18世紀の東アジアにおける社会と経済
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maaya
2025年04月27日
カード17
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売ることを目的として作られる作物
中国の、長江下流域の江南地方では、桑や綿花などが栽培された
商品作物
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機会を使わず、簡単な道具と手で作る工業
生糸や絹織物、綿織物など
手工業
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17,18世紀江南地方の蘇州や長江中流域の漢江などが商工業都市として繁栄した理由は
◯◯◯が整備されたから
大運河
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明から清に至る経済的発展にともない、全国的な◯◯◯◯◯と金融のネットワークが形成された
遠隔地商業
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16世紀以降、中国が日本やアメリカ大陸から大量に流入したもの
それによって、商工業が活性化、貨幣経済が農村にも浸透した
銀
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銀が大量に流入した結果、貨幣経済が農村にも浸透し◯◯◯が進む
銀納化
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江戸時代、政治の実権は全国を統一した〇〇将軍にあった
徳川
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大名や幕府が直接、支配していた土地
直轄領
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将軍から与えられた大名が内政を行う領地
藩
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18世紀、百姓は◯◯を負担する役割を負っていた
年貢
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江戸時代における幕府収入の中心
書類上の年間収穫高
石高
直轄領400万石から収められる年貢であったが、18世紀、年貢収入が停滞、米価が下落したため、幕府の財政が逼迫し始めた
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1716年、徳川吉宗は、年貢増収による幕府財政の立て直しを目指して行った改革
享保の改革
享保の改革を行った結果、幕府の年貢収納率は上昇した
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17世紀末、全国各地で商品生産が活性化し、◯◯◯◯◯などが整備された
西廻り海運
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西廻海運が発達したことによって、大阪は「◯◯◯◯◯」と呼ばれた
天下の台所
大阪は全国の物資集散地として栄えた
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18世紀末、蝦夷地や東北地方と西日本を西回りで結ぶ北前船のような◯◯◯◯◯が発達
遠隔地海運
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遠隔地海運が発達したことによって、昆布など蝦夷地海産物の西日本での流通や長崎での輸出(◯◯)がさかんになった。
俵物
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19世紀にはいると、織物業や製糸業といった◯◯工業が発達した
農村
農村工業によって、地域間の分業と公益に基づく経済成長が本格化して、人口増加につながった
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