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1814年に開かれたウィーン会議では、王位と国境を何が起こる以前に戻すとされたか
フランス革命
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ウィーン会議にて、プロイセンが回復したもの
西部の領土
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ウィーン会議にて、オランダが獲得したもの
南ネーデルラント
元はオーストリアの領土
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ウィーン会議にて、オーストリアが獲得したもの
ヴィネツィアなど
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ウィーン会議にて、ドイツ連邦が獲得したもの
35の君主国と4の自由市
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ウィーン会議に参加しなかった国
オスマン帝国(トルコ)
非公式の代表などはいたらしい?
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ナポレオン失脚に伴い、フランスにて復活した王朝
ブルボン朝
立憲君主政
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ルイ18世やシャルル10世などが求める、王制のままであろうとする体制の名称
この人たちによる支配時代を「復古王政」という。「王政復古の大号令」と似てるね。
保守反動体制
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フランスなどの市民が求める、自由であろうとする考え方
自由主義
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1830年に国王が出版の自由を制限し、憲法も改悪させたことが反感を買って起こった革命
七月革命
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七月革命にて、ブルボン朝の王を追い出して即位した王
ルイ=フィリップ
銀行家のラフィトらに推薦された
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七月革命にて、新たな王の即位に伴って独立した国
ベルギー
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七月革命を象徴する絵画の名称
民衆を導く自由の女神
ウジェーヌ・ドラクロワ作
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七月革命以降、普通選挙が殆ど行われなかった理由
金持ちしか選挙権を得られなかったから
当時の首相ギゾー「選挙権が欲しければ金持ちになり給え」
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選挙法改運動を政府が弾圧し続けたことによって激昂した市民が1848年に起こした革命
二月革命
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二月革命によって、フィリップ王を追い出したことにより成立した政府
臨時政府
共和政を謳った(第二共和政)
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二月革命に伴い、フランスで行われるようになった選挙制
男性普通選挙
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フランスの二月革命に影響を受けて、三月革命が起こった国
プロイセンとオーストリア
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1834年より発足した、加盟国相互の関税を廃止する同盟の名称
ドイツ関税同盟
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1831年に結成され、ウィーン体制を揺るがす自由主義の運動として重要な意味を持っていた政治的組織
青年イタリア党
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これが発明されたことによって、国から国へ情報が素早く伝わるようになったもの
電信(モールス信号)
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臨時政府にて、閣僚を務めた人物
社会主義者
ルイ=ブラン
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ルイ=ブランが労働者の救済のために建設したもの
国立作業場
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1848年に行われた大統領選挙にて当選した、ナポレオンの甥にあたる人物
ルイ=ナポレオン
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1851年にクーデターを起こし、ナポレオン3世として即位した人物
第二帝政を謳う
ルイ=ナポレオン
息子も一週間ほど皇帝であったため、2世とは名乗らなかった。
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二月革命、三月革命などにより、ウィーン体制が崩壊し、オーストリア各地で民族の独立運動が起きたことの総称
諸国民の春
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1949年、三月革命後に開かれた、ドイツ統一や憲法制定のための議会の名称
フランクフルト国民議会
皇帝にプロイセンの国王を選出するも、拒否される
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1855年、プロイセンとオーストリアの間で起こった、デンマーク戦争の処分問題をきっかけとした戦争の名称
デンマーク戦争は、1864年に普と墺の連合軍とデンマークとの間で起こった戦争
普墺戦争
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聖地エルサレムの管理権をフランスに譲渡したことに対し、ロシアが反発した結果、1853年から1856年にかけて起こった起こった戦争
クリミア戦争
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クリミア戦争での活躍により「クリミアの天使」と呼ばれた人物
ナイチンゲール
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クリミア戦争でのナイチンゲールの活躍に刺激を受けたデュナンが提唱した組織
国際赤十字
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1859年、イタリアの統一を目指すサルデーニャ王国が起こしたオーストリアとの戦争
フランスが支援する
イタリア統一戦争
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イタリア統一戦争の前年に結ばれた密約によってフランスに譲渡された地域
プロンビエール密約
サヴォイアとニース
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1858年、宣教師殺害に対する賠償を口実にスペインと共同で出兵したこと
インドシナ出兵
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ルイ=ナポレオン失脚のきっかけとなった戦争
普仏戦争
プロイセンが勝利し、ドイツ帝国を名乗る
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ドイツ帝国の宰相を務めた人物
一人で全部やっちまう
ビスマルク
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ビスマルクが行った飴と鞭の政策として行った飴の政策
疾病、災害、養老保険の整備
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ビスマルクが行った飴と鞭の政策として行った政策の内、鞭の政策
カトリック教徒の弾圧、社会主義者鎮圧法による社会民主党の弾圧
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1856年から1860年にかけて、イギリスがフランスと共に、清朝政府に対する軍事行動を起こしたこと
開港場拡大や、北京への領事の常駐などを要求
アロー戦争
北京まで攻められた末、清は開国した
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1861年、メキシコの混乱と南北戦争に乗じてメキシコに出兵したこと
メキシコ遠征
失敗に終わる
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ルイ=ナポレオンの内政として、建設した者
オペラ座
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不凍港を求めたロシアがトルコに対して起こした戦争
露土戦争
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アロー戦争の講和条約として締結された天津条約を批准し、新たに締結された条約
北京条約
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北京条約で獲得した、日本海側の港の名称
ウラジヴォストーク
ロシア語で、東方を征服せよって意味があるそうな
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朝貢貿易ができないヨーロッパの国々が行った貿易形態
中継貿易
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中継貿易を行っている国の別名称
港市国家
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イギリスが自由貿易を要求するために清に派遣した代表人物
マカートニー
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自由貿易を拒否されたイギリスが行った貿易の名称
三角貿易
相関図は頭に入れる
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北京条約で決められたもの
配布資料に記されているもの5つ
九竜半島南部の割譲、天津港などの開口、外国公使の北京滞在、外国人の中国内地旅行の自由、キリスト教布教の自由
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清国内に広まるアヘンを取り締まるために強硬策を実施した人物
林則徐
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林則徐の強硬策2つ
アヘンの没収及び廃棄、対英貿易の禁止
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1840~1842年林則徐の強硬策に反抗したイギリスが起こした戦争
アヘン戦争
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アヘン戦争の講和条約の名称
南京条約
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南京条約の内容4つ
香港島の割譲、上海など5港の開港、公行の廃止、賠償金支払い
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1843年に、南京条約に追加した不平等条約の内容3つ
領事裁判権の承認、関税自主権、片務的最恵国待遇
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1851年から1864年にかけて洪秀全が起こした近代中国の大農民反乱の名称
キリスト教の影響
太平天国の乱
太平天国は、洪秀全が樹立した独立国家の名称
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太平天国の乱にて、1853年に占領され、天京と改称された地名
南京
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