歴史暗記 江戸時代(5)
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1792年、〇〇が〇〇(都道府県)の〇〇に来校して漂流民を届けるとともに通商を求めた。
ラクスマン・北海道・根室
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1804年、〇〇が〇〇(都道府県)に来て通商を求めたが、拒否された
レザノフ・長崎
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1825年、幕府が〇〇(別名〇〇)を出して日本の沿岸に近づく〇〇を〇〇した。
外国船打払令・異国船打払令・外国船・撃退
以後も鎖国を続けました。
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1837年、〇〇(事件名)があった。
モリソン号事件
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このモリソン号事件を知って高野長英と渡辺崋山が幕府の鎖国政策を批判したため、幕府が彼らを処刑した(このことを〇〇という)
蛮社の獄(ばんしゃのごく)
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1853年、アメリカ人の〇〇が〇〇(〇〇県)に来航して強く〇〇を求めた。
ペリー・浦賀・神奈川・開国
開国は鎖国の反対。
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1854年、再びペリーが来航して前回よりも強く開国を求めました。それで幕府はやむをえず〇〇を結びました
日米和親条約
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日米和親条約では〇〇と〇〇の2港を開いた。
下田・函館
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アメリカに続いて〇〇、〇〇、〇〇とも同じ条約を結び200年以上続いた〇〇が終わった。
イギリス・ロシア・オランダ・鎖国
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和親条約で貿易について定めなかったため、アメリカ人の〇〇は自由貿易を強く要求した。結果、大老の〇〇が朝廷の許可を得ず、〇〇を結んだ。
ハリス・井伊直弼(いいなおすけ)・日米修好通商条約
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日米修好通商条約で、行った国は〇〇、〇〇、〇〇、〇〇だ。
オランダ、イギリス、フランス、ロシア
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開いた港を4つ
函館、横浜、新潟、神戸
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最大貿易港は〇〇で理由は〇〇です
横浜・江戸に一番近いため。
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オランダ、イギリス、フランス、ロシアの中で中心として貿易を行っていた場所は〇〇です。
横浜
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開国後に生活の不安は開国を恨む声になり、〇〇へと高まりました。
攘夷論(じょういろん)
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一方、幕府の政治に対する不満を持つ大名や武士の間には〇〇が起きて、2つの考え方が結びついて〇〇となる
尊王論・尊王攘夷論
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1862年、〇〇が起こった
生麦事件
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生麦事件をきっかけとする〇〇が起きた
薩英戦争(さつえい)
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1867年に伊勢神宮の御札が降ってきたので「〇〇」と言っていた。
ええじゃないか
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1866年、〇〇(〇〇県)出身の〇〇らの仲立ちで〇〇を結んで倒幕のために協力した
土佐藩・高知・坂本龍(竜)馬・薩長同盟(さっちょうどうめい)
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武力倒幕の動きが高まるのをみた徳川慶喜が〇〇年に朝廷の政権を返上した。このことを〇〇という
1867・大政奉還(たいせいほうかん)
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これを受けた朝廷は〇〇を出して幕府を廃止しました。
王政復古の大号令
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新政府に不満を持つものが各地で反抗した(〇〇戦争)
戊辰戦争
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