rad 2024年09月04日 カード27 いいね0

3-1 p36〜37

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単語カード

  • 5世紀前半に都を「」から「」に移した「」は、その後も南下を続けていた。
    丸都、平壌、高句麗
  • 6世紀には高句麗に圧迫された「」と「」が「」に勢力をのばし、6世紀なかごろまでに「」を併合した。この情勢のなかで、加耶にもっていた後の影響力は低下した。
    百済、新羅、伽耶地域、伽耶諸国
  • 倭では、6世紀前半に「」の「」が失脚したあと、「」天皇のもとで「」の「」と「」の「」が台頭した。
    大連、大伴金村、欽明、大臣、蘇我稲目、大連、物部尾輿
  • 蘇我氏は「」の経営などの「」を担当し、大王家と「」関係を結んで勢力を強めた。
    屯倉、財政、婚姻
  • 「」の「」は「」問題にかかわる「」年の戦いで大連の「」を滅ぼし、「」年には自身が擁立した「」天皇を暗殺して、権力を強めた。
    大臣、蘇我馬子、王位継承、587、物部守屋、592、崇峻
  • 大伴金村は「」から「」天皇を擁立した
    越前、継体
  • 蘇我氏が管理した財政は「」、「」、「」の三蔵
    斎蔵、内蔵、大蔵
  • 大伴金村は「」では、「」をめぐる外交政策の失敗で失脚したとされている。
    日本書紀、伽耶諸国
  • 「」の受容に積極的な蘇我氏と「」を排除しようとする物部氏との信仰の対立も関係したとされる。
    仏教、仏教
  • 「」天皇の死後、最初の女性天皇である「」天皇が「」で即位し、甥の「」(「」)が天皇を助けて政治をとった。
    崇峻、推古、飛鳥、厩戸王、聖徳太子
  • 厩戸王は「」氏と血縁があり、両者は協調して政治をおこなったと考えられる。「」朝以降を「」時代とよぶ。
    蘇我、推古、飛鳥
  • このころ、「」年に中国の王朝を統一した「」が東方への勢力拡大をはかり、東アジアに新たな緊張がうまれていた。「」には、「」年に倭が「」を派遣したことが記されている。
    589、隋、「隋書」倭国伝、600、遣隋使
  • 道済使がもたらした情報から、自国の政治制度の未整備を認識した倭では、「」と「」が迅速な政治改革につとめた。
    厩戸王、蘇我馬子
  • 「」年に「」が定められ、「」年には既戸王が「」
    をつくった。
    603、冠位十二階、604、憲法十七条
  • 冠位十二階は、「」制度による集団ごとの「」に加えて、「」に応じた「」を個人に与える制度である。
    氏姓、身分秩序、功績、冠位
  • 憲法十七条は、「」や「」などの思想を取り入れて、朝廷に仕える「」の心得を示したものであった。
    仏教、儒教、役人
  • 国家体制をととのえるとともに、「」年には「」を責任者とする「」が派遣された。
    607、小野妹子、遣隋使
  • この外交では隋と倭の君主をともに「」と表記する国書を送り、「」から無礼とされた。
    天子、煬帝
  • しかし、「」への勢力拡大をはかる煬帝は、倭との紛争を避け、翌年「」を倭につかわした。
    朝鮮半島、裴世清
  • 「」に従属しない姿勢を示した「」朝の外交は、中国皇帝に「」を求めた「」の外交とは方針が異なっていた。
    隋、推古、冊封、倭の五王
  • 遣隋使の派遣には「」・「」を同行させ、中国の「」や「」、「」の直接的な導入をはかった。
    留学生、留学僧、政治制度、学問、仏教
  • 留学生の「」や留学僧の「」、「」は、隋が滅ぼされて「」が建国される動乱を体験したあとに帰国し、「」に大きく影響を与えることになった。
    高向玄理、旻、南淵請安、唐、大化の改新
  • 国家体制の充実した推古朝には、新たな歴史書も編纂された。「」年に「」と「」は「」の由緒や各「」との関係を記す『「」』
    『「」』などを編纂したが、これらは天皇による「」の正当性を示す書物であったと考えられる。
    620、厩戸王、蘇我馬子、天皇家、氏族、天皇記、国記、支配
  • 冠位十二階は「」、「」、「」、「」、「」、「」をそれぞれ「」に分けて区別した
    徳、仁、礼、信、義、智、上下
  • 「」年に「」天皇かわ「」を責任者とする最初の「」を派遣した
    630、舒明、犬上御田鍬
  • 歴史書は「」が保存したが、「」で邸宅が消失した時に「」は救出されたらしいが残っていない
    蘇我氏、乙巳の変、国記
  • 蘇我氏4人名前
    蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿
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