歴史総合 第1章「結びつく世界」第1節「アジア諸地域の繁栄と日本」
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16世紀以降の西アジア、南アジアで並立して繁栄した3つの帝国や王朝
オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国
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オスマン帝国が1453年に征服した、ビザンツ帝国の首都
コンスタンティノープル
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オスマン帝国最盛期、16世紀半ばの皇帝
スレイマン1世
オスマン帝国の第10代皇帝
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スレイマン1世が定めたオスマン帝国の領域
北アフリカからイラク・ハンガリーまで
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スレイマン1世が政治に用いた法
イスラーム法
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スレイマン1世がムスリム(イスラーム教徒)との共存を図るために行ったこと
帝国内のキリスト教徒や、ユダヤ教徒の共同体による自治を認める。
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オスマン帝国がフランスなどのヨーロッパ人に対して認めた特権
カピチュレーション
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カピチュレーションが保証したもの
通商や居住の自由、身体や財産の安全、租税免除
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オスマン帝国がハンガリーの領土の大半を喪失するきっかけになった出来事とその年号
1683年のウィーン包囲
ローマ帝国ハプスブルク家を攻撃しようとした
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16世紀後半にイランにて最盛期を迎えた王朝
サファヴィー朝
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サファヴィー朝の国教
イスラーム教のシーア派
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サファヴィー朝の首都
イスファハーン
美しい宮殿や庭園などから「イスファハーンは世界の半分」と言われるほど繁栄したそう
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アジア、ヨーロッパ諸国との貿易で用いたサファヴィー朝の特産物
生糸
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サファヴィー朝のあと、イランにておこった王朝と建国した人物
アフシャール朝、ナーディル=シャー
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イランにてアフシャール朝の2つ次におこった王朝とその首都
ガージャール朝、テヘラン
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インドにて16世紀に成立した帝国
ムガル帝国
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ムガル帝国にて、中央集権的な統治機構を整備した人物
アクバル
第3代皇帝
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アクバルがヒンドゥー教徒との融和を図るために行ったこと
ジズヤ(人頭税)の廃止
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人頭税とは
個人の経済能力や性別などに関係なく、年齢に応じて課される税金
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17世紀後半、ムガル帝国最大の版図の時期のムガル帝国の君主
アウラングゼーブ
その後帝国の支配は弱体化していく
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アウラングゼーブが深く帰依した宗教
イスラーム教
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非ムスリムの反発を招く原因となったアウラングゼーブの所行
ヒンドゥー教の寺院の破壊や人頭税の復活
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ムガル帝国が解体に向かったきっかけ
アウラングゼーブの没後、ベンガルやデカン高原に事実上の独立政権が誕生したから
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国際貿易からの利益を財政的な基盤とする典型的な港市国家であるタイの王朝
アユタヤ朝
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港市国家の説明と代表例
港市を中心とした国家で、東南アジアで伝統的にみられる。代表例はマラッカ王国
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東アジアの国際関係の特徴
古くから中国の王朝を中心とする朝貢関係が結ばれてきたこと
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14世紀半ばに、元を北方に駆逐して中国史灰を復活させた王朝
明
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政権の安定と貿易の利益を求めて明と朝貢関係を結んだ国
朝鮮王国、日本(室町幕府)、琉球王国
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明が東南アジア諸国に朝貢を促すために行ったこと
ムスリムの宦官が率いる大艦隊の派遣
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朝貢を通じて明から諸国に与えたもの
銅銭、生糸、絹織物
周辺国の経済を活性化
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明で民間の自由な貿易が阻害された理由
対外交易を政府の管理する朝貢貿易に限ったため
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16世紀にて東アジアの朝貢体制を同様させるきっかけ
大航海時代による世界的な商業の活発化
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中国の貿易を阻害した中国人や日本人の入り混じる商人集団
倭寇
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倭寇が行ったこと
取り締まりに反した密貿易と略奪行為
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貿易統制の困難さに直面した明が行ったこと
民間による海上貿易の緩和
しかし日本との直接の貿易は許されず
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豊臣秀吉による日本の統一後、朝鮮に向けて侵略したことの名称
文禄の役、慶長の役
朝鮮の抵抗、秀吉の死によって撤退
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17世紀に明に対抗し、朝鮮を服属させた王朝
清(後金)
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漢人の統一のために清がとった厳しい政策
辮髪の強制、言論の弾圧
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※製作途中
山川出版社「歴史総合」P24~P29