清で( )が起きたことを受け、幕府は天保の薪水給与令を出した。
アヘン戦争
1844年、( )国王が開国を勧告するも幕府はこれを拒否した。
オランダ
1844年にはアメリカ船が、その翌年にはフランス戦が( )に来航し、通商を要求した。
琉球
アメリカは清との貿易・北太平洋の( )の為の寄港地として日本に開国を要求した。
捕鯨船
1846年、アメリカ東インド艦隊司令長官の( )が浦賀に来航し、開国を要求した。
ビッドル
1853年、アメリカ東インド艦隊司令長官の( )が、軍艦4隻で浦賀に来航し、開国を要求した。
ペリー
翌年ペリーは軍艦7隻で来航した
1853年、ロシアの( )が長崎に来航し、開国を要求した。
プチャーチン
2度目のペリー来航時、日本とアメリカとの間で( )が結ばれた。
日米和親条約
( )と( )を開港する。
日米和親条約
下田 函館
アメリカに( )待遇を与える。
日米和親条約
最恵国
日本はロシアとの間で( )を結び、下田・函館の他に( )の開港を約束した。
日露和親条約 長崎
択捉島より南を日本領、得撫島より北をロシア領とし、樺太には国境を定めなかった
福山藩主の( )は、老中となり安政の改革を行った。
阿部正弘
阿部正弘は、水戸の( )・越前の( )・薩摩の( )らを大名に登用した。
徳川斉昭 松平慶永 島津斉彬
阿部正弘は( )を幕臣に登用した。
江川太郎左衛門
阿部正弘は、砲台を置く場所である( )を江戸に設置した。
台場
阿部正弘は、国防上の理由で( )を解除した。
大船建造の禁
阿部正弘は洋学の重要性を認識し、後に( )となる洋学所の設置を主導した。
蕃書調所
阿部正弘は、旗本や御家人に武術を教える場である( )を江戸に設置した。
講武所
阿部正弘は、西洋の海軍技術を学ぶ場である( )を長崎に設置した。
海軍伝習所