荘園
-
荘園の中心にあるものとその周り中心に城と教会、周囲には農民、そのm話割は森に囲まれる。
-
農民の移動や職業選択の雌雄が奪われたなれの果て農奴 領主が裁判権を持つ
-
キリスト教徒による聖地エルサレムの奪還十字軍の遠征
-
十字軍の遠征によって復活したもの貨幣経済 貨幣経済によって農民の蓄財や自作農
-
農民の地位向上(農奴解放)のきっかけとなった病気黒死病(ペスト) 人口が減った
-
都市の保護を理由にして税金を得る政策重商主義
-
重商主義で得た税金で編成した軍隊常備軍 国内再統一、絶対王政の形成
-
重商主義が成功した絶対王政の王朝ブルボン朝
-
ブルボン朝の王アンリ4、ルイ13、ルイ14、ルイ15、ルイ16
-
ルイ14世の別称太陽王ルイ 絶頂期を象徴
-
ルイ14世が建造させたものヴェルサイユ宮殿
-
ルイ16世の王妃マリ=アントワネット
-
スコットランド王が王位を兼ねたイギリスの王朝スチュアート朝
-
清教徒革命以前のスチュアート朝の王ジェームズ1、チャールズ1
-
チャールズ1世が行ったもの専制政治と国教会の強要、人権無視や反乱、議会派と武力衝突
-
専制政治とは議会を無視した政治。 だから議会と武力衝突
-
清教徒革命の別称と起こった年ピューリタン革命、1642年
-
ピューリタン革命において、議会派の独裁者クロムウェル
-
クロムウェルのやったこと王政を廃止し、共和制に、スコットとアイルを結合、航海法でオランダ船の排除、勝手に護国卿に就任
-
清教徒革命後にチャールズ1の子が即位したこと王政復古 チャールズ2は絶対王政とカトリックにこだわる
-
チャールズ2の次の王とやったことジェームズ2、専制政治をするも、抗戦をあきらめて亡命
-
ジェームズ2の次の王とやったことウィリアム3とメアリ2、共同統治と、オランダ総督の招待、権利の章典の承認
-
権利の章典が承認されるきっかけとなった革命名誉革命 無血革命、王位の交代
-
権利の章典の内容人身保護と税金の免除
-
ウィリアム3とメアリ2の次の王とやったことアン、子を作らず断絶。
-
スチュアート朝の次の王朝ハノーヴァ(ー)朝
-
ハノーヴァ朝の最初の王と掲げた伝統ジョージ1、王は君臨すれども統治せず
-
ジョージ5の時に行われた改名後の王朝ウィンザー朝
-
アメリカ独立革命の背景で、1756年に起こった戦争七年戦争
-
七年戦争時のフランスの王ルイ15世
-
北アメリカの沿岸部に移住した国イギリス
-
一時的にオランダが建設したものニューアムステルダム
-
北アメリカのミシシッピ川流域に移住した国フランス
-
イギリスとフランスの境目となったアメリカの山脈アパラチア山脈
-
七年戦争でタッグを組んだ国イギリスとドイツ(プロイセン)、オーストリアとフランス
-
オーストリアとフランスが結びついた背景フランスのルイ16世とオーストリアのマリ=アントワネットの結婚
-
インドで起きたイギリスとフランスの戦いプラッシーの戦い フランスには現地民のマハラジャがつくも敗北
-
アメリカで起きたイギリスとフランスの戦争フレンチ=インディアン戦争 アメリカに13植民地、フランスにインディアンがつく。アメリカ勝利
-
7年戦争の末に結ばれた条約と内容パリ条約、ミシシッピ川以東のルイジアナをイギリス領にする
-
戦後にイギリスが戦費を回収するために行ったこと植民地への課税、重商主義政策の実施
-
「記述」英の重商主義政策による課税の説明植民地であるスペインのものに課税し、イギリスのものを買わせる。
-
七年戦争後のイギリスの政策 課税ともう一つ国王宣言線以西への移住を禁止
-
国王宣言線の場所大体アパラチア山脈
-
イギリスが新たに制定した四つの法砂糖法、印紙法、ダウンゼント諸法、茶法
-
砂糖法とは砂糖類への課税
-
印紙法とは印紙(レシートみたいな?)の貼付を義務化
-
タウンゼント諸法とは紙やペンキ、ガラスなどに課税
-
茶法とはイギリスの東インド会社に茶の免税と直売の許可
-
印紙法などに反対が起こり、生まれた言葉代表なくして課税なし
-
茶法に反発して起こった事件ボストン茶会事件(盗難涙の...)
-
ボストン茶会事件の内容インディアンに変装した者たちがボストン港の東インド会社の船を襲い、茶箱を海に捨てる
-
茶法を弾圧したイギリス王朝が課したもの五つの耐えがたき法
-
五つの耐えがたき法の例司法への介入、軍隊駐留
-
五つの耐えがたき法に反発して起こった会議大陸会議(1774)
-
大陸会議で非公式に作られたもの植民地議会
-
植民地議会に対して怒った英王ジョージ3の発言英臣民にあらず =攻撃対象だよ
-
植民地が対抗として結成した軍隊の名称と司令官植民地軍、ワシントン
-
対立激化の果てに起こった戦争独立戦争(1775~1781) レキシントン・コンコードで武力衝突
-
独立の推進をする啓蒙思想家2人 著書もトマス=ペインとパトリック=ヘンリ トマスが「コモン=センス」、パトリックが「自由か死か」
-
独立の推進に対する国民の反応独立を望まないものが多数
-
独立宣言の日1776.07.04
-
独立宣言内の「一定の譲ることのできない権利」の名称と持つ権利自然権、生命や自由、幸福の追求をする権利
-
独立宣言内の「新しい政府を設けることが人民の権利である」の権利の名称抵抗権
-
抵抗権のきっかけとなった人物と著書ジョン=ロック、社会契約説 日本でも多数決あるやん?
-
英と米(西、仏、蘭)の間で起こった戦いヨークタウンの戦い(1781) アメリカ勝利
-
米と西、仏、蘭が結びつく同盟武装中立同盟 なぜか露の女帝が提唱)
-
ヨークタウンの戦い後に結ばれた条約と内容パリ条約、アメリカ独立の承認、ミシシッピ以東のルイジアナをアメリカ領に
-
アメリカの集権体制大幅な地方分権を認めた中央集権 州の独自性と外交への強さを生かす
-
フランス革命以前の身分区分第一が聖職者、第二が貴族、第三が平民 一とニが免税特権、第三には人口の9割以上、税が重い
-
財政窮乏となったころのフランスの王ルイ16世
-
財政窮乏となった際に企画されたもの特権身分への課税
-
身分ごとに定員を定めた議会のこと三部会(1789.5に招集)
-
三部会での議題特権身分への課税の賛否 一、二部は反対多数、三部は賛成
-
議論が拮抗した結果、憲法制定のために誓われたもの球戯場の誓い 第三身分と一部の貴族が行い、国民議会と名乗る)
-
フランス革命のきっかけとなった事件バスティーユ牢獄の襲撃(1789.07.14)
ログイン