世界史 逆一問一答② 南・東南アジア
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まえ
2025年07月22日
カード23
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ウパニシャッド哲学
祭式至上主義のバラモン教に対する批判から生まれ、内面的思索を重視し絶対的な真理の把握を目指した。(※ウパニシャッドは『奥義書』の意で、宗教・哲学書)
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ジャイナ教 特徴
きびしい不殺生主義を特徴とし、真理は相対的であるとして断食などの苦行を重視(中道を取る仏教と違う)。商人層に信者が多い
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マウリヤ朝とグプタ朝、政治的特徴の違いを一言で
マウリヤ→中央集権的、グプタ→地方分権的
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チャンドラグプタ王の業績
マガダ国のナンダ朝(ガンジス川流域)を倒しマウリヤ朝建国&侵入してきたセレウコス朝を破りアフガニスタン獲得
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アショーカ王(前268即位)の業績
南部を除くインド統一で最大領土、仏教帰依→ダルマに基づく統治を理想として各地に磨崖碑&石柱碑建てる、仏典結集、セイロン島布教
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クシャーナ朝
遊牧民のクシャーン人が建国。都のプルシャプラが東西交易の要衝に位置したため交易で繁栄もササン朝に敗れ衰退(シャープール1にプルシャプラ占領された)
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クシャーナ朝時代のインド、他の王朝は?
デカン高原:サータヴァーハナ朝、南インド:チョーラ朝&パーンディヤ朝
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グプタ朝
インド古典文化の黄金期を現出(サンスクリット文学の興隆)、純インド的芸術が発達、交易不振やエフタルの侵入で衰退
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ヒンドゥー教
仏教・ジャイナ教により否定されたヴェーダ権威の再確立や、先住民の土着信仰のバラモン教への吸収・融合により成立。グプタ朝時代に隆盛
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バクティ運動
神への絶対的な帰依を掲げる宗教運動で、14世紀以降に北インドに波及
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ラージプート時代の宗教的動き(東大プレ2023)
仏教が王権の保護を失って衰退し、代わって諸侯に支持されたヒンドゥー教の定着が進む(ラージプートは『ヒンドゥー諸侯』なので、考えりゃわかる)
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ガズナ朝(962建国)
サーマーン朝のマムルークがアフガニスタンで自立、1000年ごろ〜北インドに侵入
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ゴール朝
ガズナ朝を滅ぼす&ラージプート連合軍を破ってイスラーム勢力による北インド支配の基礎を築いた
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デリー・スルタン朝 いつからいつまで?
1206(アイバク即位)〜1526(パーニパット)
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デリー・スルタン朝 ハルジー、トゥグルク、サイイドの特徴を簡単に
ハルジー:モンゴルの侵攻を撃退、トゥグルク:デリー・スルタン朝時代の最大版図もティムール侵入で事実上崩壊、サイイド:支配はデリー周辺のみ
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マンサブダール制
すべての官僚に序列を付け、その位階に応じて給与と保持すべき騎馬の数が決められた
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シク教(ナーナク、パンジャーブ、黄金寺院はマスト)
ヒンドゥー教のバクティ信仰とイスラーム神秘主義を融合し、偶像崇拝や苦行・カースト制を否定
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アウラングゼーブ論述で抜けがちなこと
『厳格なイスラーム教スンナ派の立場から』
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扶南衰退の要因
マラッカ海峡の整備により外港のオケオが交易の主要ルートから外れたこと。滅亡は真臘の侵攻による
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チャンパー
後漢滅亡後成立。4世紀末からインド化が進み、インドと中国南部との中継貿易で栄えた
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インド化
東南アジア各地がインド文明を能動的に受容した現象。王権の概念、ヒンドゥー教や仏教、サンスクリット語などを取り入れる一方、身分制度は定着せず
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シュリーヴィジャヤ
マラッカ海峡ルートの発達とそれによる扶南の衰退で台頭。滅亡後は三仏斉がマラッカ海峡支配
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ポルトガルのマラッカ占領(1511)影響
イスラーム商人がマラッカ海峡を避け、スマトラ島西方を迂回してスンダ海峡を抜ける交易路を開拓したため、スマトラ島北端のアチェ王国、ジャワ島西部のバンテン王国が交易拠点として繁栄
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①と同じく基本的な語句説明は省略が多い。用語集準拠
あとたまに単純な知識問題あるのは盲点だから