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1919年1月にフランスのベルサイユ宮殿で開かれた、第一次世界大戦の講和会議をなんという?
パリ講和会議
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パリ講和会議で当時のアメリカ大統領ウイルソンが提唱した平和原則
十四か条の平和原則
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ドイツと連合国側の講和条約をなんというか
ベルサイユ条約
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ベルサイユ条約でドイツに課せられた条件
巨額の賠償金支払い・すべての植民地の放棄・軍備の大幅な制限・アルザスとロレーヌのフランスへの割譲・ラインラントの非武装化
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ロシア帝国とハンガリー帝国の崩壊によって成立した国
ポーランド・フィンランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・チェコスロバキア・ユーゴスラビア・ハンガリー
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ロシア帝国とハンガリー帝国の崩壊によって成立した国はパリ講和会議で独立を承認されたが、それは十四か条の平和原則の何に基づいていたか
民族自決
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パリ講和会議で認められた、アジア・アフリカの国々は政治的・経済的に遅れているので、その統治を先進国が委任して行う必要があるという考え方
委任統治の発想
アジア・アフリカの人々は落胆した。
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十四か条の平和原則の国際的平和機構の創設という項目に基づいて実現された組織
国際連盟
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国際連盟の抱えていた問題点
アメリカの不参加・武力制裁ができなかった点・議決は総会の全会一致であった点
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パリ講和会議で定められたドイツへの処遇や、独立国の承認、国際連盟の成立は何と呼ばれたか
ベルサイユ体制
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パリ講和会議が戦後の欧州の戦後秩序に関わるものだったのに対して、アジア・太平洋地域の戦後秩序に関わった会議
ワシントン会議
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ワシントン会議で締結された太平洋の島嶼の現状維持を定めた条約
四か国条約
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四か国条約に参加した四か国
米・英・日・仏
日英同盟消失
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海軍の主力艦の保有比率を参加国で定めた条約
海軍軍備制限条約
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海軍軍備制限条約に参加した国
米・英・日・仏・伊
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海軍軍備制限条約で米:英:日の比率
5:5:3
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戦後、総力戦で負担を担った国民として政治参加の平等が特に意識された人々
女性
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1918年イギリスでの選挙法改正で認められたこと
女性参政権
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戦後のイギリスの選挙で躍進した政党
労働党
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イギリスの自治領であったオーストラリア・ニュージーランド・カナダが本国と対等の地位を認められた方針
ウエストミンスター憲章
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イギリスはウエストミンスター憲章の後何と再編されたか
イギリス連邦(コモンウェルス)
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アイルランド自治法が施行延期された理由
アイルランドにイギリス人入植者が多くいたから
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アイルランド自治法の施行延期に対する反発によって起こった戦争
アイルランド独立戦争
1916年ダブリンで武装蜂起が起こった。
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アイルランド独立戦争後のイギリスの対応
独立を認めずアイルランド自由国を認めた。
これに対して内戦が起きて結局自由国になった。
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ドイツの賠償金返済が滞ったとして、フランスが1923年にやったこと
ルール占領
国際的な非難を浴びて1925年には撤兵した。
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1919年8月ドイツで社会民主党政権が制定した憲法
ヴァイマル憲法
極めて民主的だったが、保守派は歓迎しなかった。
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ドイツで1925年に大統領となった人物
ヒンデンブルク
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1923年のルール占領によって起こったインフレに対して紙幣改革を行った人物
シュトレーゼマン首相
マルク⇨レンテンマルク
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1924年に成立したドイツの賠償金返済を円滑にするための案
ドーズ案
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第一次世界大戦での領土拡張が実現せず、労使関係も悪化して、混乱を極めていたイタリアでできた政党
ファシスト党
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ファシスト党の結成者
ムッソリーニ
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ムッソリーニが政権獲得のためにしたこと
ローマ進軍
王はムッソリーニを受け入れて首相に任命した。
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ドイツの首相シュトレーゼマンとフランスの外務大臣ブリアンが共同して、1925年に7カ国で結んだ条約
ロカルノ条約
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ロカルノ条約の内容
ドイツのラインラント非武装化などの再確認
これを受けて翌年には連盟の常任理事国になった。
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アメリカ国務長官ケロッグとブリアンが主導して15カ国で結ばれた条約
パリ不戦条約
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