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世界大戦後に民族運動が活発になった理由その一戦時中にヨーロッパから自治や独立の約束があったから バルフォア宣言、フセイン・マクマホン協定
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世界大戦後に民族運動が活発になった理由その二ヨーロッパでの戦時中の物不足によって、植民地地域で工業化が進み、大衆的政治運動の担い手が増えたから
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世界大戦後に民族運動が活発になった理由その三オスマンやロシア帝国などの多民族国家の支配下地域の戦後処理として民族自決原則が唱えられたから
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世界大戦後に民族運動が活発になった理由その四ロシア革命が成功して、コミンテルンが民族運動を支援したから
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1919年3月1日に朝鮮でおきた民族運動三・一独立運動
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これを受けて原敬内閣は何をしたか文化政治
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文化政治の内容憲兵制度の廃止・朝鮮人の地方官吏への登用
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中国が戦時中の二十一ヵ条の要求によって認めさせられた権益の返還の却下に反発した運動五・四運動 1919年5月4日
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五四運動の影響ベルサイユ条約の調印を中国政府が拒否した
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1915年雑誌「新青年」を創刊した人物陳独秀
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「新青年」はどのような内容だったか難解な文語に代替する口語の提唱、上下差別の強い古い儒教の考え方への批判が示されていた
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「新青年」の代表的な作家魯迅
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新青年の創刊や当時の現代社会を批判する内容の小説・評論が多く出たその全体的な動きのことを何と呼んだか新文化運動
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新文化運動を担った人々が社会主義のもと結成した政党中国共産党
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五四運動の広がりを見て中国共産党と同じ時期に孫文が発足した政党中国国民党
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中国国内に偏在する軍事指導者を排除して国会を統一するために中国共産党と中国国民党が作った協力体制第一次国共合作
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中国両党が軍事指導者を排除するために行ったこと北伐
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北伐を率いた軍人蔣介石 社会主義嫌いな人
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国共合作崩壊のきっかけ蔣介石の共産党弾圧クーデタ
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蔣介石は共産党を弾圧して南京に何を立てたか国民政府 翌年に主席となった。
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弾圧された共産党の根拠地となった地江西省の山岳地帯
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1931年に中国共産党の主席となった人物毛沢東
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1931年に建てられた共産党の臨時政府中華ソビエト共和国臨時政府
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戦後インドの有名な民族資本家タタ
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イギリスはインドに戦争に協力する見返りとして何を約束していたかインドの自治
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1919年に制定されたインドに関する法インド統治法
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1919年にインドで発布された逮捕や裁判無しでの投獄を認める法律ローラット法
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1920年にインドの国民会議派大会で非暴力の民族運動を掲げた人物ガンディー
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1929年のインドの国民会議派大会でネルーが決議したこと完全独立(プールナ・スワラージ)
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1930年にガンディーが始めた抵抗運動塩の行進
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インドの一連の民族運動の影響イギリスが各州の自治をインド人に譲り、多くの州で国民会議派が当選した。
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反国民会議派だった全インド・ムスリム連盟は1940年には何を目標にしたかイスラーム国家パキスタンの建設
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アメリカに支配されていたフィリピンはどのような形で独立への道をたどったか19世紀末からの議会の開設をはじめとするフィリピン人への権限委譲⇨1916年フィリピン自治法での将来独立宣言⇨1934年フィリピン独立準備法制定・準備政府の発足
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インドネシアでは独立のためにどのような動きがあったか オランダ支配戦後のインドネシア共産党による武装蜂起⇨1927年のスカルノによるインドネシア国民党の独立への訴え⇨1930年オランダによる民族運動の鎮圧
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ビルマで独立を訴えた学生を中心に結成された政党 イギリス支配タキン党 鎮圧された
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ベトナムで1930年に結成された政党 フランス支配インドシナ共産党
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インドシナ共産党を結成した人物ホー・チ・ミン 武装闘争が行われたがフランスに鎮圧された
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戦後タイでおきたクーデタ立憲革命
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南アフリカで結成された会議先住民族会議 後にアフリカ民族会議(ANC)に改称
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戦後欧米のアフリカ系知識人から起こったことパン=アフリカ主義運動
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