地図・図・写真・記述の確認(1872〜1889)
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②
西南戦争
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③
富岡
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④
秩父
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⑤
国会開設
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①
地価
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②
富岡
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③
大日本帝国
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④
衆議院
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地租改正について、次の()にあてはまる文を、「現金」の句と「%」の単位を用いて「~こと」の形で答えなさい。
政府は、国民に土地の所有権を認め、土地の所有者に( )を義務づけた。
政府は、国民に土地の所有権を認め、土地の所有者に(地価の3%を現金で納めること)を義務づけた。
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西南戦争がしずめられたあと、政府を批判する人々の行動はどのように変化したか、答えなさい。
武力による反乱から、言論による地判が中心になった。
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次の()にあてはまる文を「~が…にあたえる」という形で答えなさい
1889年2月11日、( )という形で大日本帝国憲法が発布された。
1889年2月11日,(天皇が国民にあたえる)という形で大日本帝国憲法が発布された。
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藩閥政府とは明治政府のどのような点を批判したことばか。
特定の藩の出身者が政府の要職を占めていた点。
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衆議院ではじめて行われた議員選挙では、選挙権はどのような人にあたえられたか。
3つの条件を入れて、簡単に答えなさい。
直接国税を25円以上納める満25歳以上の男子。
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徴兵令により、国民の一部はある義務を負うことになった。
その内容を徴兵令の対象となった国民をあげて答えなさい。
20歳以上の男子は兵役の義務を負うことになった。
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江戸時代の年貢の収入はききんにより不安全だったが、地価を課税の基準にすることで、明治政府は安定した収入を得ることができたから。
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投票の秋密が守られなかったため、有権者が自由な意思で投票できない。
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憲法に衆議院議員の選挙が定められたことにより、国民が政治に参加できるようになった。
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