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1651年、将軍★★★が没し、次いで幼少の★★★が将軍に就任した。
徳川家光、徳川家綱
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将軍徳川家綱を補佐した★★★は、会津藩主で、将軍(家光)の異母弟である。
保科正之
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★年、幼少の家綱が将軍となる直前に、牢人の不満を利用して幕府を倒そうと企てた★★★が起こった。
1651年、慶安の変(由井正雪の乱)
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慶安の変は★★★・▲らによって行われた。
由井正雪・丸橋忠弥
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慶安の変を契機として、江戸幕府は17世紀半ばに★★★政治から★★★政治への転換を迫られた。
武断政治、文治政治
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慶安の変のあと、幕府は50歳未満の大名に★★★を認め、大名改易の減少を図った。
末期養子(まつごようし)
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近世前期の異様な振る舞いや風体をした、時に反体制的でもあった人々のことを★★という。
かぶき者
旗本の無頼の徒を旗本奴、町人の無頼の徒を町奴という
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1657年、将軍徳川家綱のときにおきた江戸の大火を★という。
明暦の大火
この火事を別名「振袖火事」という。また、火事の犠牲者の供養のために江戸両国に回向院がおかれた。
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徳川家綱の行った「寛文の二大美事」とは、★の禁止と★の廃止を指す。
殉死、大名証人制
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幕府は、大名に対して★を発給する一方、大名の改易、減封、転封を行った。
領地宛行状
りょうちあてがいじょう
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大老★は、将軍徳川家綱に仕え「下馬将軍」の異名を持った。
酒井忠清
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江戸時代初期には、岡山藩で★★★が熊沢蕃山を、会津藩では★★★が山崎闇斎を、加賀藩では★★が木下順庵を、水戸藩では★★★が朱舜水を招くなど、儒者を登用する藩主が現れた。
池田光政、保科正之、前田綱紀、徳川光圀
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岡山藩の池田光政が★★を、会津藩では保科正之が★★を、加賀藩では前田綱紀が★★を、水戸藩では徳川光圀が明から亡命した★★を招いた。
熊沢蕃山、山崎闇斎、木下順庵、朱舜水
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徳川光圀は、江戸に★を儲けて『★★★』の編纂を開始した。
彰考館、大日本史
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★★★は、徳川家光の子で、館林藩主から将軍に就任した。
徳川綱吉
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5代将軍綱吉は、はじめ大老★★を用いた。
堀田正俊
綱吉は、隆光を開山として神田に護持院を建立した。
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★★は、5代綱吉のもとで、側用人として権力をふるった。
柳沢吉保
最初の側用人は牧野成貞
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将軍綱吉の母▲の願いで護国寺が建立された。
桂昌院
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将軍徳川綱吉は、林羅山の孫の★★★を★★★に起用した。
林信篤(林鳳岡)、大学頭
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将軍徳川綱吉は林羅山が江戸上野忍ヶ岡に設けていた孔子廟と林家の家塾弘文館を★★★に移し、★★として整備した。
湯島、聖堂学問所
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将軍綱吉は、加賀前田家に仕えていた★★を侍講に招いた。
木下順庵
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将軍綱吉は★★を歌学方に、★★を天文方に登用した。
北村季吟、安井算哲(渋川春海)
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綱吉は、1687年に東山天皇の★を復興するなど、伝統行事の再興にも救助の手を差し伸べた。
大嘗祭
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1694年、192年ぶりに再興された京都の賀茂神社の祭りを▲という。
葵祭
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将軍家菩提所である上野の寛永寺や芝の▲寺などの寺社地が江戸の15%を占めた。
増上寺
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将軍徳川綱吉は、近親者に死者があったときの服喪を規定した★を出した。
服忌令
ぶっきれい
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綱吉が犬公方とよばれるのは、★★★を発令したからである。
生類憐れみの令
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1701年、江戸城中松の廊下において、播磨国赤穂城主浅野長矩が、★筆頭の吉良義央に、小刀を振るって刃傷に及ぶという事件がおこった。
あさのながのり/きらよしひさ
高家
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綱吉のもとで勘定吟味役だった★★★は、★★を回収して、質の悪い★★★に改鋳した。
荻原重秀、慶長金銀、元禄金銀
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荻原重秀は、勘定吟味役から▲に昇進した。
勘定奉行
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1707年11月には★が大噴火した。降灰は甚大な被害をもたらし、幕府はその復興のために、全国に★を掛け、約49万両が集められた。
富士山、諸国高役金(国役金)
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綱吉の死後、綱吉の甥の★★★が6代将軍となり、次いでその子★★★が7代将軍となった。
徳川家宣、徳川家継
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6代・7代将軍の侍講をつとめて儒者は★★★、側用人は★★★である。
新井白石、間部詮房(まなべあきふさ)
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将軍家宣と家継を補佐していわゆる★★★を推進したのは新井白石である。
正徳の治
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新井白石が、皇族の門跡寺院への出家防止のために新設した宮家は★★★である。
閑院宮家
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新井白石は★★★の待遇を簡素化した。
朝鮮通信使
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新井白石は朝鮮国書に記す将軍の称号を「★」から「★」に改めさせた。
日本国大君、日本国王
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新井白石は★★★金銀を鋳造し、質量とも慶長金銀に戻した。
正徳金銀
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新井白石は★年に★★★を出し、長崎貿易における金銀の流出をおさえた。
1715年、海舶互市新例
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長崎新令では、オランダ船の来航を年間で★隻・銀★貫まで、清国船の来航は★隻・銀★貫までと定めた。
2,3000,30,6000
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