日本史15
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rad
2024年09月05日
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「」年に、政府は「」ごとに定められた「」の限度内で、開整田の永久所有を認める「」を制定した。
743、身分、面積、墾田永年私財法
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これは収公前に耕作が放棄されて「」に戻るという「」の問題を改めたもので、これ以降の 開発がすすんでいった
荒れ地、三世一身法
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「」・「」や「」などの有力者は農民などを雇って開墾させ,田を買い集め、広大な山野を囲い込むなどして「」を増やした。
貴族、寺院、地方豪族、私有地
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墾田はおもに付近の農民に「」して運営された。これらの私有地は「」とよばれる。
賃租、初期荘園
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律令制の支配が浸透するとともに、「」の負担は重くなり、制度に従わない者が増えていった。
農民
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このうち戸籍に登録された土地を離れている者を「」、納税せず行方不明となった者を「」という。
浮浪、逃亡
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彼らの一部は地方豪族や有力寺社などの支配下に入り、その「」となって田地の開墾や耕作に従事した。
労働力
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「」天皇が「」天皇に譲位すると、「」の信任をえた「」が勢力をのばした。
聖武、孝謙、光明皇太后、藤原仲麻呂
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「」の死後、「」年に子の「」が「」天皇と「」の排除を企てて鎮圧される事件がおきた(「」)
橘諸兄、757、奈良麻呂、孝謙、仲麻呂、橘奈良麻呂の変
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事件で反対勢力を一掃できた仲麻呂は自身が後援する「」天皇の即位を実現して独裁的な権力獲得し、天皇から「」の名を与えられた。
淳仁、恵美押勝
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しかし、「」の死後、「」太上天皇と「」天皇・仲麻呂との対立が深まり、「」年の武力衝突で仲麻呂は敗死し(「」),淳仁天皇は廃位された
光明皇太后、孝謙、淳仁、764、恵美押勝の乱
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譲位後に出家していた孝謙太上天皇は、「」せずに「」天皇として「」した。
還俗、称徳、重祚
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称徳天皇のもとでは、信類を得た「」が「」、続いて「」という特別な地位につき、「」重視の政策がとられた。
道教、太政大臣禅師、法王、仏教
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やがて「」の「」と称して道鏡を皇位につけようとする動きも出たが、「」が神託の虚偽を暴いた(「」)
宇佐八幡、神託、和気清麻呂、宇佐八幡神託事件
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「」天皇が亡くなると、道鏡は「」に左遷され、「」天皇の孫の「」天皇が即位した。
称徳、下野薬師寺、天智、光仁
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光仁天皇は、「」や「」を減らして財政を緊縮し、「」・「」の監督を強化して地方政治の引き締めをはかった、
官司、官人、国司、郡司
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奈良時代は、「」の思想が強まり、国家の保護により「」が栄えた。
鎮護国家、仏教
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「」やその近隣に次々と大寺院がたてられ、そこで僧侶が「」を研究し、「」が形成された。
平城京、仏教教理、南都六宗
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教学の発展は、「」に従った「」のほか、「」を伝えて東大寺に日本で最初の「」を設けた唐の「」のような、外国の僧侶の努力に負うところも大きかった。
遣唐使、留学僧、戒律、戒壇、鑑真
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その後、「」は僧侶を育成するための「」を創建した。
鑑真、唐招提寺
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光明皇太后が「」や「」をつくった
悲田院、施薬院
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南都六宗のメイン3つ
法相宗、華厳宗、律宗
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法相宗の寺
興福寺、薬師寺
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華厳宗の寺
東大寺
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律宗の寺
唐招提寺
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公式の資格を得ずに出家すること
私度僧
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行基は最終的に
大僧正
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p50〜51