田沼意次〜松平定信の政治
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田沼意次の役職
10代将軍の老中
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田沼の政治が行わていた年
1767〜1787年
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田沼の頃、幕府が困っていたこと
年貢(米)の収入がもはや限界だったこと
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田沼意次の政策5つ
・幕府直営で銅、鉄、朝鮮人参などを専売する
・長崎貿易
・蝦夷地の開発
・株仲間の公認
・商人の出資で新田開発
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株仲間の公認などが原因で、田沼の頃に流行してしまったこと
賄賂、癒着、不正
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天明の大ききんが起きた年
1782年
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浅間山の大噴火が起きた年
1783年
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将軍の死とともに田沼が失脚した理由
天明の大飢饉、浅間山の大噴火と天災が続いたことによる民衆の不満
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松平定信の肩書き3つ
老中
白河藩主
吉宗の孫
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松平が行った改革
寛政の改革
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寛政の改革が行われた年
1787〜1793年
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寛政の改革の目的
農村のたてなおし
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寛政の改革の政策4つ
・囲い米の制(各藩一万石につき50万石貯蔵)
・帰農令(江戸にいる農村出身のニートを農村に返す)
・棄損令(御家人等の借金ナシ)
・倹約令(厳しい統制)
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